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いぬぼう Part 3

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▼ 武士の家計簿   [RES]
  marirun   ..2010/12/15(水) 23:26  No.629
 
 
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磯田道史さんの「武士の家計簿」に興味を持ったのは、金沢が舞台の史実に基づいた話であったから。

北国新聞社出版の本が欲しかったが、九州では、新潮文庫出版のしか手に入らなかった。
磯田さんが本を書くに至ったいきさつもおもしろい出合いであったが、15万円以上の価値があった宝箱みたいで、掘っても掘ってもすごい資料が出てきて、ぞくぞくしたに違いない。

それ以上に、金沢に4半世紀住んだ者にとっては、地理が頭の中に描けて、猪山家のあった家、片町2丁目から犀川大橋を通り、神明宮にお宮参りに行ったというのは、まったく今でもその様子がうかがえる。
街中に住んでいたわけだ。

我が家では、広小路、寺町、野町、有松、増泉と町名が出て、住んでいた泉野まではやかった。

話が、ずっと今に続いているし、入払帳が明治まで書き続けられていたこと、直之が明治11年、奥方のお駒さんは、明治30年になくなったこと、などは、すぐそこに今までいた人のように近くに感じられた。

小説はあまり読まないが、この史実、すぐ読んでしまって、この小説でない本をどのように映画にしているのか観てみた。
はあ、そこから入るの?と思うくらいの始まりだった。7代目信之が東大の赤門を建てたとは知らなかった。(元前田家の敷地)

エンディングロールに、見覚えのある「北國新聞社」「大和タクシー」に感動?したり、どこの武家屋敷使ったのだろう?とか、エキストラに知った顔がいないかとか、もともと筋書きのある話ではないので、内容より、逆さ屏風みたり、友禅流しシーンは、どこ?すごい上流なのかなあ、葦かカヤが茫々だから、今の浅野川でないなあ(いまはビル茫々)、関東?とかを見ていた。


収入よりも祝い事や、交際費の出費が多い。2倍の出費。百万石城下の武士の生活苦、「武士は、食わねど高楊枝」の最たるものだ。
また、信之が亡くなった場面では、逆さ屏風を見た。初めて見た。屏風の漢字、地や無が逆さだった。

映画には、描かれていなかったが、石川の算術の強さ、数学者、関孝和の弟子の話、最古のそろばんが、金沢にあるという話もおもしろい。算数が強い者は、ほとんどが世襲であった身分制度の中で、特別に出世できたのもすごい。頭の中は、世襲できない、馬鹿殿様も多かったから、、。
三角関数の図を描いたのも金沢の数学者という。
幕末の維新に力を貸して、船を造ったとも書かれている。

また、タラの昆布締めや、白子の酢ものは、いまでも金沢の冬に欠かせない一皿だが、倹約のこのころが始まりなのかなあ。
お正月には、よく見かけるので、Eさんに送ってもらうように頼んだ。









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