++山根一男の徒然日記++
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1月 17日(金) あれから30年
1月 15日(水) ブログ『山根一男の徒然日記』丸20年
1月 05日(日) 神明神社脇の生垣剪定 貫通
1月 04日(土) そして人生の第三ステージへ
12月 11日(水) おかげさまで、再検査はパス
12月 04日(水) 誰かがこれをやらねばならぬ…
12月 03日(火) 9泊10日の入院ライフが意味するもの
11月 24日(日) 今日も2万歩「人生の省察ノート」
11月 23日(土) 入院7日目、論語と算盤を読んでいる。
11月 22日(金) 入院して自分の健康を知る
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 2025年1月17日(金)
 あれから30年
 やはり今日は、このことに触れないわけにはいかない。今日が、あの阪神・淡路大震災から丸30年ということだ。 
 
 その時は、私は大阪府吹田市 阪急千里線の関大前というところに住んでいた。朝方の地震で、家自体は特に大きな被害はなかったが、物が落ちてきたり、水槽を置いていた台が傾いたりした。 
 
 電車が動かないので、車で大阪市北区同心にある会社(千趣会)に行こうとするが、淀川を越えたあたりで交通渋滞や物が落ちていたりして動けなくなった。結局、会社は休みということで引き返した。 
 
 その後、被害の大きさがとんでもないレベルであることが徐々に分かった。前年の春に大阪ボランティア協会主催の『ボランティアことはじめ講座』という4回連続の講座を受け、ボランティアという意味やノウハウを学んでいた私は、まず会社内の掲示板を使って「千趣会の社員・パートさんに物資を届ける土日ボランティア」を呼びかけ、会社が用意した救援物資を届ける活動をした。 
 
 しかし、そのうちに社員・パートに限るボランティアではなく、もっと広範囲の困っている方を助けるボランティアにシフトしていった。関わっていた大阪ボランティア協会の「阪神・淡路大震災被災者を応援する市民の会」の活動に本格参入した。 
 
 そこで見たこと、思ったことが私の人生を変えた。一言でいうと、会社人間から社会人にシフトしていった。社会全体のこと地球のこと…社会貢献をベースとする生き方・考え方にシフトしていった。 
 
 この辺り、語り出すときりがないくらいいろいろ体験し、いろんな方と交流し,変わっていった。いつの間にか、大阪ボランティア協会のキャッチフレーズ『あなたが動く 社会が変わる』が自分の座右の銘になった。 
 
 自分という器を使って、社会にどれだけの貢献ができるかが、人生の目的になった。その後、議員になったのもその一環だ。今も、そのチャレンジは変わらない。 
 


 今日もたまたまだが、午前中は地域の高齢者の買い物支援バスの運転手・夜は青パト(帷子防犯パトロール隊)の任務をこなした。 
 
 昨年11月には一度死にかけたいのちである。今後さらにパワーアップして、地域や社会の為に自分が出来る最大限のことを求め続ける覚悟だ。
 

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 2025年1月15日(水)
 ブログ『山根一男の徒然日記』丸20年
 今日で、このブログ『山根一男の徒然日記』を始めてから20年となった。 
一言で20年といっても、あまりにもいろいろなことがあり過ぎた。何度も『炎上』してきたけど…まだ続いている。(20年間の過去の日記は、検索で確認可能です。 
 
 紆余曲折・七転び八起…なんと表現していいか分からない。忙し過ぎて、今もなかなか更新できないが、それでも毎日見に来てくれる方が大勢いる。 
 
 中には20年前から、おつきあいいただいている方もいらっしゃることだろう。本当に有難い。また、なかなか更新できなくて申し訳ない。 
 
 初心に戻ってもう少し気軽に書けたらと思う。 
 
 記念に、2005年(平成17年)1月15日の第一回目の日記を貼り付けさせていただきます。その頃、市議をやりながら南帷子小学校のPTA会長でした。 
 
http://www.th21.jp/adiary/diary3.cgi?id=yamanet&action=view&year=2005&month=1&day=15#1_15
 

>> 返信
 

 2025年1月5日(日)
 神明神社脇の生垣剪定 貫通
 以前から気になっていた。敷地は神明神社と市道との間の生垣約20mほど。一応、十年以上前から続けている『西可児駅周辺を美しくする会』の守備範囲に入る。※写真はワンクリックで拡大します。 
 
 神明神社には「西可児駅周辺を美しくする会」の倉庫も置かせもらっていて抜いた雑草や落ち葉、剪定した枝などを処分する場所も指定されている。 
 
 
「生垣」と言っても、樹木が伸び切り高いところは3m以上になっていた。市道の歩道部分にもせり出し、通行の妨げにもなっていた。 
 
 神明神社は地元の氏神さまである。鳥居の外で、公園みたいになっている。地域の顔といっても良い場所が、荒れたままでは良くない。 
 
 ちょうど、12月29日の西可児周辺を美しくする会の時に、鋏を入れて、今日まで8日連続通った。8日間といっても、日々忙しい中でのやりくりなので、せいぜい一日1時間、それも夕刻前の16時〜17時頃が多い。 
 
 剪定は、草抜きと違ってセンスが要求される。一応、数年前に「庭師」を志し通信教育の教材まで取り寄せたが、ほとんど開くこともなく蔵書になっている。 
 
 剪定で鋏を入れるのは楽しいが、大変なのはその枝や葉の処分だ。あと何十年も手を加えられていないので、枯れ枝が思いのほか多いのと、枯れ葉も相当な量になっている。 
 
 まだ、最終清掃までできていないが、今日8日目にして高さをそろえるところまでできた。道行く人数名からきれいにしてくれてありがとうの言葉もいただいた。 
 
 とにかくうっとおしかった所が、すっきり風通しが良くなり、虫もわきにくくなったのではないだろうか。 
 
 自己満足でも構わない。広い境内のほんの一部でしかないが、一番人の目にふれやすいところなので、西可児駅周辺の美化に少しは貢献できたのではなかろうか。 
 
 私は苗字に山と根がつく。先日、占い師に見てもらったところ、私は土の人だという。そのせいか土をいじっていると心が落ち着く。花を植えているときが一番楽しい。 
 

 というこで、剪定も草抜きも、花を植えることも、あくまでも私の趣味でやっているのだが、やる場所が公共の場所なので自分一人が楽しむだけではなく、他の人にも喜んでもらえる可能性があるかもしれない。 
  
 この趣味楽しいですよ!昔から日本人は、道普請や掃除は当たり前のようにやってきたはず。公の場所を自分たちの手できれいにすることは当たり前。 
 
 誰でも自分の家の前くらいは、たとえそこが市道であってもきれいにする。その守備範囲を少し広くするだけ。 
 
 ただ、それを阻むのは羞恥心だろう。人から「変人」に見られたくない。私の場合は、そんな段階はとっくに終わっているのでなんともないが、日本人特有のおくかしさか、はたまた同調圧力なのか… 
 
 可児市の場合は、春と秋に『花いっぱいの日』がある。その日だけは、多くの人がまちの美化に取り組むが、日本の風土ではそれだけでは足りない。 
 
 さらりと書くつもりだったが、また力が入ってしまった。睡眠時間を侵食している。私は住んでいるまちが、庭園のような美しいまちになればと思っている。気軽にできる人が、できる時にまちの美化に参加出きると良い。
 


  あけましておめでとうございます。
またの機会に西可児駅前の清掃のお手伝いにまいります。
石井利倫 ..1/16 12:01(木)
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 2025年1月4日(土)
 そして人生の第三ステージへ
 年が明けたと思ったらもう4日。おかげさまでいつもよりは、ゆったりとした新年を迎えている。 
 
 年明けの近況報告には、(私の場合は賀状とは書かない、年末に書くことをあきらめ、年初に印刷する)タイトルを人生の第三ステージへ…とした。 
 
 いろいろ思うところがあり、言葉に言い尽くせない。近況報告で送れる人には限りがあるので、まずは近況報告の文面をそのままお伝えしたい。 
 
 【2025年 山根一男近況報告:やまネット通信新年特別号】 
   
 新しい年になりました。年頭に際し、日頃お世話になっている皆さま、すっかりご無沙汰している皆様へ近況報告並びに、今後の私の方針についてお伝えさせていただきたいと思います。 
 
 昨年来、人生の転機として、思い悩み試行錯誤を繰り返して来ました。そんな中で昨年11月には、慢性硬膜下血腫という病気を発症し、頭蓋骨に2ヵ所穴を明ける手術を受けました。 
 
 入院も手術も人生初でしたが、おかげさまで九死に一生を得ることができました。また、昨年ランドマークセミナーというセミナーを受けて、言葉の大切さと自分の使命を悟りました。 
 
 この上は、自分という個体を通して出来る最大限の社会貢献活動を目指し、より多くの方に私が到達した境地についてお伝えしていきます。 
 
 今年も走り続けます。どうぞよろしくお願いいたします。 


 
 以上、具体的なプランや人生の第三ステージのイメージについては、また折りを見てお伝えできればと思います。
 

>> 返信
 

 2024年12月11日(水)
 おかげさまで、再検査はパス
昨日、退院してから2週間ぶりに、名古屋市中川区尾頭橋の藤田医科大学ばんたね病院に行って来た。8時半までにと言われていたのに、車で病院に着いたのは9時20分頃。 
 

 採血とCT検査までは順調だったが、そこから加藤先生の診断を受けるまで4時間以上待った。良く大病院では待たされると聞くが、初めて体験した。 
 
 診察自体は3分くらい。CTの画像を見て、大丈夫ですよと言われた。あとは3月と6月頃にまた、来るくらいで薬も治療もない。睡眠時間を中心に健全な生活をすることくらい。 
 
 さすがに今度ばかりは、生活習慣全体を見直さざるを得ない。特に寝る時間が、ここ十数年、午前2時3時が当たり前という生活をしていた。 
 
 これをせめて、午前0時までに寝るようにしたい。夜更かしになる理由のひとつが、まさにこのブログなのだが、なるんべく簡潔にしていきたい。 
 
 加藤先生は、毎晩10時には寝て、朝4時半から起きて行動するという。これだから毎朝、7時前ころに各病床を回ってあいさつしてくれていた。 
 
 朝型に変えようという試みは、これまでに何度もしてきたが、なかなかできない。しかし、いつまでも無理がきく身体ではないことが今回のことで分かったので生活全般を見直そうと思う。 
 

 話は変わるが、病院名についてふれておきたい。「ばんたね病院?」何でそんな名前になったかというと、大正年間にこの病院の前身を創設した「坂 た祢」(ばん たね)さんから来ている。 
 
 坂 た祢さんは、亡夫の遺志を汲み、全財産を提供して窮民救済のために、名古屋市内に3つの診療所を開設し、その後昭和5年に今の場所で開設、さらに下って昭和46年に学校法人藤田学園が、医科大学を開校するときに、附属病院として地域医療や医療人材の育成に貢献してきている。
 

>> 返信
 

 2024年12月4日(水)
 誰かがこれをやらねばならぬ…

 タイトルの件、どこかで聞いたことがあるだろうか…宇宙戦艦ヤマトのテーマソングの2番に出て来る『誰かがこれをやらねばならぬ 期待の人が俺たちならば…』と続く 
 

 宇宙戦艦ヤマトはそれほど観たわけではないが、そのテーマ曲は勇ましくて大好きだ。カラオケで私のレパートリーになっている。私の声は演劇で鍛えたせいか(?)結構音域が広く、低い声も出せる。 
 
 あと私は異常なのかもしれないが、道路端や街中に生えている雑草が気になる。特にセイタカアワダチソウかブタクサか分からないが、丈の高い雑草が街中にあると、抜きたくなる。。 
 
 雑草に罪はないが、雑草に覆われているとやはりまちの景観は悪くなるし、荒れたイメージがつく。 
 
 私の住む若葉台とか、住宅地では基本空き家の前とかは除いて、丈の高い雑草は生えていない。住民が、最低限家の前くらいは雑草は抜くからだ。 
 
 それが、街中になるとコンビニやホームセンターの前とかでも雑草だらけの一角がある。可児市の中心街でもそうだ。 
 
 それも気にはなるが、やはり住んでいる可児市帷子(かたびら)地区については、しょっちゅう通るし、地元が草だらけだとそこに住む住民の質まで問われているように感じてしまう。その感覚が私の場合,異常に強いのだ。 
 
 路上に生えるひゅるひゅるした雑草は、だれかが抜いて土を除去すれば、そんなに生えなくなる。 
 
 たいがいは市道だから、普通は市が除草すべきと思っている人が大半だと思う。ただ、雑草の繁茂のスピードに行政はとても追いつかない。 
 
 今日は、いつも通る国道41号線の帷子インター(高速ではない)に接続する道の草が以前からずっと気になっていたので、思いきって抜くことにした。 
 

 他にも何か所も草を抜いたり、花を植えたりするところがあるので、1ヶ所25分と決めている。なので、完璧にきれいのするまでは至らないが、たった一人の人が25分時間をかけただけで、少なくとも通行上の視野を妨げるほどの草は一掃できる。 
 
 この場所は、多治見方面に行く通過車両も多いところだが、少しでも可児市そして帷子の印象が良くなれば嬉しい。 
 
 こんな調子で、帷子が庭園のように美しいまちになればと願い、行動している。そんな『誰か』が増えてくると嬉しい。 
 
 
 

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 2024年12月3日(火)
 9泊10日の入院ライフが意味するもの
 早いもので、もう退院してから1週間になる。今日は泊りで、障がい者のグループホームの世話人の仕事についている。 
 
 急な入院・手術でご心配をおかけした方には心から感謝したい。おかげさまで無事退院できたし、特に後遺症らしきこともない。主治医の加藤庸子先生からも睡眠や食生活に気をつけて普通に生活して良いと言われている。 
 

 加藤先生は、本当にすごい方で、日本で最初の脳外科で教授になり、女性脳外科医としては世界一と言われる手術数3,000例以上を誇る方だ。 
 
 常に患者ファーストで、それだけの権威なのに、毎朝7時前頃には病床に朝のあいさつに来てくれる。携帯番号を教えてくれていて、いつでも電話してくれていいと言ってくれる。 
 
このような誠意ある医師に、ほとんど偶然に巡り合えた私は本当に運がいいと思う。 
 
 1週間経つと、あの入院生活は何だったのかと思う。それくらい、私の人生の中で特異な時間だった。手術以外に、治療というものはなく、リハビリということで据え置きの自転車に10分間、2回くらい乗ったが、毎日1万歩以上歩いているのでどうということはなかった。(8日間で101,872歩=約75q) 
 
 たぶん、今度のことは天が与えてくれた休日、人生の句点のようなもの。健康管理に関しての警鐘とも言える。 
 
 もう少し体のことを大切にしながら、頑張りなさい!と言われているような気がする。 
 
 医者にかかる前の数日間は、足元がふらつき、急に老化が来た感じ、階段を下りるときも足の遠近感がなく、すごく怖かった。このまま、足腰が不自由になってしまうのかという恐怖感もあった。 
 
 それが、今は全くない。両側慢性硬膜下血腫という、脳の膜左右になんらかの原因(頭をぶつけたとか…)で血のかたまり(血腫)ができていた。それが、脳の働きを邪魔していたようだ。 
 
 手術では、両側ということで、頭の左右にドリルで穴を開け、そこから7〜8時間かけて血腫を取り出した。 
 
 局部麻酔なので、医師や看護師のやり取りは聞こえるし、ドリルで頭に穴を開けられる音も聞こえる。脳の手術なので血管の一本でも傷つけたら大変なことになる。 
 

 これほど高度な手術を、こともなげにできてしまうこの病院(藤田医科大学ばんたね病院)の技術(日本の医療技術そのものか)には感心してしまった。 
 
 あと12月10日に再検査があるが、それが終わればさらに安心できる。ひとつ驚いたのは、これだけの医療行為や入院・薬代も含めてかかった費用が6万9,800円。 
 
 昨年の私の年収が極端に少なかったことによるが、以前の収入なら+10万円ほど。日本の健康保険制度はありがたい。 
 
 すべてのことに感謝したい。そして、この恩返しは私にできる最大限の社会貢献をこれからも続けてゆくこと!まさに、人生の第3ステージの幕開けとしたい。 
 
  
 
 

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