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   35週2日 早期胎盤剥離 ....   
   流産1回  生後1か ....   
   反復流産   
   20週4日 人工死産   
   流産   
   4度目 9週 稽留流産   
   初期の自然流産   
   7週 進行流産   
   2人出産後、3度の流 ....   
   子宮内胎児死亡   

Name: あび    ..dion.ne.jp
Date: 2015/05/03(日) 16:14
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Title: 35週2日 早期胎盤剥離での死産    
2014年5月。
あまりにも体調が悪く、会社での健康診断の結果も悪かった為、総合病院の内科を受診しました。
その際に「妊娠してませんか?」と尋ねられ「まさか!?」と思いましたがそのまま産婦人科に行くよう指示され、妊娠が発覚しました。

しかし、その時は既に流産しかけており、その子はそのまま胎嚢ごと出てきてしまいました。
優貴と名付けた性別も分からない我が子は、初期流産となりました。

その後、流産後も妊娠症状が治まらず、産婦人科では「胎盤などの一部が残っているのでは?」と言われてたのですが、
念の為、他の病院でも診て貰うと「お腹の中に赤ちゃんがいますよ」とのこと。

混乱だらけのなか、第二子の妊娠生活が始まりました。
悪阻はとても酷かったのですが、女の子と判明した我が子はとても元気でした。

32週に入るまで「とても元気で順調、何も問題ない」と検診ごとに太鼓判を押され、胎動も激しく夜も眠れないくらいでした。
私は高齢妊婦で仕事も激務だった為、不眠と過労でフラフラでは有りましたが、常に元気な我が子に励まされやっとの思いで産休を迎えました

産休第1日目に定期検診が有り、その場で妊娠高血圧症候群との診断が下り、入院することになりました。
1週間の絶対安静と、減塩食を経て自宅療養となりました。
それでも、体内の我が子は元気過ぎる位に元気で。
逆子も自然に治り、相変わらず胎動で眠れない日々でしたが、
我が子に逢える日を待ち望んでいました。

2015年4月7日
日付が変わった頃から何となく眠れなくて、不安でした。
胎動はしっかり感じていたので、寝ている主人は起こさずに一人で悶々としていた矢先。
深夜3時を過ぎる頃には血圧が222/112と、有り得ない数値に驚いて、産婦人科に電話をしました。
深夜にも関わらず主治医が当直でおられ「すぐに病院へ」との指示で、主人にタクシーを呼んで貰い、病院へ向かいました。

病院へ到着した際も自分で歩けたし、それ程、痛みは感じていませんでした。
しかし、例えようも無い不安でいっぱいでした。
直ぐに主治医が診察して下さり、我が子の心音も確認出来たのでホッとしたのですが、
そのまま、胎児の心拍が弱まってしまい、緊急帝王切開手術をすると言われました。
兎に角、我が子さえ無事ならば! と、我が子の誕生だけを祈り続けた数時間後。
「帝王切開から3分程で胎児は取り出せた。でも、既に心臓が止まっていた」と。
我が子の死を告げられました。

私は酷い出血で意識も朦朧としていましたが、主人が「可愛い女の子を産んでくれてありがとう」と私に抱かせてくれました。
小鼻や上唇の形が主人にそっくりなとても可愛い我が子でした。
体重1,888g、身長47cm。
紬(つむぎ)と名付けた娘は本当に小さくて可愛くて。
息が止まっているなんて信じられない程、穏やかな表情をしていました。

私はそのままICUに入り、帝王切開手術の際に出血が多かった為、輸血をされたり、胎盤から逆流した血液のせいで悪くなった腎臓の疾患で10日間入院をし、現在も自宅療養と通院の日々を送っています。

主人が全て手配して紬の葬儀や火葬を行ってくれた際、私も車椅子で斎場まで連れて行って貰い、最後まで娘に寄り添う事が出来ました。
本当に信じられないような出来事で。
未だに何故、紬が居ないのか理解も納得も出来ていません。

それでも、愛しい我が子と一緒に入られた9ヶ月はとても幸せで。
いつもエコーで私だけが見ていた可愛い顔や小さな手足を主人にも見せてあげられて。
二人でいっぱい抱っこして、親子3人で写真を撮って。
私の両親も駆けつけてくれ、皆で見送ってあげられた事。
沢山の想い出や愛情をつむいでくれた紬の存在が今も愛おしくて堪りません。
今は辛くて寂しくて涙涙の毎日だけど。
私と主人の間に産まれて来てくれた紬...心から愛しています。

今年の夏で42歳になる私には、もう、子供は望めないのかも知れません。
それでも、優貴と紬。
二人の子供のお母さんに成る事が出来て...本当に幸せでした。





Name: こまい    ..mesh.ad.jp
Date: 2015/04/23(木) 19:03
  返信  引用  編集 
Title: 流産1回  生後1か月半    
上の2人を順調に産んでいて、待望の3人目を妊娠しました。
6週目にて、流産。

その後、2年後に妊娠して、27週目から、切迫早産で入院退院を繰り返していました。
羊水が多い、胎児が小さいという事で、総合病院に緊急搬送され、そこで、胎児に異常があると判明しました。

息子は、生後1ヶ月半頑張ってくれましたが、お空に行きました。兄弟に会えたのは、亡くなってからでした。

年齢的なこともありますが、でも、もう一度赤ちゃんをこの手に抱きたいと思っています。





Name: 無名    ..spmode.ne.jp
Date: 2015/04/10(金) 02:02
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Title: 反復流産    
一度目は妊娠したら当たり前に産めるものだと思っていました。
2年間子作りをして、やっとできました。
心拍が確認できたとき、お医者さんに「これで流産の確率がぐんと下がったよ」と言われ、安心していました。

10週をすぎたとき、仕事中激しい腹痛にみまわれましたが、寒かったからだろうぐらいに思っていました。
念のため、翌日病院へ行くと、心拍がとまっていると言われて頭が真っ白になりました。
受け入れられず、毎日泣きました。

手術の日、最後まで受け入れられないまま麻酔をし、起きたらお腹にもういないんだという現実に、自分を責めました。

その1年後、また妊娠が分かり、あの子が帰ってきてくれたと本当に嬉しかった。
不安はありましたが、安静を心がけて毎日を過ごしました。
2回目の診察で、「袋が小さすぎる。流産しやすいよ」と言われてましたが大丈夫だと信じていました。
それでも、つわりを感じることなく出血がみられました。
初期にはあることだと言われていたので安心していましたが、次の診察でまた心拍が途絶えていました。

なんで私だけ子供を産めないんだと、私の何がいけないのかたくさん悩みました。
色々調べて不育症にたどりつき、次の生理がきたら調べるつもりです。

悲しみはうすれませんが、周りの支えにより、少しづつ次の妊娠を考えられるようになりました。

次こそあなたを産めるように頑張るから、かえってきてね。





Name: 栞里ママ    ..so-net.ne.jp
Date: 2015/04/06(月) 16:39
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Title: 20週4日 人工死産    
3月18日長女の栞里はお空に帰りました。

4年間の不妊治療の末にやっと授かった我が子でした。
諦めようとしていた矢先に体外受精2回目、3回目の移植での妊娠でした。
本当に嬉しくて嬉しくて、診察室で妊娠の判定をもらった時号泣したのを今でも覚えています。

それから心拍確認までは順調でしたが、5週目頃に少量の出血があり、毎日が不安でした。
心配する出血ではないと言われ、9週頃には止まったので、そのまま不妊治療専門病院は卒業になりました。

年が明けて産婦人科に転院となって2度目、4か月に入った妊婦検診の時に、赤ちゃんに浮腫みが見つかりました。
胎児水種の疑いがあると言われ、その時は全く意味がわからなく主人と色々調べたところ、このままでは長く生きれない・・そんな答えばかりに愕然としました。
目の前が真っ暗になり、一気に天国から地獄に突き落とされた感じでした。

総合病院に紹介された結果もやはり、
「かなり浮腫みが大きいから、このままだと心拍がいつ止まってもおかしくもない。産まれても育つ可能性は低い。染色体の異常の可能性がある」
もう、先生の話が頭に入らず、ボーと聞いていただけでした。
かわりに主人が一生懸命に話を聞いてくれていました。

16週に入れば羊水検査をすることになり、それまでは1週間に1度検診に行きました。
スクスク成長する我が子、足をジタバタ動かしたりと、本当に愛おしかったです。
身体の成長にともなって、浮腫みも大きくなり、16週の頃には頭より大きくなっていました。
それでもしっかりとした心拍を聞くと、安心して涙があふれて毎回診察では泣いていました。

少しでも浮腫みが小さくなるように。
染色体の異常はないように。
と祈る毎日でした。

羊水検査の結果は、ターナー症候群。
染色体で異常がでると、浮腫みが小さくなる可能性は低い、育つ可能性もかなり低くなるとのこと。

もう、駄目だ。この子を守る事が私には出来ない。
頭がおかしくなるくらい、泣いて、泣いて、泣きまくりました。
早めに今後を決めなくてはいけなく、主人と一生懸命考えました。
産まれてもすぐに、外科手術が必要となる、障害は間違いなくある、この浮腫みの大きさだと、心奇形などがでる可能性がかなり高い。
ここまでわかっていながら産むのはこの子ためになるのか?
泣きました。今までの人生の中で一番泣きました。

今回は諦めよう。
一度神様の元へ返して、もう一度健康な身体をもらって私たちの元へ帰ってきてもらおう。
そう決めたものの、悔しくて、悲しくて、仕方ありませんでした。

2泊3日の予定で人工中絶をすることになりました。
1日目に子宮口を開く処置をしました。痛くて痛くて号泣していました。
2日目に陣痛促進剤をいれましたが、微弱陣痛がつくだけ。
3日目も陣痛だけで、子宮口がひらかず。
4日目は点滴をしましたが、促進剤を使ってもだめ。
5日目にはバルーンをいれる予定が、痛すぎて入らず。また、促進剤でもだめでした。
6日目、再度ラミネリアで子宮口を開く処置を受けました。促進剤は、まただめ。
7日目に、赤ちゃんの水種があるので出にくいかもとの事で水種を注射で小さくする処置を受けました。促進剤を使うと、それでも陣痛はあるものの、子宮口が2センチから開かず。
そして、この日、初めての胎動を感じました。
8日目の朝、診察で、赤ちゃんの心拍が止まったと聞かされました。
もしかして、昨日の胎動は赤ちゃんの最後の合図だったの?
私に知らせくれたの?
涙が止まりませんでした。

先生から、このままでは母体の体力がもたないので、赤ちゃんをバラバラにして取りだす手術か、このままもう少し頑張るか選択をして下さいと言われました。
心拍が止まったと聞いて、もう力が抜けてしまい、何も考えられなくなっていました。

手術・・・赤ちゃんがバラバラ?嘘・・・そんな・・・
でも、正直、私の体力も限界でした。
8日間にわたって、朝から夜中までの陣痛との戦い。
熱はでて、血圧はあがり、副作用で酷い下痢にもなっており、
もう駄目だと、泣く泣く午後からの手術をする事にしました。

手術前に、最後の診察を受けると、先生が「おっ!子宮口が開いてきてる!ちょっと破水もしてきてるよ。今日もう一日、薬で頑張ってみよう!」と言ってくれました。
辛いけど、嬉しくてもう少し頑張ろう!と思えたのです。

それから2時間の間に急に破水し、分娩室に入って6分で産まれてくれました。
もう、私も主人も号泣でした。
綺麗な形で産まれてくれて本当に嬉しかったです。
浮腫みはあるものの、笑っているお地蔵様みたいな顔をした女の子でした。
産声は聞けなかったけど、普通に産む事ができただけでも本当に幸せでした。
その後小さな箱に入れて頂いて病室で一緒過ごしました。
写真も沢山撮りました。

胎盤がでなかったので一日退院が遅れましたが、退院後、一日家族で過ごして、翌日、火葬をしました。

妊娠がわかってから、今日まで安心する日はほとんどなかった様な気がします。
でも、どれだけ頑張ってもママになれなかった私をママにしてくれて半年間一緒に過ごせた事を一生忘れません。
きっとまた帰ってきてくれる事を信じて待っています。
 
健康に産んであげられなかったけど、心の中では永遠にママと一緒だからね。
だから寂しくないよね。
栞里、早く帰っておいでね。
有難う。





Name: あさみ    ..spmode.ne.jp
Date: 2015/04/02(木) 12:51
  返信  引用  編集 
Title: 流産    
今日、流産の手術をしました。
1人目を出産し、2人目を意識してすぐに妊娠。
嬉しくてすぐに産婦人科へ行きました。
受診するたびに不安になってきて、覚悟は決めていたつもりだったけど、現実は受け止めきれなかった。
なんであたしが?なにがいけなかったの?
周りは2人目でもちゃんと妊娠してるのに、なんで?
ぐるぐる同じことを考えて泣く日々。

1週間泣いて手術当日。
泣かずにお別れしたかったけど、やっぱり泣いた。
ごめんね、ちゃんと産んであげられなくて。
1か月お腹にいてくれてありがとう。
またいつかママとパパのところにきてくれるかな?
今度はお顔みせてね。





Name: ふねこ    ..dion.ne.jp
Date: 2015/03/30(月) 22:06
  返信  引用  編集 
Title: 4度目 9週 稽留流産    
2009年11月 稽留流産のため手術。
2010年3月 自然流産。
原因は高プロラクチン血症と言う事で、テルロンを飲みながら3度目の妊娠に向けてチャレンジ。
2011年4月、2013年5月に出産することができました。

主人も私も3人兄妹なので、子供は3人欲しいと思い2014年5月から不妊治療を始めました。
今まで通っていたクリニックは先生の都合でなくなってしまったので、新しいクリニックに転院しました。

しかし、今回は多嚢胞性卵症と診断されて、ホルモン注射とタイミングで妊娠したものの、11月に自然流産しました。

少し間を空けるつもりでいたのですが、生理がこないまま2015年3月に9週で稽留流産となりました。
6週の時と7週の時には心拍も確認して、母子手帳ももらってしまいました。
エコーで元気に動いていた心臓が、私が見てわかるほどゆっくりで、先生が「ご主人呼んでください」と言った時、覚悟を決めたつもりでしたが、主人がきて、再度エコーを見ると赤ちゃんの心拍は止まっていました。
先生の「子宮内胎児死亡です」という言葉だけが頭からはなれませんでした。

手術は二度目でしたが、手術中も麻酔が効いているなか「赤ちゃん…赤ちゃん…」と言っていたみたいです。

私には2人子供がいますが流産経験は今回で4回目です。
3人目が欲しいというのは我儘なのでしょうか。
またどこまで不妊治療を続けたら諦めがつくのでしょうか。
次の妊娠もまた流産したら…
何回流産したら私はいいのですか…
なんで私ばっかりとグルグルしてしまいます。






Name: モッチイママ    ..spmode.ne.jp
Date: 2015/03/30(月) 10:24
  返信  引用  編集 
Title: 初期の自然流産    
もう20年以上前のことです。
最初の子供が1歳半をすぎた頃です。
生理が遅れているなと思っていましたが、主人が急遽入院、検査に明け暮れて、バタバタと動いている状態でした。

出血が始まったので「遅れていただけか」と思いましたが、出血が増えないまま1〜2日すぎたので、さすがにおかしいと気づいていました。
しかし、その日も外部の病院へ主人の検査のために出かけていましたので、自分の体のことは後回しになっていました。
夕方、台所に立っていたときにいきなり大量の出血が有りました。近くの産婦人科医で処置してもらい、一晩入院しました。

妊娠初期の自然流産と言われ、胎児は小指程度の大きさでしたと言われました。
「染色体異常によるもので、可哀想だけど赤ちゃんに産まれてくるだけの力がなかったんですよ。」
めまぐるしい事態に感情が追いつかず医師の言葉を淡々と聞いていました。

翌朝、母が上の子をつれて医院にきたときに、子供の顔を見て初めて涙がでました。
もう2年頑張れたらこの子くらいになっていたかもしれないと思ってかわいそうで泣けました。

自分が流産して初めてわかったのですが、この自然流産の経験者は身の回りに結構いるのです。
会社の人の中に「私もそうだった」という人が何人かいました。
忙しさに紛れて、その後、当たり前のようにふだんの生活に戻りましたが、むしろそれで良かったのだと思います。

普段は忘れていますが折に触れて思い出します。
思い出すのはきっと母親だけでしょう。
その後2人の子を授かり、もう、みな大きくなりました。
亡くした子はわたしの一部なのかもしれません。
そして私は今の自分がやるべきことをやるだけです。





Name: キョウちゃんママ    ..cts-net.ne.jp
Date: 2015/03/28(土) 23:31
  返信  引用  編集 
Title: 7週 進行流産    
待望の第2子。
上の子の時ほど、つわりもひどくなく、育児に仕事に家事に…とふつうに過ごしていました。

7週に入ってすぐ、茶色のおりものが。
それがピンク色のおりものに変わり、下腹部痛もあって、不安を感じながら、翌日、もともと予約を入れていたので受診。
赤ちゃんの心拍は確認できました。

この子は強い子かも。
強(キョウ)ちゃん。
単純だけど、そう名前をつけました。

「出血があっても元気に育つこともある、ただ、流産となったら止められない。薬を飲んでも安静にしても止められない」
そう言われました。

翌日、仕事に出ましたが、徐々に出血と激しい腹痛。
娘の保育園のお迎えを義母にお願いして、夕方に受診しましたが、赤ちゃんの心臓は動いていました。
赤ちゃんが出てきたら、包んで持ってくるように言われました。

痛みのなか、うとうとと眠りにつきました。
朝5時、なにかが流れ落ちる感覚がして、目を覚ましました。
トイレで出血。
赤ちゃんが便器の中に落ちるのが怖くて、トイレットペーパーをあてて、床にしゃがみこみました。
そしたら、血の塊とともに赤ちゃんが出てきました。
1センチくらいの透明な膜のなかに、白っぽい赤ちゃん。
エコーで見た大きさと一緒でした。

最期まで心臓を動かしてくれてたのに、私の体が出血と痛みで、赤ちゃんを追い出してしまった。
そう思いました。

安静にしても意味がないからいつも通りに、と言われたけど、
仕事に行かないで安静にしていれば、今頃まだお腹にいてくれたかも。

お腹の中で育ててあげたかった。

病院に行くと、赤ちゃんは内容物と呼ばれ、ケースに入れられて、検査に出されました。
悪いものではないか調べるそうです。
せっかく私のお腹にきてくれたのに、お腹で育てることも、傍にいてあげることもできなかった。
ただ、ただ、受け止めただけ。

本当にごめんね。
ごめんね。





Name: こと    ..hi-ho.ne.jp
Date: 2015/03/23(月) 10:47
  返信  引用  編集 
Title: 2人出産後、3度の流産・死産    
上の二人は順調に出産に至り、年齢もあったので、早めに3人目を望んでいました。

1度目は14週で死産しました。
お腹の中で心拍が止まってから1か月近くいたにもかかわらず、検診まで気づきませんでした。
その処置を受ける前に陣痛が始まり、そのまま死産となりました。

お腹が冷たかったり、つわりがなくなったり、足がむくんだり、思い返せばいろいろ兆候があったようにも思います。
仕事もしていたし、上の子のママ友もいて、たくさんの人が妊娠を知っていて、それを伝えるのはつらかったです。

その後いろいろあり、仕事も辞めて専業主婦になりました。
2度目は胎胞のまま、心拍は一度も確認できずにそのまま自然流産しました。

2人を順調に出産しているのもあって、1度目も2度目も胎児側の問題だろうと、母体には何も問題ないと思って夫を説得して再度妊娠しました。

3度目、毎日不安でしたが、今度こそ大丈夫、大丈夫となるべく安静に過ごしていました。
14週に入るところで真夜中に寒気が止まらず、どうしても不安で、その翌々日に早めに検診をしたところ、心拍が数日前に止まっているということで、今度は数日間入院し、処置をして人口死産となりました。
まさか続けてこんなことが起こるとは思わず、PTAの活動などもあり、もうすぐ安定期というのもあって、自転車に乗ったり、雨の中歩いたり、気を抜いてしまった自分を責めても責めきれません。
まだ安定期にも入っておらず、前回のこともあり、まわりには極力知らせずにおこうと思っていましたが、上の子のPTA活動などで突然何かあっても迷惑がかからないようにと最小限に伝えてしまっていました。
妊娠してからつわりもひどく、上の子の世話もあまりできず、寝てばかりで、死産に至るまで、まるで悪い夢を長い間見ていたような気分です。

3人目ということと、年齢もあり、実母にも諦めろと言われ、夫も口にこそ出さないもののもうこりごりだと思っているように感じます。
私自身も死産する前は今回は最後のチャンスと思っていました。
でも自分を納得させる言葉が自分で見つかりません。
また赤ちゃんが来てくれたらと思えたらいいのですが、私以外はそれを望んでいないと思うと、どう自分を慰めれば良いかわかりません。
はたから見たら、二人子供がいて、私は十分幸せそうに見えます。多くを望みすぎに思えます。
でも子供を失ったことはとても辛いです。
今度こそ抱っこしておっぱいをあげることをずっと楽しみにしていました。死産した赤ちゃんは二人とも男の子でした。
もうすぐ春休みです。子供たちが家にいます。
私はいったいいつ亡くなった赤ちゃんのために泣けばいいのでしょうか。
嘘みたいに幸せそうな家の中にいて、気が狂いそうです。





Name: きょうこ    ..panda-world.ne.jp
Date: 2015/03/13(金) 04:02
  返信  引用  編集 
Title: 子宮内胎児死亡    
2人目の妊娠判明。
2人目を意識し始めてすぐに出来た子で、何もかも順調で驚くほど早いスビードで成長を感じていました。
普通に検診に行って我が子の成長をみて、家族で喜んでいた日々に急にやって来た絶望の知らせ。

4ヶ月にはいった検診でお医者さんから「赤ちゃん、心臓が動いていない。お母さん確認して」とエコーを見たあの瞬間のことは、鮮明に覚えています。
信じられない、信じたくはないと思っていても、別れは早いもので次の日には手術。
自然分娩でうんであげられたことは私にとっても嬉しかったし、わずか10g、7pしかない小さな我が子をみて、可愛いくて可愛くて仕方がない反面、なぜこんなにも早い別れなのか、大きく成長させてあげられなかったのかという悔しさがこみ上げてきてたまりません。
明日は火葬、お空に帰ります。
また、私達家族の元に帰ってきてくれる日を信じて。






 
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