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   7週 流産   
   妊娠7ヶ月、25週で ....   
   10週 稽留流産   
   8週  稽留流産   
   妊娠10週目で流産   
   30週死産・原因不明 ....   

Name: ふーちゃんママ    ..eonet.ne.jp
Date: 2014/12/25(木) 23:27
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Title: 7週 流産    
結婚前に一度、子宮肉腫の疑いのため子宮全摘手術を勧められたことがありました。
まだ結婚前で、子どもも希望してましたし、細胞診の結果悪性だったら再手術をして全摘を・・・となりましたが、
幸い、良性の筋腫が原因不明で変性したものであったため、全摘を免れました。
その2年後に1人目の娘を帝王切開で出産しました。
一度は、病状次第では子どもをあきらめないといけないと覚悟したこともあり、子どもをもうける事ができたことがとてもうれしかったです。

ですが、欲といいますか、2人目が欲しい、兄弟を作ってあげたいと思うようになりました。
1年後の検診で子作り許可をもらい、葉酸サプリを飲みながら毎月ドキドキしてすごしていました。
娘の保育所や職場で次々と妊娠していく中、若干のあせりはありましたが体調に気をつけてすごしていました。

娘の3歳の誕生日を迎えた頃、毎月期待してしまう自分に疲れ、少し休憩と思っていたところ、4ヶ月後に体調の変化があらわれました。

その1ヶ月前から咳が止まらず、いろんな薬を飲んでいましたがその日から服薬をやめました。
生理予定日まで後3日というところで我慢できず、検査薬を試すと少し薄いけど陽性反応がでました。
あまり早く受診してもいけないと思い、はやる気持ちを抑え2週間後に受診。
小さな胎のうが確認できました。

「計算的に7週目に近いけど、排卵日がずれてたのかな?ちょっと小さいね。また2週間後に心拍確認に来てください」と言われました。
まだ初期なので言うべきではなかったのですが、娘がおなかに乗ってくるので「おなかに赤ちゃんがきたから、乗るのは我慢してね」といってしまいました。
娘もお友達に次々と兄弟ができていたので、「お姉ちゃんになる」というイメージが3歳なりにできたようで「赤ちゃんに○○してあげる」「靴下を履かせてあげる」と、楽しみにしてくれていました。

楽しみな反面、続く咳、娘の妊娠の時より軽いつわりと常に下腹部に重い感じがあり、少し不安を抱えてましたが「2人の母親になるんだ」という気持ちをもって、あまり気にしないようにしました。
受診から4日後、仕事中に出血。
その瞬間、妙に悟った様な気持ちでだめなんだと思いました。
すぐに病院に電話しましたが、夕方であったため「安静にして気になるようだったら、朝、受診してください」と言われ、翌朝受診。
流産の可能性を言われました。
4日後に一応心拍確認をしましょうと言われ、同時に手術の予約を入れました。

12月24日に入院して、翌25日に手術を受けました。
帰って、娘に「赤ちゃん星になっちゃうんだって」と説明しました。
半年前に祖母が亡くなっていた為、「星になる」の意味がわかった娘。一緒に泣いてくれました。
でも「大丈夫、赤ちゃん、すぐもどってくるって」と励ましてくれました。
エコーでふくろが確認できたけど、それ以上赤ちゃんになれたかった赤ちゃん。
娘と「ふーちゃん」と呼びました。

入院は切迫早産の妊婦さん2人と同室で、安静のストレスからか大声でこれからの事を楽しそうに話されてました。
また、分娩室の前の部屋だったため、産声等も聞こえてきて、我慢しても涙がこぼれてきました。
まだ心拍も確認できていないんだから、命にはならなかったんだと思っても、感情がついていきません。
もしかして、風邪薬を飲んでたから染色体に異常が・・・という自分を責める気持ちがついて回ります。

手術が終わって笑えないまま自宅に帰ると、娘が「ふーちゃんは母ちゃんの事すきやから、泣いてたら、えーんえーんってゆうよ」とぎゅっとしてくれました。

今年はつらいクリスマスになりましたが、来年は笑顔で皆でクリスマスが迎えれるよう前を向いていけたらと思います。






Name: チーちゃんママ    ..ocn.ne.jp
Date: 2014/12/20(土) 15:39
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Title: 妊娠7ヶ月、25週での死産    
先日、妊娠7ヶ月で原因不明の死産となりました。
6ヶ月目の検診で突然赤ちゃんが小さいと言われ、その後、大学病院に転院し、心臓が奇形だとか、3000gあっても産まれてこれないなどと宣告され、毎日不安と恐怖に苦しむ日々を送りました。

我が子が確かにいたという記録を残したくて、ブログをはじめました。
同じような経験をされた方と辛い気持ちをわかちあえればいいなと思っています。

http://ameblo.jp/1211chiharu/

ありがとう、ちーちゃん。〜妊娠7ヶ月で死産となった私と千春の記録〜





Name: つ。    ..au-net.ne.jp
Date: 2014/12/19(金) 00:52
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Title: 10週 稽留流産    
妊娠10週目で稽留流産しました。
付き合って3年弱。
まだ籍はいれていませんでしたが、お互いの両親には紹介済みで婚約している状態だったので、
子どもができたことも両親は本当に喜んでくれました。
何よりも、子どもがずっと欲しかった旦那は、それ以上に喜んでいました。

私のつわりがひどく、大好きだった仕事を辞めた矢先の出来事。
それまでひどかったつわりが、週末にはとても軽くて、
月曜日に受診したところ、心拍が確認できないと言われました。
信じたくない思いと、もう名前まで考えて毎日にこにこ子どもの話をする旦那の顔がぐるぐると頭に浮かび、おかしくなりそうでした。

病院で泣くまいと、お会計が終わるまでの長い時間必死で我慢していました。
車に戻ると涙が止まらなくて、泣きながらなんとか家に帰りました。

お腹の子がもう死んでしまっている悲しみと、旦那、旦那の両親、私の家族、友達。
私の妊娠を心から喜んでくれた人が多すぎて、それが本当に辛くて辛くて泣きました。

次の日の朝にもう一度受診して、やはり流産との診断だったため、すぐ手術してもらいました。
手術自体は全身麻酔で寝ている間に終わりましたが、手術が始まる前は怖くて、怖くて。
目が覚めて麻酔も覚めたら、今度は下腹部の激痛。
痛い痛いとベッドで泣く私に、旦那はずっと手を握っていてくれました。

痛みがひいて家に帰ると、それまでずっと我慢していた旦那が、私のお腹に耳を当てながら泣きました。
一緒にただただ泣くしかできませんでした。

流産から2週間経ちました。
友達には、もう大丈夫!と言ってごはんを食べに行ったり、カラオケに行ったり。
旦那の前でも精一杯明るく振舞っていますが、夜中になると思い出してしまいます。
ここ1、2年でたくさんの知り合いや友達が出産したので、自分もみんなと同じように出産するものだと思っていました。
無計画で妊娠してしまった友達も多く、その子達はみんな元気な子を産んでいるのに、子どもが欲しくて欲しくて妊娠した私が流産なのは何故?と行き場のない苦しみが消えません。
考えないようにしていたのに、今日また友達の妊娠報告を受けました。
私は実は流産しちゃったんだ!
でももう元気だよ〜。なんてメールを送ったけど、辛かったです。

でもいつまでも泣いていても、前には進めません。
今できること、今しかできないことを精一杯やろうと思います。
まず、以前より節約を心がけるようにしました。家計簿もしっかりつけるようにしています。
今まであまりしてこなくて不得意な料理も、毎日作るようになりました。
旦那と旅行の計画も立てています。
旅行後には、新しい仕事を始めようと考えています。

今1番大事にしなければいけないのは旦那さんなので、一人前に家事のできる主婦になって旦那を支えようと思います。
立派な妻になれたら、きっと赤ちゃんが戻ってきて、今度は立派なお母さんにしてくれると信じてます。
もっともっと強くなって、あなたのお母さんになれるよう、待っています。絶対忘れないから、絶対戻ってきてね。何年でも待ってるよ。





Name: ぐりこ。    ..ocn.ne.jp
Date: 2014/12/13(土) 22:05
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Title: 8週  稽留流産    
39歳で待ち望んでいた初妊娠。
検査薬で陽性がでて、不妊治療ではなく妊婦として産婦人科に通えるのがとても嬉しかった。

でも、8週目で胎嚢と胎芽は確認できたのに、心拍が確認できず。
流産と診断されました。

そっか・・・受け入れようと必死で、現実逃避の毎日で涙すら出なかった。

12日に稽留流産の手術予定でしたが、前日の夜から出血と生理痛のような腹痛があり、夜中2時頃に痛みが強くなってきたので、怖くなって病院に電話しました。
折り返し電話をもらうことになり、その待機中にトイレで塊が出てしまいました。
初めてのことなのに、それが赤ちゃんだとすぐにわかりました。

トイレに出てしまったのがショックで号泣しました。
奥深くまで落ちてしまいそのまま流すしかありませんでした。
泣きながら病院の電話に出て、塊が出たことを話すと今すぐ病院に来てくださいとのこと。
夜中3時にタクシーで病院にいき、診察と処置をされ緊急入院。
処置が麻酔なしで凄く痛くて恐怖でした。
朝には退院となり、予定していた手術はキャンセルとなりました。

自然流産...ギリギリまでお腹にいて私の身体を気にして自分から出てきてくれた親孝行な第一子でした。





Name: カメママ    ..emobile.ad.jp
Date: 2014/12/11(木) 14:14
  返信  引用  編集 
Title: 妊娠10週目で流産    
不妊治療を始めて早1年。
タイミング→人工受精へ切り替え、1回目の人工授精でなんと妊娠。
不妊クリニックで赤ちゃんの心拍を確認できた時、涙が出るほど嬉しかったのを今でも覚えています。

そして3回目の妊婦検診であなたの心拍が止まっていることを先生から告げられた時、頭の中が真っ白になり、途中から震えが止まらず、言われていることが全く理解できなくなりました。
帰宅後、夫に事実を伝えると一緒に夫も泣いてくれました。
その時、初めて夫の号泣する姿を目の当たりにしました。

お腹の中にまだいるけど、もう息をしてないんだね。
エコーではちゃんと人間の形していなのに、全然理解できません。毎日泣いていて、料理をしていても、テレビを見ていても、お風呂に入っていても、トイレにいても 涙が止まりません。
これから、どうして行けばいいのか。
自分の頭の中で全然考えられなくなってしまいました。
1人でいると、自殺未遂でもしてしまうのではないかと毎日恐怖と戦っています。

ここに、現在の自分の気持ちを書くのは初めてですが、こんなにも自分の心の中をコントロールできないのは初めてです。
毎日、泣いて泣きまくって、自分の命を大切に、懸命に生きるのに必死です。
また 気持ちが落ち着いたら、ここにきます。





Name: 勇吾のお母さんより    ..au-net.ne.jp
Date: 2014/11/28(金) 19:08
  返信  引用  編集 
Title: 30週死産・原因不明でした    
これまでずっと、ポコズママのHPでたくさんのやり取りを読んで、ひそかに励まされてきました。
今日、心を動かされた歌詞に出会い、なんだかここで共有したくなったので、長くなりますが私の体験を投稿させていただきます。

ほんとに健康な妊婦で、順調に8か月半まで来ていた今年の8月。
産休に入ったら赤ちゃんのために何か手作りしよう、と考えていた矢先でした。
いつも感じていた胎動がないことに気づいて緊急に受診しましたが、もう心臓は動いていないと告げられました。
頭が真っ白になり、楽しみにしてくれていた家族の顔が浮かび、ただただ「どうしよう」という言葉がグルグル回りました。
お医者さんから「すぐに入院し生んであげなければ」といった説明を受け、自分が今できることはそれだけだと理解しながらも、まるで悪夢のように感じていました。

ラミナリアを何回かに分けて入れ子宮口を広げる処置も、陣痛促進剤でどんどん強くなる痛みもつらかったけど、
何よりも、産声が聞けないのに乗り越えなければならないことがつらかった。

つらい過程でずっと、主人が傍にいてくれたことが救いでした。
本当は病室に泊まれない規則でしたが、特別に許可をいただき、夜中に起きて泣いていた私の手をずっと握ってくれました。
産む前日の、あのつらくてさびしい夜は、二人だから少しでも和らいだと思います。

赤ちゃんの名前は、1か月くらい前に「勇吾」にしようって決めていました。
出産のときに、助産師さんが「勇吾くんのためにもがんばろう!」
と言ってくれたのが励みになったし、出産後、ベビーコットに普通の赤ちゃんのように寝かせてくれて、病室で何時間か一緒に過ごせて本当に良かった。
抱かせてくれた勇吾は、42cm、1800gまで育っていて、ずっしり重く、寝ているだけの普通の赤ちゃんのようでした。
あとから考えればもっとたくさん抱いて、ぎゅーっとすれば良かったな・・・
死産のときの病院の対応ってほんと重要だと思いました。心ある対応をしてくれる病院で産めて幸せでした。

生まれてきた赤ちゃんの写真、自分では撮れなかったけれど、
かけつけてくれた両親が「写真はとって残してあげないと!」と言ってたくさん残してくれて、今はとっても感謝してます。はっきりと勇吾を覚えていられるから。
へその緒も受け取るか迷ったけど、やっぱりもらって良かった。もっと言えば、足形や手形もとっておけばよかったと後から思いましたが、その時はそこまで思いつかず少し残念です。
もう赤ちゃんには二度と会えないので、生きていた証をできるだけ残せるように周りの家族がやってあげてもいいかもしれない、と思いました。
迷っている場合はとりあえずでも残しておけば、後から取捨選択できるので・・・

死産してから2週間後、血液検査など様々な検査結果が出ましたが、結局「原因不明」でした。
胎児の検査はしなかったのですが、顔つきやあごの骨の良好な発達からお医者さんが判断するには遺伝子的な問題はなさそうだとの事。
酸素も十分赤ちゃんにいっていたし、胎盤も問題なく、へその緒が巻き付いていた可能性も低い、とのことでした。
だから勇吾は、自分の寿命をせいいっぱい全うしたのだと考えるようにしています。
せいいっぱい、おなかの中で生きたんだと、思います。

今までの会社はこれを機に辞め、心機一転新しい会社で働きます。
主人は休んでいいよ、と言ってくれましたが、働くのは割と好きだし、なにかに打ち込む方が前向きに進めると思ったからです。

あれから3か月以上経ちますが、忘れない日はありません。
それでも普段は普通に過ごせているのですが、今日は自分でも思いがけないところで涙が出てしまいました。
カフェで竪琴を聞くイベントがあったのですが、そこで千と千尋の神隠しの「いつも何度でも」が流れ、
その出だしの歌詞を聞いて急に・・・胸がいっぱいになりました。
「かなしみは 数えきれないけれど その向こうできっと あなたに会える」という歌詞。

死産を周りにそれほど経験している人はいなくて、みんな普通に産んでいるように見えて、どうして自分だけって思うことあると思います。
そんな時私は、このHPのみんなの投稿に励まされてきました。
私もそんなふうに誰かの心に寄り添えたらと思います。






 
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