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   初期流産   
   絨毛癌   
   8週・7週  稽留流 ....   
   15週 前期破水   
   早期流産   
   5週 稽留流産   
   9週 稽留流産    
   9週 自然流産   
   一卵性双子 27週で ....   
   13週5日での出血破水 ....   

Name: うた    ..starcat.ne.jp
Date: 2016/11/15(火) 16:59
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Title: 初期流産    
心拍の確認まであと1週間だったのに、真っ赤な血の海に居る夢で目が覚めた。
怖くなってすぐトイレへ。
出血はほんの少しだったけど、腹痛もあったため、朝一にでも病院へ行こうと思って朝食を作ってたら酷い腹痛に吐き気、
立ってられないほどのめまいに過呼吸なんとか旦那のいる寝室までたどり着いて病院へ連れて行ってもらった。

支えられながら診察するも、赤ちゃんの位置が動いてて、前回から全く育ってないね。流産です。

それから意識が朦朧としてるなか、子宮の中を綺麗にする手術をすることに。

食事も水分もとることができず、泣きながら1時間ほど待ち、再び診察台へ。
麻酔を打たれ、10数える前に意識はなくなり、頭痛と吐き気で目が覚めた。
麻酔が効いてて頭はぐらぐら。
何もお腹に入ってないから出てこないのに吐いた。
たくさん泣いた。

歩けるようになって家に帰って、旦那によく頑張ったねありがとうと言われた。
その一言でまた泣いた。

今日は家に1人。
外から聞こえてくる子供の声、赤ちゃんの泣き声。辛い。
何で私だけ?
周りのみんなは産んでるのに。
私の赤ちゃんは何でかえってしまったのかと憎くて仕方がありません。
何も考えなくても涙がでます。
お笑いを見ても、なんでこの人たち笑ってるんだろうと涙がでます。

何もする気も起きずに適当にサイトを見てたら、ここにたどり着きました。
皆さんの投稿を見てまた泣いてます。
それと同時にかえってしまった赤ちゃん、自分のことを憎く思ったことが、凄く恥ずかしく思いました。

1度でも私のお腹の中で一生懸命生きようとしてくれた可愛い可愛い私の赤ちゃん。
ありがとう。まだ心が追いつけてなくて泣いちゃうけど、また私の元にかえってきてくれるよね。
その時には強いママになるから、今度はその可愛いお顔が見たいです。
名前もない私の赤ちゃんありがとう。





Name: エリハ    ..ocn.ne.jp
Date: 2016/11/11(金) 19:59
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Title: 絨毛癌    
流産からの絨毛癌でした。
私がみてもらった病院では5年〜10年にひとり程度しかいないようでした。
たまたま直前に、同じく絨毛癌に罹患した方がいたようで、EMACOがよく効き、今では仕事に復帰もしています。

流産自体は、「まあ、しょうがないし」と思っていますが、今いる子供に手をかけてやれず、気がつくともう小学生、ということが悲しいです。

夫はできれば二人目が欲しいようですが、癌を経験した今となっては、無事に生まれてくるかもわからない子供よりも、今ここに生きている子供を大事にしたいと思っています。





Name: あーしゃ    ..so-net.ne.jp
Date: 2016/11/04(金) 17:54
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Title: 8週・7週  稽留流産    
第二子を希望し、2015年夏に自然妊娠。心拍確認ののち、8週で稽留流産しました。
10月に掻爬手術を受け、少し休んだ後、再び妊娠を目指しました。

なかなか授からなかったので、翌年9月から不妊治療のクリニックに通院を開始。
その1周期目で妊娠しました。
心拍確認しましたが、その後7週で稽留流産。
11月2日に掻爬手術を受けました。

2回続けての流産。
なぜか頭はしんと静まり返っており、
流産が分かった日に家族みんなで泣いて以来、涙が出てきません。

辛い、悲しいといった感情はどこへいってしまったのでしょうか。
私はおかしいのでしょうか。





Name: まるみ    ..so-net.ne.jp
Date: 2016/11/02(水) 19:02
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Title: 15週 前期破水    
10月24日未明に、15週の男の子を亡くしました。

1週間ほど前に、夜中に水が垂れるような感覚で目を覚ましました。
起きてみるとナプキンがぐっしょりと湿っており、
尿とも違う匂いがしました。
生臭いような匂いに、破水を疑い
次の日の朝1番に病院にかかりました。

経膣エコー、経腹エコーで確認、
羊水検査もしましたが
羊水の量に異常はなく、また羊水検査でも
反応は微妙なところでした。
しかし、大事を取って入院となりました。

1週間の入院でも羊水の量に変化はなく。
経過も順調で、そのうち退院できるという話をしていた矢先でした。

10月24日未明、
ベッドに横たわっているとき
ぐぐっとなにかが下がってくる感覚がありました。
大変なことが起こった、と思い
叫んでしまわないようトイレに向かい
ショーツを降ろした瞬間でした。
赤ちゃんの頭が出てきてしまっているのが
見えました。
頭と、小さな小さな手。
初めて直接みた大事な赤ちゃんは、
もう私のお腹の中には居ませんでした。

その後、叫びながら処置室に運ばれました。
ずっと泣いていました。
全部出てきてしまっていたので、
あっという間に処置は終わりました。
ほぼ痛くもないまま。

あれから1週間が経ちます。
まだ火葬も終わっておらず、
起きたことを現実として受け止められません。
私の大事な大事な赤ちゃんは
助けてあげることができなかった。
病院にも早めにかかっていたのに。
どうして?という気持ちが湧いています。

今はこの悲しくてつらい気持ちを
抱きしめていくしかないとわかっていますが、
1日がすぎるのがとても遅く感じます。

また、会いたい。
そう思います。
また来てくれるのか、とても怖いです。
でも私はまた赤ちゃんに会いたいです。

夜中のトイレで受け止めたあの子は、
その後きちんと紙でできた棺に入れてもらいました。
最後に会わせていただいたとき、
夫の顔にそっくりで少しふしぎに思いました。

身体と心をゆっくり休めて、
いつか、また、赤ちゃんに会いたいと思います。





Name: るぅ    ..ocn.ne.jp
Date: 2016/10/17(月) 14:33
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Title: 早期流産    
私は9年前、2人目の赤ちゃんが3ヶ月で天国へ行きました。

当時、1人目の育児におわれ、充分に涙を流すことが出来なかった様に思います。
悲しみを隠し、育児、家事、仕事に無心に毎日を過ごしました。

9年経った今、悲しみが一日も消えたことがなかったのだと、「ポコズママ」の冊子を偶然手にする事ができ拝読し、実感しました。

私は自身の子どもを亡くし、亡くなった経緯は違いますが、父親、母親、親友を相次いで亡くしています。

今はまだ「大丈夫」と言えません。
私の中で大切な人の死は乗り越えられるものではない、乗り越えるものでもないと思うから「乗り越えた」とも言えません。
でもいつか「こんなに悲しいのは、苦しかったのは、みんなを心から大切に想っていたからだ」って笑い泣きの顔でも良い、言える様になりたい!そう思っています。





Name: ぴあ    ..yournet.ne.jp
Date: 2016/09/29(木) 04:24
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Title: 5週 稽留流産    
35歳でやっと妊娠しました。
2015年10月に陽性反応がでたので、少しドキドキしながらも産婦人科に。
検診で動いているのを見た時は、まだ人の形にはなっていませんが生きてる!と感動したのを覚えています。

ある夜、突然フッとお腹が寂しくなった気がしました。
まさか、と思いながら検診を受けると、あんなに元気に動いていたのに、ピクリとも動いていませんでした。
手術をするまで実感もなく、病院で検診を受ければ、また元気に動いているでは?とさえ思いましたが、そんな事はなく、2015年11月末に手術をしサヨナラしました。

今回は妊娠出来る体だとわかったからいいじゃない。
ジャンクフードやカフェイン控えて、体を作っていけばまたそのうち妊娠できるよ、と、前向きに考えてはいます。
ですが、ふとした時に思い出し今でも悲しくなります。
何が原因だったのか、私の日頃の行いが悪かったのか、これから先私は妊娠できるのか?旦那さんに子どもを抱っこしてもらえる日がくるのか…年齢を考えると不安で仕方ありません。





Name: ボウル    ..mesh.ad.jp
Date: 2016/09/28(水) 09:53
  返信  引用  編集 
Title: 9週 稽留流産    
9週の検診で赤ちゃんの心拍が止まっていました。
その時の病院の対応が酷かったです。

6週で胎嚢確認、7週で心拍確認できましたが、
私が、基礎体温から想定していた週数より1週遅く、
違和感を覚えていました。

そして、心拍停止。
エコーを見ながらあれ?あれ?と言われ、心拍止まってるよと診断されました。
泣き崩れる私をよそに、流産手術のリスクを説明され、有無を言わさず、翌日の朝の予約を取らされました。
その時は、明朝も心拍を確認してから手術だと言われました。

納得できず、その日の内に別の病院でセカンドオピニオンを受けましたが、やはり赤ちゃんはもう亡くなってしまっているとの事でした。

翌朝、その日の診察は院長でした。
すると1秒エコーを確認しただけで、何も説明されず、子宮口を広げる処置をされました。
あまりにショックで大泣きしてしまいました。

本当に心拍止まっていたんですか?と聞くと、「もう形が少し変わってきていたよ」との事。
「人間は傲慢だから、妊娠すると無事に生まれると思っちゃうけど、自然界の一定数は淘汰されるのが摂理だから」と言われました。
流産のリスクなんて分かってる。妊娠したときから、不安に思いながら大事に大事にしてきたんだ!!と心の中で反論しました。

その後、その院長の手術を受けましたが
麻酔で朦朧としながら私はずっと叫んでいたようです。
この病院でなければ、こんなに傷つかずに済んだのに。
命を何だと思っているのだろう。

ちなみに、付き添ってくれた夫はずっと受付前の待ち合いで待たされ、手術後、私本人から連絡がくるまで、何の説明もなかったそうです。





Name: ことのは    ..au-net.ne.jp
Date: 2016/09/05(月) 10:42
  返信  引用  編集 
Title: 9週 自然流産    
二人目を妊娠9週で自然流産しました。

9週目に入る前から少量の出血が続き、一人目の時には感じたことのない漠然とした不安感を感じていました。
その後病院へ行くと、やはりお腹の子供は発育が止まってしまっていました。
後日、掻把手術を受ける為の手続きをして帰宅しましたが、その夜、突然全身の寒気と何かが落ちてくる感覚を感じトイレへ向かおうと歩き出したとき、足を伝って大量の血が流れてきました。「あぁ、これでさよならなんだ」と思いました。
そして血の塊を見るたびに守ってあげられなかった自分に対する無力感。

深夜、病院で麻酔もなく、子宮内に残ったものを掻き出し、本当に肉体的にも精神的にも痛くて、苦しくて、辛かった。
同じ時期に授かった友人は無事に出産してるのに。
周りにどんどん妊婦さんが増えてきて、そのたびに感じる喪失感。でも元気なフリをしていた日々。それが逆に自分を疲れさせてしまっていたんです。

先日、私が落ち込んだ顔をしていると息子が突然私の手を握って顔をじっと見つめてきました。
「大丈夫」って言われた気がしました。
息子が背中を押してくれた。
だから長く暗いトンネルを抜け出そうと、そんな気持ちとはさよならして前に進もうと思います。





Name:    ..so-net.ne.jp
Date: 2016/08/20(土) 00:14
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Title: 一卵性双子 27週で一児死産。 生後1ヶ月での誕生死    
私はもともと生理不順で、薬で生理を起こしつつタイミングで妊娠しました。病院には2年ほど通っており、待望の赤ちゃんでした。初産でした。

7か月まで何も問題がなく、病院からも普通に出産することもあると話が出るくらい順調でした。
しかし、二つあった胎動の片方を感じず病院で見てもらったところ、右ちゃんが亡くなっているといわれ、そのまま緊急入院し、31週で左ちゃんを出産しました。
原因は不明です。
入院中は気が狂いそうでした。
片方の子は亡くなっていて、片方の子は生きている。
お腹にとどめておくことは、亡くなった子にとっては苦しく、生きている子にはありがたいことだと、先生方の説明を私なりに解釈して、そう感じました。

そして、一卵性のため片方が亡くなると、もう片方の子にも影響があるかもしれないこと。でも、もしかしたら何も影響はなく元気な可能性もあること。
しかし、週数や体の大きさからすぐ出すことも難しく、様子を見ることになりました。

亡くなった子を思うと、亡くなった子の体がボロボロになる前に、早く出してあげたい気持ちになりました。
そして、入院中なので元気な赤ちゃんの泣き声や幸せそうなお母さんたちの声が嫌でも聞こえてきました。
私は声を殺して泣きました。
周りのお母さんたちはミルクを3時間おきに絞ったりあげたりしてて、寝不足だろうし、まだこれから出産の人も周りにいて、迷惑をかけたくなかったし、なによりこれから出産のお母さんたちを不安にさせて他の赤ちゃんに何かあったら嫌だったからです。

でも、私は辛かった。苦しかったんです。
どうして、わが子が死んでしまったのに声をあげて泣くこともできないのか、悲しんであげられないのか、母親失格だと思いました。でも、片方の子はまだ生きてる。
悲しんで、泣いてばかりだと片方の子に何か影響がいかないか不安で、落ち着かなくてはと考える自分もいたりして、どうしていいかわからなくなりました。
本当に気が狂いそうでした。
なんでこの子だけこんな目にあわなくちゃいけないの、なんで私だけ、私たちだけと思いました。

その後、31週で2人を出産しました。
片方は産声なく、もう片方は、か細いけど可愛い泣き声でした。
小さいけど2人とも可愛くて。元気に生まれていたらきっと仲の良い姉妹だったんだろうな。

一人はすぐにNICUへ。
一人は身ぎれいにされて、数時間後に私のもとに来てくれました。小さくて、目を閉じてかわいい子でした。かわいいお鼻とお口、閉じた瞼。
私は一生忘れない。まだちょっとあったかかった。
亡くなっていたけど、抱っこできてうれしかったです。
嘘です。
本当は、生きて会いたかったし、声を聴きたかったし、私と夫を、その目に映してほしかった。
ママって呼んで欲しかったし、おっぱいだって吸ってほしかった。七五三、入学式、卒業式、成人式、結婚式。
たくさん一緒に過ごす時間が欲しかった。
当たり前が、普通が遠く、辛く、羨ましく感じました。
亡くなった子とは出産してから1時間も一緒にはいられませんでした。
夏場だったことと、病院の設備の関係で体の損傷が心配されたからです。
一緒にいたかったけど、今までがんばってくれた子をこれ以上頑張らせたくないと思ったので、業者の方にお願いしてより良い状態で保存してもらうことにしました。

三日後に火葬。体はまだ痛かったです。
火葬される扉の前で号泣しました。
なんで、私よりも長生きしてほしかった子を私が見送らなくてはならないのか。これは悪い夢で、私のことではないのではないかと、現実に向き合えませんでした。

出産してから胸は張って痛いし、おっぱいは出るしで辛かったです。もう一人の頑張ってる子にもやはり亡くなった子の影響があり、腎臓がうまく機能できませんでした。
出産から2日くらいにその状態は先生から聞き、絶望的な気持ちでした。心のどこかで、「きっと大丈夫」と思っていた自分がいたからです。
生きている子が飲んでくれると、おっぱいも頑張って出そうとしていた矢先に、そう告げられ、今度は無理におっぱいを出さなくてもいいと看護師さん達からもいわれました。
これはきっと、優しさから来た言葉だったと思います。
亡くなった子のことを思うと出すのもつらいだろうと。
でも、私は生きてる子のために頑張りたかった。
その子の命も危なくて、おっぱいを出しても飲めない状況なのかもしれないけど、私がお母さんとしてできる唯一のことだと思ったからです。
でも、出しても仕方ないのかと思うときもあって、3時間おきに絞るのをやめたら乳腺炎で熱が出て、踏んだり蹴ったりでした。

でも、私が辛いのは良いから、代わりに赤ちゃんを助けてと祈ってました。
1週間程度で私は退院しました。
もう一人の赤ちゃんは生まれてちょうど1か月で亡くなり、家族3人で家に帰ることができました。
約1か月、毎日赤ちゃんに会いに行きました。
少しずつ出なくなる、飲んでもらえるか分からない母乳を凍らせて。凄く濃い1か月でした。
抱っこしたり、綿棒でおっぱいをあげたり、歌を聞かせたり。
ほとんど保育器にいたし、薬をいっぱい打たれていて眠った状態でしたが、幸せでした。
このまま時間が止まればいいのにと本気で思いました。
最後は私の腕の中で息を引き取りました。
穏やかな顔で、寝ているだけなんでしょう?って思いました。

今、家には、使うはずだった赤ちゃん用品と、使うはずのなかった簡単な仏壇があります。私はまだ現実を受け入れたくなくて、お線香をあげられません。毎日声をかけるだけで精一杯です。
生まれてから色々大丈夫なように、ママ友も作ってました。
地域の人にも挨拶してました。
私がやってきたことすべてが、私に牙をむいているように感じます。
いずれママ友にも、地域の人にも言わなくてはいけない。
伝えるだけのことなのに、それが辛くて苦しい。
今まで絞っていたおっぱいも全て凍った状態で帰ってきました。
頑張らなければよかったと後悔もしています。
でも、頑張れたのはあの子たちがいたからで、生まれる前からすごいパワーをもらっていたんだとも感じます。
だから、今が辛いです。
あの子たちと一緒に過ごすはずだった今が辛いです。
どうやって生きて行けばいいのかわかりません。

夫も辛いのお仕事を頑張ってくれています。
私が泣いてばかりではいけないと思うし、心配をかけたくないから、夫の前では泣きたくないんです。
でも、辛いんです。
いつになったらこの辛さがなくなるのか。
なくなってほしいと思う自分もいれば、なくならないでほしいと思う自分もいて、自分でもよくわからないこと言ってるなって思います。
少しずつでいいから、あの子たちのことを、笑顔で思い出せる時間が増えると良いなと思ってます。





Name: ぎんきん    ..au-net.ne.jp
Date: 2016/08/15(月) 13:55
  返信  引用  編集 
Title: 13週5日での出血破水    
結婚6年目、待望の妊娠でした。
12週がすぎ、順調ですと言われてたのでやや安心していました。
ところが、13週5日に出血、破水しました。
その時はまだ心拍も確認できたのですが、羊水がほとんどなく、手の施しようがない。
あかちゃんの足が出てき始めたため、そのまま自然娩出を待つことになりました。

しばらくして診察を受けましたが、頭が残っており、キレイには出してあげれないかもしれないと言われました。
何度かいきむように言われ、実践したのですが、出てくれず、掻き出す形になりました。
そのため、見ない方がいいのとことで、あかちゃんには会えずじまいです。性別もわかりませんでした。
何が何だか分からないまま処置が終わり、薬で眠りました。

一夜明け、色々な事が思い出され、涙がとまりませんでした。
お腹を触ると膨らみもなく、悪阻もありません。
終わったんだ、失ったんだと思い知らされました。

破水の原因は感染だろうとのことでした。
私のせいであかちゃんを危険にし、元気に産んであげられなかったと自責の念でいっぱいです。

これからあかちゃんを火葬をしないといけなくて、予期せぬことだったため、あかちゃんのために買ったものはなく、でも、何かしてあげれることは無いかなとおもいました。
夫と話し合い、2人でお手紙を書きました。
また、ひとりで寂しく無いように私のいつもつけている髪ゴムの飾りを入れてあげようと思います。
悲しいけれど、前を向いて、またあかちゃんが来てくれるように体調を整えていこうと思います。
また、お腹にもどってきてね!






 
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