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   38週 臍帯巻絡にて死産 ....   
   9週・11週 原因不明   
   胎児水腫 17週 死産   
   38週原因不明死産、10 ....   
   夫が染色体異常7・8番 ....   
   胚移植後の流産   
   17週3日 死産   
   人工死産、流産   
   7週 完全流産   
   14週 人工死産   

Name: Mママ    ..bbtec.net
Date: 2016/05/12(木) 09:51
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Title: 38週 臍帯巻絡にて死産    
38週で第一子の娘を臍帯巻絡で死産しました。
順調に臨月に入り、いよいよ赤ちゃんに会える!と喜んでいた矢先、今日は胎動が少ないなぁと感じましたが、臨月に入ると胎動は少なくなると聞いたことがあったので、あまり心配せずに就寝しました。
そして、朝起きると、胎動が全くないことに気が付きました。
病院へ電話して、夫に付き添ってもらって病院へ向かいました。
看護師さんがすぐにNSTをとってくれましたが、心音が取れず「先生を呼んできて」と聞いたときは、嫌な予感がしました。
院長先生がきて超音波検査をしましたが、いつも見ていた様子と違い、しばらくして「残念ながら心臓が動いていません」と告げられました。

頭が真っ白になり震えが止まらず、何も返事ができませんでした。夫が部屋に通され、顔を見たら涙が溢れてきました。
悲しみに浸る間もなくすぐに処置が始まりました。
突然娘を失って絶望の中で、私は陣痛に耐えられるのだろうか。怖くてたまりませんでした。
そんな中、助産師さんが「しっかりしなさい!辛いけど、ちゃんと産んであげて。お母さんに会いたがってるよ!」と言われ、私が今この子にできることはちゃんと産んであげることなんだって決意できました。

しばらくして陣痛がきはじめ、促進剤を使って次の日に娘を産みました。
もっと時間がかかると言われていたのに、娘が私の身体に負担をかけないように最後に頑張ってくれたんだと思います。
やはり産声はあげてくれませんでしたが、とても可愛くて愛おしくてたまりませんでした。
ずっと会いたかった我が子を抱きしめることができました。
まだ温かくてずっしりした重み。
お風呂に入れて手と足形と家族写真も撮ってもらいました。

病室では、夫と私の両親が心配してずっと待っていてくれていました。泣きながら娘を抱っこしている姿をみて、初孫なのにこんな思いにさせてしまって申し訳なくなりました。
やっと会えた娘を数日で火葬しなければいけないのが、人生で一番辛く残酷なことでした。
何度も何度もごめんねと謝り、泣き叫びました。
あの日のことを思い出すだけで胸が張り裂けそうです。

この2ヶ月間、毎日涙が止まらず悲しみと苦しさでいっぱいでした。あのときもっと早く病院に行っていれば助かったかもしれない。どうして気付いてあげられなかったんだろう。
お腹の中で元気に動いていた娘はもうどこにもいない。

でも、いつまでも悲しんでいたら娘が天国で安心して暮らせないと思うようになりました。
その小さい命をかけて大切なことをたくさん教えてくれました。
それを無駄にしてはいけない。
娘のことは一生忘れることはできないし、思わない日はないですが、いつかまた私たち夫婦のもとに戻ってきてくれることを信じて、前を向いて頑張っていこうと思います。

この掲示板をみて、私はひとりじゃないんだと励まされました。
同じような辛い経験をした方の少しでも力になれますように、私も掲載させてもらいました。





Name: もも    ..ocn.ne.jp
Date: 2016/05/08(日) 18:32
  返信  引用  編集 
Title: 9週・11週 原因不明    
流産だけでなく、主人のことも信じられなくなりました。

2014年12月に初めての妊娠。
でも、1月、稽留流産で手術。
15年5月に2度目の妊娠判明。
7月に進行流産。11週でしたが陣痛があって、本番と同じように、助産師さんと呼吸を合わせて産みました。
11週なのに、出産。
あの痛みと苦しみは今でも覚えてます。

不育症の検査(とりあえず、保険がきくもの)では異常なし。
本当は、原因がわかってほしかった。
そうすれば3度目は対処できるから。

そんな時、主人の妹が妊娠。
私は、彼女のことが好きです。とても良い方です。
でも、お腹が大きくなった彼女と会った時、とても辛かった。
初めての妊娠で、つわりが無いまま安定期を迎え、今も順調な様子。
私はつわりが酷く、ガリガリに痩せてしまったのに。
何で初めてなのに順調なんだろう?
本当に、辛かったし、泣きたかった。
でも、妊婦を目の前に、泣くのは失礼だと思い、必死にこらえてました。
彼女のこと、嫌いなんじゃないんです。
結婚して身内になったのもご縁だし、本当に良い人。
一生付き合いたいと思ってます。
でも、本当は辛かったことを主人に言いました。
そしたら、「(私が流産したのも、妹が順調なのも)仕方ないじゃないか!」の一言。
その後も泣いてる私に向かって「いつまでも止まってるんじゃない。進むしかないだろう?!」
刺し殺そうかと思いました。
妹には「無理するなよ」って言うのに、私の時は「実感無いなー」「休みの日は暇だから、ドライブ行こう」とか。
仕方無いのは私が一番わかってる。
流産は、染色体異常だから。
もともと生まれる命ではない。弱いから。
順調なのは赤ちゃんが強いから。生まれる命だから。

前に進まなきゃいけないって思ったから2度目の妊娠にもチャレンジした。不育症の検査を受けた。
私の今までの行動を全否定された。
行動どころか、私の存在を全否定された気分。
嘘でもいいから「辛かったね。俺も辛い」って言ってほしかったのに。

痛い、辛い、苦しい思いをするのは必ず私。
主人は所詮他人。神様は不公平。そもそも神様なんていない。
苦しんだ後は良いことが待ってるなんていうのも嘘。
もう、そんなことまで思うようになってきました。

いけない、いけないって、思ってるのに、まだまだ、心が折れたまま、毎日必死です。





Name: ことちゃんママ    ..home.ne.jp
Date: 2016/04/19(火) 00:28
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Title: 胎児水腫 17週 死産    
12週の検診までは順調でした。
もう少しで安定期に入って妊娠生活を楽しもうとしていた矢先、16週の検診で胎児水腫と診断されました。

情報を集めれば集めるほど、ほぼ絶望的な状況であることが理解され、その中でもわずかな可能性にすがりたい思いで3日後に受けた診察で心配停止が確認され2日後に入院。
分娩と掻爬手術を受け、ようやく母体だけ自宅に戻ったところです。

胎児水腫の診断から1週間で胎児死亡と、手術まで一気に進んでしまい、気持ちも身体も全く追いつきません。
明日火葬が終われば、ようやく息子を自宅に連れて帰ることができ、今はただそれだけが心の支えです。
60g、13.5cmの小さな息子でした。
確定診断はしてませんが、口唇裂があり何らかの染色体異常が原因だろうとのことでした。

産んだ後、小さな紙箱の棺を抱いてあげました。小さくて水腫がひどく全身が水膨れで柔らかいため、少し揺らすだけでも形が崩れてしまいそうなほどの脆さでした。
それでも私が産んだ可愛い息子です。
腕の中に抱いてあげられたことで少しだけ気持ちが安まる思いがしました。

産声をあげないこどもを産むのは本当に辛い体験です。
それでもこの子のおかげで当たり前に感じていた命が、どれだけ尊く奇跡の賜物であるか、心から理解することができました。
沢山のことを教えてもらい私のお腹に宿ってくれたことを本当に感謝しています。
主人や両親も悲しみ気遣ってくれて感謝していますが、やはりお腹に存在したこどもを突然失った気持ちを心から理解してもらうことは難しいと感じることもあり、同じ経験をもつ女性と繋がることができるこの掲示板に救われています。

明日火葬になり肉体は消えてしまいますが、お骨を連れて帰ってちゃんと供養し、心の中で息子と繋がり続けたいと思っています。





Name: 引越し&退職します    ..au-net.ne.jp
Date: 2016/04/13(水) 09:19
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Title: 38週原因不明死産、10週心拍確認後繋留流産    
もうすぐ丸2年になります。

毎日家族で名前を考え、心待ちにしていた女の子は、翌日の健診前、朝から胎動が感じられず、ようやく生まれるのかなと思い、仕事をしていたところ、夕方病院に行き、亡くなっていることが分かりました。

臨月に入ると、胎動が感じにくくなるという、ネットの記述を、鵜呑みにしていました。


再婚後、会社に迷惑を掛けにくい時期にとしばらく待ってから妊娠し、上の子供達とは歳が離れていました。

病院に行く際、軽い気持ちで、上の子供達は置いて、戻って一緒に晩御飯を食べるつもりで車で行きました。

夫は運転ができないため、産後三日後、火葬場に行くためにその停めたままの車は、夫のお父さんが新幹線で来て運転してくださいました。

月命日にお花を買う習慣は、1年後にやめ、不妊治療に通っています。

死産のその日から、帰ってきてほしいと思い続け、いまだ戻ってきてもらえていません。
数週間だけ一度来てくれました。

私と夫は、夫が結婚後、数年経ってから取ってくれた結婚休暇のおかげで、産後、毎日泣くことができました。

上の子供達の傷は癒えず、中学生は精神病院に入院後不登校で、小学生は元の夫のうちに移り住みました。


もし赤ちゃんが戻ってきても、家族は元には戻りませんが、やはり会うことができるのであれば、会いたいなと思います。





Name: あおい☆しましま    ..bai.ne.jp
Date: 2016/03/24(木) 22:38
  返信  引用  編集 
Title: 夫が染色体異常7・8番の転座    
現在、夫41歳、私36歳、2歳の息子がいます。

2007年2月、27歳のとき、6週心拍確認前に進行流産

2012年1月、32歳で、8週での稽留流産のため手術
抗カルジオリピン抗体IgM陽性の抗リン脂質抗体症候群が原因とわかる

2013年4月、33歳。
骨盤位の帝王切開手術で生児誕生

タイミング法(排卵誘発剤無)ルトラール錠、アスピリン錠、ヘパリン自己注射
8週で出血があり、切迫流産の診断。
妊娠8ヶ月から切迫早産のリドトリン点滴のため1ヶ月の入院。

今年に入り、次の妊娠に向けて不育症の再検査中です。
今結果が出ている中では
抗カルジオリピン抗体IgM陽性
TSH7・5(基準5)
抗サイログロブリン抗体130(基準28)
2月25日よりチラーヂン錠内服

夫が染色体異常7・8番の転座

過去2回の流産が私だけのせいではありませんでした。

遺伝子カウンセリングも受けました。

夫の染色体異常が7番8番の転座。
遺伝子カウンセリングの先生が、7番8番が大きく転座しているので、この番号で受精しても、流産にいたり、障害を持って出産まで育つ確率は少ないでしょうと。

リスク無しの妊婦で流産確率2割。
染色体異常では流産確率7割。

うちの例でも、3割は出産するので、タイミング法で自然妊娠するのを待ち、まずはそこからスタート。
私の膠原病の抗リン資質抗体症候群や、甲状腺の橋本病を、
ヘパリン自己注射、アスピリン錠、チラーヂン錠で治療しても、
流産するときは、夫の染色体異常で、初期に流産するとのこと。

16週までに羊水検査を経て妊娠継続できたら、染色体異常で流産する可能性は低い。

羊水検査なら、夫と同じように、赤ちゃんに染色体異常の転座があって保因していても、生きられる染色体異常の転座を保因しているのかどうかがわかると説明を受けました。

今までに2回流産して、3回めでヘパリン自己注射とアスピリン錠で出産。
このときは、夫の染色体異常の転座は知らなくて、生まれてくれた。
この3回めの妊婦が出産にいたったことが、確率の結果のようです。

これから妊娠チャレンジするにしても、確率でいうと流産は7割。
何回か妊娠して、何回か流産する。
そして、何回かに1度は出産する。
私は何回流産に耐えられるの?
本当に流産が怖いです。





Name: 広美    ..au-net.ne.jp
Date: 2016/03/20(日) 02:21
  返信  引用  編集 
Title: 胚移植後の流産    
顕微授精後、胚移植、3回目の妊娠でした。
陽性反応が出た時は主人と涙して喜び、6週目で胎嚢確認。
7週目には、かわいくも一生懸命動く心拍確認。
8週目さらに成長したあなたに感動していました。

8年ぶりの妊娠。
パパも8歳のお姉ちゃんも待ち望んだ赤ちゃん。
嬉しくて、嬉しくて毎日あなたが加わっての楽しい生活のことを話していました。

今日は、不妊治療の病院の卒業の日。
先生に紹介状を書いてもらって、次からは新しい産院で妊婦健診が始まる、お姉ちゃんも喜ぶだろうなと期待をしながら、いざ、診察室へ。
一瞬にして底に突き落とされました。
私の赤ちゃんは?
今日、大きくなった赤ちゃんを見る為に来たのに。
流産手術の話なんて聞くためにきたのではないのに。

まだ私のお腹の中には心拍が消えた赤ちゃんがいます。
お姉ちゃんもパパもみんなで泣きました。すごく会いたかった。
楽しみにしてたんだよ。名前も決めてたんだよ。
守ってあげられなくてごめんね。小さい体できつい思いをしていたんだね、ママ気付いてあげられなかったね。
ごめんなさい。またお腹にきてくれるかな?
おこりんぼママと、能天気パパと、お調子者のお姉ちゃんもいるよ。
みんなで待っているからね。
元気一杯のあなたに会える日を楽しみにしているね。





Name: さき    ..au-net.ne.jp
Date: 2016/03/18(金) 11:00
  返信  引用  編集 
Title: 17週3日 死産    
息子を自然分娩で出産して3日が経ち、今もまだお布団の上でサイトをみつけ投稿しております。
昨日、埋葬を終え、供養しました。

わたしの今回の原因は、恐らく子宮内が感染症を起こしていることでした。白血球が2万を超える異常な数値。
お腹の強い張りを感じた2日後、息子は天国へ行きました。

初めての妊娠、5ヶ月に入って安定期だと言うことに安心し、まさか自分がこのような経験をするなど思ってもいませんでした。
血液検査で白血球の異常がわかり、即入院となりました。
抗生剤の点滴と服薬するも、お腹の張りがおさまることはなく、初めてのわたしでさえ、このときすでに子宮が収縮を繰り返していることがわかりました。
軽い陣痛のようなものでしょう。
それからすぐに破水し、息子は、助からない。難しい。と医師から説明を受けました。
自分が破水してしまったこと、医師が言っていること、すべて頭の中で理解ができ、それからは、涙が止まることはなく、病室でひたすら泣き続けました。

翌日、陣痛促進剤を4錠定期的に服用し、8時間後に泣くことのない息子をうみました。
今でも、陣痛の痛み、分娩台に乗ったあのとき、思いかえすと、わたしは、息子を出産できたんだと実感できます。
息子は、亡くなったままではありましたが、陣痛を味わえたことで、わたしがこの子を産んだ証は消えません。
息子にありがとうの気持ちでいっぱいです。

翌日、たくさんのお花に囲まれ、息子を火葬しました。
生んだ直後に比べると、息子は、口元が少しゆるくなり、まるで微笑んでいるようでした。
息子は、天使のようでした。
可愛くてしかたなく、たくさん写真をとりました。今もなんども写真を見返しています。
綺麗で可愛くて、こんなに愛しくて、あたしの大切な一人息子です。

息子を空へ見送りました。

天気がよく、とても空が綺麗でした。だから、きっと息子は、無事に天国でひいおばあちゃんやおばあちゃんにあえていると思うんです。
うまく自己紹介できているかな?
りくと、と、名前をつけました。

きっとあたしに似て恥ずかしがり屋さん。
でもパパに似て、しっかりしていると思います。
息子はきっと笑って過ごしていると信じています。
あたしをママにしてくれてありがとう。
これからもわたしの息子でいてください。

またいつか、たくさん抱っこして、たくさんお話しして。
そんな日を楽しみに、これからわたしは生きていきます。息子がわたしたちに残してくれたかけがえのないものと共に。





Name: h.y.i    ..catvnet.ne.jp
Date: 2016/03/18(金) 02:14
  返信  引用  編集 
Title: 人工死産、流産    
付き合って間もない彼との間に出来たあかちゃん。
親には当初反対されましたが、籍を入れ、月日とともに周りにも受け入れられつつあったとき、検診で首のむくみを指摘されました。
染色体異常の可能性が高く、羊水検査をしましたが、結果は違いました。
しかし骨が発達しない病気であることがわかり、生まれても長く生きられないため諦めるという選択もあると言われました。

泣き続け、私たちが決めた結果は死産でした。
5ヶ月になっていました。
陣痛を起こして普通分娩で出産した小さな我が子は、小さい以外なにも変わらない、普通の男の子でした。
しかし、先生から見るとやはり胸囲が小さかったようでした。

その後3ヶ月で次の妊娠をしました。
心配ばかりでしたが、あかちゃんは順調でした。
もうすぐ6ヶ月というとき、私は脳出血を起こして倒れました。
何年も前から脳に腫瘍があったらしく、そこからの出血でした。

幸い軽度のもので意識はありましたが、それ以上の出血を抑えるための薬を入れながら妊娠を継続するということ、また、妊娠した体で頭の手術をするということが、今の医療では未知の世界だとの説明を受けました。
また、出産まで私の命が持つという確証もなく、主人や親、みんながあかちゃんを諦めるように諭しました。
死んでも産む、と言っていましたが、残された側の気持ちを考えると突き通すことが出来ず、結局私は諦めることを自分で決めました。

普通分娩に耐えうる体ではないので、全身麻酔の帝王切開で男の子をうみました。
火葬にも立ち会えず、私は1週間後に開頭手術を行いました。
大きな後遺症もなく終わりました。

そして10ヶ月後、妊娠しました。
しかし1ヶ月で流産しました。
腹痛の中でそのまま出てきてしまいました。
先生に言われていた期間より早く妊娠したから帰ってしまったのだろうか、と自分を責めました。

もうしばらくは子供を作らないでおこうと考えていましたが、4ヶ月後、私はまた妊娠しました。
驚きと、嬉しさと、何よりも不安でした。
母子手帳をもらっても、大丈夫と言われても、安定期に入っても、胎動を感じてもずっと不安でした。
7ヶ月のときパートを辞めたとたんに切迫早産になり2ヶ月入院しました。
38週で、予定帝王切開で男の子を出産しました。

この子は、私たちを夫婦にしてくれた1人目の子と、
私の病気を知らせてくれた2人目の子と、
私に休むよう教えてくれた3人目の子、
みんながいたからうまれた命です。
いまでもこれで良かったのかと思うときがあります。
でも、すべては自分で選択してきたことです。
間違っているという人もいるでしょうが、私にこれからできることを与えられた命で全うしていかねばならないと思っています。





Name: はれママ    ..home.ne.jp
Date: 2016/03/12(土) 17:57
  返信  引用  編集 
Title: 7週 完全流産    
第二子を望んで、しばらくしてから検査薬で陽性反応。
5週で病院にいくと胎嚢が確認できず、子宮外妊娠が疑われると言われ、不安な日々を過ごして3日後に再診。
胎嚢が確認でき、電話で主人に報告したときは嬉しくて涙があふれ出ました。

毎日お腹の赤ちゃんに「愛してるよ」「順調に育って生まれてくるんだよ」「パパもお姉ちゃんもみんな待ってるよ」などと話かけたり、家族4人になる生活を想像しながら幸せな日々を過ごしていました。

その1週間後の夜、鮮血の出血が始まりました。
流産という言葉が頭をよぎり、ネットでいろいろ検索して、自分は腹痛がないし出血もそこまで多くないから大丈夫、お腹の子にも「がんばれー!しがみついてるんだよ」と何度も声をかけました。

翌朝診察し、まだ子宮内に赤ちゃんがいることが確認できたときは、とても安心しました。
安静指示のため主人に家事や子守をまかせ、なるべく横になっていました。
しかし出血は一向に止まらず、増える一方。
もうだめかもと思いながらも、きっと赤ちゃんも頑張ってくれると信じました。

翌朝ズズズッとお腹の中で何かが降りてくる感覚があり、目覚めると、陰部に少し痛みと違和感を感じました。
トイレに行き座ろうとした瞬間、するっと塊が出てきました。
ふわふわの膜に包まれたそれは、すぐに赤ちゃんだとわかりました。
そのときはなぜか冷静にその子を手に取り、自然と「がんばったんだね」「えらかったね」と声をかけている自分がいました。

主人は会社に行ってしまったあとだったため、すぐに電話をかけて、赤ちゃん出てきちゃったと伝えた瞬間から涙が止まらなくなりました。
その後娘が起きてきて、1歳になりたてで言葉もまだ話せないのに状況がわかっているのか、しばらく大泣きしていました。
「ごめんね、赤ちゃん出てきちゃったの」と伝え、娘を抱きしめました。

出てきた赤ちゃんを持って病院にいきました。
子宮内はきれいになっているため手術は必要ないとのことでした。病理に出した赤ちゃんは返してもらえないかと聞きましたが、それはできないとのことでした。

帰りにお花を買って帰り、家族の写真の横に飾りました。

まだ、ここ数日のことのため、現実を受け入れられていません。
目覚めるたびに夢じゃなかったんだと思ってしまいます。
思いつめて辛い時間のほうが多いのですが、
赤ちゃんは一旦お空にかえっただけでまた戻ってきてくれると前向きな気持ちになれるときもあります。

短い間でしたがお腹にいてくれた赤ちゃんはたくさんの幸せをくれました。そして命の尊さを教えてくれました。
主人、娘をこれからも大切に思い、お空にいった赤ちゃんが戻ってきてくれるのを家族で待とうと思います。





Name: のりママ    ..bbtec.net
Date: 2016/03/07(月) 23:11
  返信  引用  編集 
Title: 14週 人工死産    
初めての妊娠は悪阻もほとんどなく、順調でした。
次年度の仕事の相談や、産前産後の生活など、少しずつ準備を進めているところでした。
2回目の検診で、お腹の上からのエコーが見づらく、超音波検査の内診をしていただいたところ、赤ちゃんの頭部に異常が見つかりました。
無脳児の可能性が高いということで、すぐに人工死産を勧められました。
いろいろ考えた結果、セカンドオピニオンとして、別の病院でも見ていただきましたが、同じ診断でした。

赤ちゃんのためにも、自分のためにもと納得して赤ちゃんとお別れすることになりました。なんだか悪い夢を見ているような気がしました。夢ならいいのにと、何度も思いました。

入院前には、病院の助産師さんが赤ちゃんとのお別れの準備なども丁寧にご指導くださいました。
そのおかげで、落ち着いて入院の日を迎えられました。
陣痛促進剤を使ってから約8時間後、予定日より6ヶ月も早く赤ちゃんと対面することになりました。
かわいい男の子でした。
私や夫のこと、病院の先生や看護師さん、助産師さんのことも考えてくれたのか、早く産まれてきてくれました。

赤ちゃんは無脳児、脊椎も上手に形成されていませんでした。
でも、にっこり笑った口元と鼻筋は確かに私たちの面影を宿していました。
前日に作った洋服を着せ、布団に寝かせてあげました。
助産師さんにとっていただいた手形足形は大切な宝物です。
分娩当日は安心感と疲労で早く寝てしまいましたが、次の日からは喪失感で押し潰されそうでした。
幸い夫が仕事を休んでくれ、母と妹も駆けつけてくれたので、心強かったです。
1週間後に、仕事に復帰しました。
仕事をしている間は、辛さから逃れることができます。

なぜ私たちなのだろう、真っ直ぐ生きてきたのに何がいけなかったのだろう、などと考え、ネガティヴになってしまうことも多いです。
妊婦さんを見て羨んでしまう自分に嫌気がさすこともあります。
身体は回復していますが、こころの回復にはまだ時間がかかりそうです。
周りは、もう大丈夫そうだね、とか、次がんばりなさいなどと言います。何も言わない人も、きっと私はもう平気だと思っています。
周りに甘えられず、弱みを見せられないので、ここに書き込みたいと思います。






 
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