marirun ..2009/04/24(金) 00:42 No.581 |
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教室にはいるとすぐ、お客さんがありました。 はじめは、保護者かと出て行くと、「O山です」と。 よーくみると、まぎれもないみなこちゃんが立っていました。
10数年ぶり、医学部の卒業の前の夏休みに、屋久島に行き、北上していくので、先生に会いたいと連絡があり、会って以来のことです。 あの時は「先生に会えると思って安心したのか、眠って、駅を通り過ぎた」と次の電車でもどってきて、ヤット会えたことを思い出しました。
なんと金沢で教室をしているとき、もう25年位前のこと、小二年から高校一年まで通ってくれました。
中学で、国語最終教材をおわり、数学もMを学習していました。B教材のひっ算が、難しくて、やりたくないといったとき、お父さんに、「じゃあ、やめたら」といわれ、やめるのはいやで、どうせするなら、早くやってしまおうと思ったと、国語を修了した感想文に書いていただけあって、素質+努力の子どもさんでしたから、中学校長の推薦で金沢大学附属高校(石川には、国立附属高校がある)に入り、神戸大学医学部に進学しました。
昨年11月に結婚して、ご主人と二月から唐津の病院にきたから、早く会いに来たくて、と唐津名物の松露饅頭を持って、八女まできてくれました。 こんなうれしいことはありません。 普通、帰省して、通っていた教室に行くということはありますが、よそに行った指導者の別の教室にはるばる来てくれることはまずないでしょう。
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