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   8週・7週  稽留流 ....   
   15週 前期破水   
   早期流産   
   5週 稽留流産   
   9週 稽留流産    
   9週 自然流産   
   一卵性双子 27週で ....   
   13週5日での出血破水 ....   
   13週 流産 臍帯過捻転 ....   
   2度の初期流産   

Name: あーしゃ    ..so-net.ne.jp
Date: 2016/11/04(金) 17:54
  返信  引用  編集 
Title: 8週・7週  稽留流産    
第二子を希望し、2015年夏に自然妊娠。心拍確認ののち、8週で稽留流産しました。
10月に掻爬手術を受け、少し休んだ後、再び妊娠を目指しました。

なかなか授からなかったので、翌年9月から不妊治療のクリニックに通院を開始。
その1周期目で妊娠しました。
心拍確認しましたが、その後7週で稽留流産。
11月2日に掻爬手術を受けました。

2回続けての流産。
なぜか頭はしんと静まり返っており、
流産が分かった日に家族みんなで泣いて以来、涙が出てきません。

辛い、悲しいといった感情はどこへいってしまったのでしょうか。
私はおかしいのでしょうか。





Name: まるみ    ..so-net.ne.jp
Date: 2016/11/02(水) 19:02
  返信  引用  編集 
Title: 15週 前期破水    
10月24日未明に、15週の男の子を亡くしました。

1週間ほど前に、夜中に水が垂れるような感覚で目を覚ましました。
起きてみるとナプキンがぐっしょりと湿っており、
尿とも違う匂いがしました。
生臭いような匂いに、破水を疑い
次の日の朝1番に病院にかかりました。

経膣エコー、経腹エコーで確認、
羊水検査もしましたが
羊水の量に異常はなく、また羊水検査でも
反応は微妙なところでした。
しかし、大事を取って入院となりました。

1週間の入院でも羊水の量に変化はなく。
経過も順調で、そのうち退院できるという話をしていた矢先でした。

10月24日未明、
ベッドに横たわっているとき
ぐぐっとなにかが下がってくる感覚がありました。
大変なことが起こった、と思い
叫んでしまわないようトイレに向かい
ショーツを降ろした瞬間でした。
赤ちゃんの頭が出てきてしまっているのが
見えました。
頭と、小さな小さな手。
初めて直接みた大事な赤ちゃんは、
もう私のお腹の中には居ませんでした。

その後、叫びながら処置室に運ばれました。
ずっと泣いていました。
全部出てきてしまっていたので、
あっという間に処置は終わりました。
ほぼ痛くもないまま。

あれから1週間が経ちます。
まだ火葬も終わっておらず、
起きたことを現実として受け止められません。
私の大事な大事な赤ちゃんは
助けてあげることができなかった。
病院にも早めにかかっていたのに。
どうして?という気持ちが湧いています。

今はこの悲しくてつらい気持ちを
抱きしめていくしかないとわかっていますが、
1日がすぎるのがとても遅く感じます。

また、会いたい。
そう思います。
また来てくれるのか、とても怖いです。
でも私はまた赤ちゃんに会いたいです。

夜中のトイレで受け止めたあの子は、
その後きちんと紙でできた棺に入れてもらいました。
最後に会わせていただいたとき、
夫の顔にそっくりで少しふしぎに思いました。

身体と心をゆっくり休めて、
いつか、また、赤ちゃんに会いたいと思います。





Name: るぅ    ..ocn.ne.jp
Date: 2016/10/17(月) 14:33
  返信  引用  編集 
Title: 早期流産    
私は9年前、2人目の赤ちゃんが3ヶ月で天国へ行きました。

当時、1人目の育児におわれ、充分に涙を流すことが出来なかった様に思います。
悲しみを隠し、育児、家事、仕事に無心に毎日を過ごしました。

9年経った今、悲しみが一日も消えたことがなかったのだと、「ポコズママ」の冊子を偶然手にする事ができ拝読し、実感しました。

私は自身の子どもを亡くし、亡くなった経緯は違いますが、父親、母親、親友を相次いで亡くしています。

今はまだ「大丈夫」と言えません。
私の中で大切な人の死は乗り越えられるものではない、乗り越えるものでもないと思うから「乗り越えた」とも言えません。
でもいつか「こんなに悲しいのは、苦しかったのは、みんなを心から大切に想っていたからだ」って笑い泣きの顔でも良い、言える様になりたい!そう思っています。





Name: ぴあ    ..yournet.ne.jp
Date: 2016/09/29(木) 04:24
  返信  引用  編集 
Title: 5週 稽留流産    
35歳でやっと妊娠しました。
2015年10月に陽性反応がでたので、少しドキドキしながらも産婦人科に。
検診で動いているのを見た時は、まだ人の形にはなっていませんが生きてる!と感動したのを覚えています。

ある夜、突然フッとお腹が寂しくなった気がしました。
まさか、と思いながら検診を受けると、あんなに元気に動いていたのに、ピクリとも動いていませんでした。
手術をするまで実感もなく、病院で検診を受ければ、また元気に動いているでは?とさえ思いましたが、そんな事はなく、2015年11月末に手術をしサヨナラしました。

今回は妊娠出来る体だとわかったからいいじゃない。
ジャンクフードやカフェイン控えて、体を作っていけばまたそのうち妊娠できるよ、と、前向きに考えてはいます。
ですが、ふとした時に思い出し今でも悲しくなります。
何が原因だったのか、私の日頃の行いが悪かったのか、これから先私は妊娠できるのか?旦那さんに子どもを抱っこしてもらえる日がくるのか…年齢を考えると不安で仕方ありません。





Name: ボウル    ..mesh.ad.jp
Date: 2016/09/28(水) 09:53
  返信  引用  編集 
Title: 9週 稽留流産    
9週の検診で赤ちゃんの心拍が止まっていました。
その時の病院の対応が酷かったです。

6週で胎嚢確認、7週で心拍確認できましたが、
私が、基礎体温から想定していた週数より1週遅く、
違和感を覚えていました。

そして、心拍停止。
エコーを見ながらあれ?あれ?と言われ、心拍止まってるよと診断されました。
泣き崩れる私をよそに、流産手術のリスクを説明され、有無を言わさず、翌日の朝の予約を取らされました。
その時は、明朝も心拍を確認してから手術だと言われました。

納得できず、その日の内に別の病院でセカンドオピニオンを受けましたが、やはり赤ちゃんはもう亡くなってしまっているとの事でした。

翌朝、その日の診察は院長でした。
すると1秒エコーを確認しただけで、何も説明されず、子宮口を広げる処置をされました。
あまりにショックで大泣きしてしまいました。

本当に心拍止まっていたんですか?と聞くと、「もう形が少し変わってきていたよ」との事。
「人間は傲慢だから、妊娠すると無事に生まれると思っちゃうけど、自然界の一定数は淘汰されるのが摂理だから」と言われました。
流産のリスクなんて分かってる。妊娠したときから、不安に思いながら大事に大事にしてきたんだ!!と心の中で反論しました。

その後、その院長の手術を受けましたが
麻酔で朦朧としながら私はずっと叫んでいたようです。
この病院でなければ、こんなに傷つかずに済んだのに。
命を何だと思っているのだろう。

ちなみに、付き添ってくれた夫はずっと受付前の待ち合いで待たされ、手術後、私本人から連絡がくるまで、何の説明もなかったそうです。





Name: ことのは    ..au-net.ne.jp
Date: 2016/09/05(月) 10:42
  返信  引用  編集 
Title: 9週 自然流産    
二人目を妊娠9週で自然流産しました。

9週目に入る前から少量の出血が続き、一人目の時には感じたことのない漠然とした不安感を感じていました。
その後病院へ行くと、やはりお腹の子供は発育が止まってしまっていました。
後日、掻把手術を受ける為の手続きをして帰宅しましたが、その夜、突然全身の寒気と何かが落ちてくる感覚を感じトイレへ向かおうと歩き出したとき、足を伝って大量の血が流れてきました。「あぁ、これでさよならなんだ」と思いました。
そして血の塊を見るたびに守ってあげられなかった自分に対する無力感。

深夜、病院で麻酔もなく、子宮内に残ったものを掻き出し、本当に肉体的にも精神的にも痛くて、苦しくて、辛かった。
同じ時期に授かった友人は無事に出産してるのに。
周りにどんどん妊婦さんが増えてきて、そのたびに感じる喪失感。でも元気なフリをしていた日々。それが逆に自分を疲れさせてしまっていたんです。

先日、私が落ち込んだ顔をしていると息子が突然私の手を握って顔をじっと見つめてきました。
「大丈夫」って言われた気がしました。
息子が背中を押してくれた。
だから長く暗いトンネルを抜け出そうと、そんな気持ちとはさよならして前に進もうと思います。





Name:    ..so-net.ne.jp
Date: 2016/08/20(土) 00:14
  返信  引用  編集 
Title: 一卵性双子 27週で一児死産。 生後1ヶ月での誕生死    
私はもともと生理不順で、薬で生理を起こしつつタイミングで妊娠しました。病院には2年ほど通っており、待望の赤ちゃんでした。初産でした。

7か月まで何も問題がなく、病院からも普通に出産することもあると話が出るくらい順調でした。
しかし、二つあった胎動の片方を感じず病院で見てもらったところ、右ちゃんが亡くなっているといわれ、そのまま緊急入院し、31週で左ちゃんを出産しました。
原因は不明です。
入院中は気が狂いそうでした。
片方の子は亡くなっていて、片方の子は生きている。
お腹にとどめておくことは、亡くなった子にとっては苦しく、生きている子にはありがたいことだと、先生方の説明を私なりに解釈して、そう感じました。

そして、一卵性のため片方が亡くなると、もう片方の子にも影響があるかもしれないこと。でも、もしかしたら何も影響はなく元気な可能性もあること。
しかし、週数や体の大きさからすぐ出すことも難しく、様子を見ることになりました。

亡くなった子を思うと、亡くなった子の体がボロボロになる前に、早く出してあげたい気持ちになりました。
そして、入院中なので元気な赤ちゃんの泣き声や幸せそうなお母さんたちの声が嫌でも聞こえてきました。
私は声を殺して泣きました。
周りのお母さんたちはミルクを3時間おきに絞ったりあげたりしてて、寝不足だろうし、まだこれから出産の人も周りにいて、迷惑をかけたくなかったし、なによりこれから出産のお母さんたちを不安にさせて他の赤ちゃんに何かあったら嫌だったからです。

でも、私は辛かった。苦しかったんです。
どうして、わが子が死んでしまったのに声をあげて泣くこともできないのか、悲しんであげられないのか、母親失格だと思いました。でも、片方の子はまだ生きてる。
悲しんで、泣いてばかりだと片方の子に何か影響がいかないか不安で、落ち着かなくてはと考える自分もいたりして、どうしていいかわからなくなりました。
本当に気が狂いそうでした。
なんでこの子だけこんな目にあわなくちゃいけないの、なんで私だけ、私たちだけと思いました。

その後、31週で2人を出産しました。
片方は産声なく、もう片方は、か細いけど可愛い泣き声でした。
小さいけど2人とも可愛くて。元気に生まれていたらきっと仲の良い姉妹だったんだろうな。

一人はすぐにNICUへ。
一人は身ぎれいにされて、数時間後に私のもとに来てくれました。小さくて、目を閉じてかわいい子でした。かわいいお鼻とお口、閉じた瞼。
私は一生忘れない。まだちょっとあったかかった。
亡くなっていたけど、抱っこできてうれしかったです。
嘘です。
本当は、生きて会いたかったし、声を聴きたかったし、私と夫を、その目に映してほしかった。
ママって呼んで欲しかったし、おっぱいだって吸ってほしかった。七五三、入学式、卒業式、成人式、結婚式。
たくさん一緒に過ごす時間が欲しかった。
当たり前が、普通が遠く、辛く、羨ましく感じました。
亡くなった子とは出産してから1時間も一緒にはいられませんでした。
夏場だったことと、病院の設備の関係で体の損傷が心配されたからです。
一緒にいたかったけど、今までがんばってくれた子をこれ以上頑張らせたくないと思ったので、業者の方にお願いしてより良い状態で保存してもらうことにしました。

三日後に火葬。体はまだ痛かったです。
火葬される扉の前で号泣しました。
なんで、私よりも長生きしてほしかった子を私が見送らなくてはならないのか。これは悪い夢で、私のことではないのではないかと、現実に向き合えませんでした。

出産してから胸は張って痛いし、おっぱいは出るしで辛かったです。もう一人の頑張ってる子にもやはり亡くなった子の影響があり、腎臓がうまく機能できませんでした。
出産から2日くらいにその状態は先生から聞き、絶望的な気持ちでした。心のどこかで、「きっと大丈夫」と思っていた自分がいたからです。
生きている子が飲んでくれると、おっぱいも頑張って出そうとしていた矢先に、そう告げられ、今度は無理におっぱいを出さなくてもいいと看護師さん達からもいわれました。
これはきっと、優しさから来た言葉だったと思います。
亡くなった子のことを思うと出すのもつらいだろうと。
でも、私は生きてる子のために頑張りたかった。
その子の命も危なくて、おっぱいを出しても飲めない状況なのかもしれないけど、私がお母さんとしてできる唯一のことだと思ったからです。
でも、出しても仕方ないのかと思うときもあって、3時間おきに絞るのをやめたら乳腺炎で熱が出て、踏んだり蹴ったりでした。

でも、私が辛いのは良いから、代わりに赤ちゃんを助けてと祈ってました。
1週間程度で私は退院しました。
もう一人の赤ちゃんは生まれてちょうど1か月で亡くなり、家族3人で家に帰ることができました。
約1か月、毎日赤ちゃんに会いに行きました。
少しずつ出なくなる、飲んでもらえるか分からない母乳を凍らせて。凄く濃い1か月でした。
抱っこしたり、綿棒でおっぱいをあげたり、歌を聞かせたり。
ほとんど保育器にいたし、薬をいっぱい打たれていて眠った状態でしたが、幸せでした。
このまま時間が止まればいいのにと本気で思いました。
最後は私の腕の中で息を引き取りました。
穏やかな顔で、寝ているだけなんでしょう?って思いました。

今、家には、使うはずだった赤ちゃん用品と、使うはずのなかった簡単な仏壇があります。私はまだ現実を受け入れたくなくて、お線香をあげられません。毎日声をかけるだけで精一杯です。
生まれてから色々大丈夫なように、ママ友も作ってました。
地域の人にも挨拶してました。
私がやってきたことすべてが、私に牙をむいているように感じます。
いずれママ友にも、地域の人にも言わなくてはいけない。
伝えるだけのことなのに、それが辛くて苦しい。
今まで絞っていたおっぱいも全て凍った状態で帰ってきました。
頑張らなければよかったと後悔もしています。
でも、頑張れたのはあの子たちがいたからで、生まれる前からすごいパワーをもらっていたんだとも感じます。
だから、今が辛いです。
あの子たちと一緒に過ごすはずだった今が辛いです。
どうやって生きて行けばいいのかわかりません。

夫も辛いのお仕事を頑張ってくれています。
私が泣いてばかりではいけないと思うし、心配をかけたくないから、夫の前では泣きたくないんです。
でも、辛いんです。
いつになったらこの辛さがなくなるのか。
なくなってほしいと思う自分もいれば、なくならないでほしいと思う自分もいて、自分でもよくわからないこと言ってるなって思います。
少しずつでいいから、あの子たちのことを、笑顔で思い出せる時間が増えると良いなと思ってます。





Name: ぎんきん    ..au-net.ne.jp
Date: 2016/08/15(月) 13:55
  返信  引用  編集 
Title: 13週5日での出血破水    
結婚6年目、待望の妊娠でした。
12週がすぎ、順調ですと言われてたのでやや安心していました。
ところが、13週5日に出血、破水しました。
その時はまだ心拍も確認できたのですが、羊水がほとんどなく、手の施しようがない。
あかちゃんの足が出てき始めたため、そのまま自然娩出を待つことになりました。

しばらくして診察を受けましたが、頭が残っており、キレイには出してあげれないかもしれないと言われました。
何度かいきむように言われ、実践したのですが、出てくれず、掻き出す形になりました。
そのため、見ない方がいいのとことで、あかちゃんには会えずじまいです。性別もわかりませんでした。
何が何だか分からないまま処置が終わり、薬で眠りました。

一夜明け、色々な事が思い出され、涙がとまりませんでした。
お腹を触ると膨らみもなく、悪阻もありません。
終わったんだ、失ったんだと思い知らされました。

破水の原因は感染だろうとのことでした。
私のせいであかちゃんを危険にし、元気に産んであげられなかったと自責の念でいっぱいです。

これからあかちゃんを火葬をしないといけなくて、予期せぬことだったため、あかちゃんのために買ったものはなく、でも、何かしてあげれることは無いかなとおもいました。
夫と話し合い、2人でお手紙を書きました。
また、ひとりで寂しく無いように私のいつもつけている髪ゴムの飾りを入れてあげようと思います。
悲しいけれど、前を向いて、またあかちゃんが来てくれるように体調を整えていこうと思います。
また、お腹にもどってきてね!





Name: yuu_mama    ..ocn.ne.jp
Date: 2016/08/14(日) 14:53
  返信  引用  編集 
Title: 13週 流産 臍帯過捻転での死産    
皆さんの投稿を読ませていただきながら気持ちを整理しています。
第1子を流産しました。

平成28年8月1日、16週での「助産師外来」で普段通りエコーを診ていただく中、胎児の動きを認めないので「眠っているみたいですね、赤ちゃんは寝たり起きたりを繰り返しているのですよ」と言われたのが始まりです。
その後、心拍を確認するもののなかなか確認できず「わたくし助産師なので・・・検査技師に診ていただきましょうね」と言われました。
心拍を確認するだけなのに、そんな大変なことはないだろうと思いながら、まだその時点では混乱にも至っていませんでした。
でも、検査技師さんでも心拍の確認ができず、何度も確認しようとする様子はすぐに分かりました。
胎児のサイズをみていく中で、<12w3d>との表示に目が行き、ようやくその意味を理解しました。
もっと精密なエコーで医師に確認していただきましたが、やはり心拍は確認できませんでした。

医師からは、「通常一度の診察で確定することはしないこと、今回3人の目で確認し、見解は一致したものの、あってはならぬことではあるが見逃しの可能性もあること。とても重要なことであることから再度日を置いて診させていただくのが良いと思いますが、いかがでしょうか」とのことでした。
5日後に「子宮内胎児死亡」と診断を受け、妊娠16週であったのに対し、胎児は<13w2d>との結果が出ていました。

12週以降ということで前処置として1日、分娩に1日と、少なくとも2泊3日の入院をする旨を聞きました。
胎児のサイズが小さいこともあり、前処置の子宮頸管拡張のためのラミナリアは、計4回、徐々に増やしていきました。
3本までは処置時の痛みと、その直後15分程度痛みをがまんすれば、あとは部屋でリラックスして過ごすことができました。
しかし、最後の挿入で生理痛に似た腰部の鈍痛と子宮痛が起こり、夫に腰を擦ってもらいながら過ごしましたが眠れず、睡眠導入剤をいただいて就寝しました。
腹巻にカイロを貼って腹部や腰部を温めると楽でした。
助産師さんもレンジで温めるタイプの湯たんぽを用意してくださいました。

2日目は分娩のために朝から食事なし、ラミナリアを抜くことで嘘のように痛みがなくなりました。
その後、朝7時に陣痛誘発剤と水分補給のための点滴を受けて部屋で安静にして過ごしました。
1時間経過後には強烈な生理痛のような痛みがあり、分娩室へ。
胎児のサイズから子宮口が4cm程になっていれば分娩できるとのことでした。
分娩台に上がろうとした時に破水し、痛みが嘘のようになくなりました。
分娩台にあがってからは10分程で分娩したようです。
力み方もわからぬまま、助産師さんの誘導に合わせるようにして3回程力みました。正直、どのタイミングで我が子を出産したのか分かりませんでした。

13週程度ですと、胎盤も完成していないこともあり、分娩時に胎盤がきちんと出てこない場合があるそうです。
幸いエコーで確認してもらい、きれいに出たことが分かり、手術はせずに済みました。
先生からは、「赤ちゃんが亡くなってから長い間お腹の中にいたので少し浮腫んでいました。へその緒が一部糸のように細くなっていました。」と説明を受けました。

シルバーのトレーにタオルやガーゼを敷いていただいた上に眠っている我が子をみた時は、なぜか一瞬目にできただけで満足だったんですよね。夫や実母が赤ちゃんを見たいと言ってくれたことは大きな救いでした。

私はできるだけ悔いのないように自分が納得いく形で送り出してあげたいという思いの元、棺や枕・お布団、骨壺、入れてあげたい玩具やお菓子など分娩前に用意を済ませていたので、気持ち的な安心感があったと思います。
火葬の手配も自分で行いました。小さい小さい子なのでお骨が残るのかがとても気がかりでした。今は火葬が自動運転で火力を弱くする等はできないことを告げられ不安でしたが、分娩から3日後の15時〜火葬の予約を取りました。

クリニックでの納棺では、助産師さんが「良かったね、かわいいお布団だね」などと9cmの小さな我が子を、ひとりの人として丁寧に接してくださいました。その優しさが嬉しいのと、悲しさで涙が止まりませんでしたが、本当にありがたかったです。

実家に帰ってから火葬までの間はドライアイスを防水シートで包み棺の底に入れ、その上にお布団を敷いて、ガーゼに包んであげて寝せてあげていました。真夏の時期ですが、部屋の冷房とドライアイス、時々乾いてきてしまったらお水をふくませてあげることで、十分3日間過ごすことができました。
抱っこをしたり写真を撮ったり。
小さくてかわいそうかなと思いましたが手形も取りました。
臍の緒を希望したところ、いただくことができました。
なかなか写真を撮ることは悲しくて苦しくて抵抗がある方もいらっしゃるかもしれませんが、残しておけるものをできるだけ沢山残すことは、その後の気持ちの安定に繋がるような気がします。

無事に火葬が済み、ほんの僅かですがお骨を残してくれました。しっかりと鎖骨1本がそのままの形で残りました。
私達夫婦は葬儀をせず、家族のみで火葬という形を取りました。今はお花、お水、お菓子をお供えして、お線香を焚いて彼を想っています。気持ちが落ち着いたらお墓に埋葬する予定です。

今回の流産を経て私が感じたことは、例えお腹の中で我が子が亡くなっているとわかっていても母親になれたこと、それはかけがえのない事実であると。周囲の人は「次があるから大丈夫」等と励まそうとして言葉を掛けることがあるかもしれません。それは私にとって、次があれば今回の流産がなかったことにされるようでとても苦しいのですが、忘れなくていいんですよね。私はむしろ「次に進みたいのに進めないのではなく、進むのが怖い」のです。また同じ経験をするのかもしれないという気持ちは払拭できませんし、初産婦であった私は生を受ければ当然のように我が子が育つと思って過ごしていたため、もしも…もしも次に子を授かることができたとしても、今回のような気持ちで過ごすことはまずできないと感じています。「心配」ではなく「恐怖」なのです。

私と夫は仲の良い方だと思っていますが、それでも物事の捉え方には温度差があります。それによって悲しむこともあります。そんな時は夫にポコズママの会のサイトを見てもらったり、逆に夫の立場で物事を考えることも私自身必要かなと思っています。

最後に、我が子を亡くした事実は何も変わりなくとも、やはり周囲の方の寄り添う気持ち・共感が必要ですよね。子を失った事実だけでも苦しいのに、周囲に理解してもらえないことは本当に辛いことです。私もまだ日が浅く涙が尽きないのですが、こうして自分の気持ちを発信することで整理することもひとつの手段であると思っています。





Name: なお    ..ocn.ne.jp
Date: 2016/08/11(木) 16:48
  返信  引用  編集 
Title: 2度の初期流産    
不妊クリニックに通い始めて8ヶ月で待望の妊娠。
でもなかなか胎嚢が確認できなくて、やっと確認できたと思ってもすごく小さくて。
心拍を確認することなく、自宅にて自然流産してしまいました。

泣いて泣いて、しばらくはふさぎこんでいたけど、それでもやっぱり子供がほしくて。
そしたら、まさか、流産後1回の生理を見ただけで再び自然妊娠することができたのです。
きっと急いで帰ってきてくれたんだと思いました。

前回はなかった食べつわりに、胎嚢は平均より小さかったけど、医者に前回は言われなかった「1週間後には心拍確認できると思うよ」という言葉に、今回こそは大丈夫という自信を持って臨んだ6週5日の検診。
エコーにはぽっかりと黒い袋しか見えず、卵黄嚢すら見えず、またも心拍は確認できませんでした。
流産を待つのは精神的につらいけれど、医者の勧めにより自然に流れるのを今待っているところです。

検診の前日、嫌な夢を見たんです。
病院で、今まで見えていた胎嚢が消えてると医者に言われる夢。
夢で人が消えるというのは、その人とのつながりが消えるということを暗示するそうです。
正夢になってしまいました。

どうして私ばかり2回も続けてって思いました。
姉はすんなり希望通りに2人産んでいるのに。
流産が確定した日は、もう生きたくない、私も一緒に消えたい、死んでしまいたいと主人に泣いて訴えました。

本当に誰もかれも皆憎くて、あっけらかんと明るく流産を告げる医者にも、他の妊婦さんにも憎しみを持ってしまいました。
流産をした人にさえ、他に元気な子供がいるからいいじゃないか、私には一人もいない、と最低なことを思ってしまいました。
流産した悲しみは子供がいようといまいと一緒のはずなのに、どうしてもそう思ってしまうのです。

心拍すら確認できていないくせに、心拍確認後に流産した人のほうが、後期流産のほうが、死産の方がきっともっとつらいのに。
本当に最低だとわかっているのに、まだどうしてもその思いを消すことができません。
すみません、これを読んで不快に思う方がたくさんいると思います。
でもあともう少しだけ、自然流産するまではこう思ってしまうことを許して下さい。
本当にすみません。

私には子供を産むことができるんだろうか?
心拍って本当に確認できるの?
初期の流産は受精卵の問題だと言われているけど、そんなに2度も連続しておきてしまうほど私は運が悪いの?
運ってどうしたらよくなる?
最初の子は私にも妊娠できるんだと教えにきてくれたのかもしれないけど、じゃあ次の子はなぜすぐ流産してしまうのに、つらいだけなのに、きてくれたのか…。

なんだか真っ暗な迷路の中にいる気がします。
でも自分がどうしたいのかわからない中、ひとつだけ明かりがあります。

実は検診前に見た夢には続きがありました。
医者は「今まで見えていた胎嚢は消えちゃったね、でもその代わり2つ胎嚢が発生してるよ」と言ったんです。

これが今の私の唯一の希望です。

きっとまた妊娠できるという暗示なのだと、その2つの胎嚢は出産できると信じたい。






 
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