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   7週目 完全流産   
   14週子宮内胎児死亡   
   7週 稽留流産   
   17週 子宮頸管無力症 ....   
   10週 稽留流産   
   17週 子宮内胎児死 ....   
   ターナー症候群 人工 ....   
   19週 子宮内胎児死亡   
   40週死産   
   骨形成不全U型 19週 ....   

Name: はるまま    ..au-net.ne.jp
Date: 2017/09/26(火) 01:39
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Title: 7週目 完全流産    
先日、第2子を完全流産してしまいました。
それまでは妊娠=出産だと考えていました。
第1子の時、悪阻は辛かったものの、それ以外のトラブルは全くなしで、予定より10日早くはなりましたが、無事にこの世に産声をあげることができました。
第2子を妊娠した時も、なんの疑いもなしに同じように育つんだろうと思っていました。
しかし、それは初めての検診の時点で悪夢に変わりました。

妊娠5週目。
医師によると、胎嚢が小さいため育たないかもしれないとのこと。
私は医師に詰め寄りました。
「この大きさだと流産の確率が上がるのですか?」と。
医師からは「初期流産は全体の15%はなる可能性があるから、大きさとかではなく、次回来た時にどれだけ育っているかなんだよ。」と説明されました。
「2週間後に育ってなければ流産の処置もあり得ると思っていて」と言われ、その日は終わりました。

この時点で、前回とは違う、受け入れる準備をせねばと頭の中で警鐘が鳴っていました。
そしてその日をとうとう迎えてしまいました。
あいにく、その日は日曜日の夜。
お腹の痛みと出血。
お腹の痛みは正に陣痛と同じで、痛くなっては遠のいてを何時間にもわたって繰り返しました。
夜間救急に連絡をしたところ、「出血が多量でなければそのまま安静に」との指示。
私は心の中で「もう手の施し用がないのだろう」と悟りました。
そして一旦、痛みの波が遠のいたのでトイレに立とうとしたところで、何か出そうな感覚。
それこそ、第一子を出産した時のようなつるんと気持ち良く何か出る感覚があったので、急いでトイレへ向かいました。
うまくナプキンの上でキャッチしたのは5〜8cmほどの白い塊。
一瞬でそれが我が子だと認識しました。
その後はなぜかとても冷静に行動していました。
キャッチした我が子をナプキンごと包み、トイレットペーパーで丁寧に何重か巻いて、ビニール袋に入れて可愛いハンカチに包んであげました。

翌日、それを持って病院へ。
内診の結果、「完全流産です」と告げられました。
淡々と事務的に説明をする医師に従うかのように冷静に相槌を打つ。
その時点で精神は崩壊しかけていたのでしょう。
一緒にいた夫の方がソワソワしていました。
1週間服用するよう言われた薬が、皮肉にも第1子の産後に服用していた物と同じと言うことが、ショックでした。
それから、第2子のときにはなかったつわりが今更のようにやって来たのか、ひたすら気持ち悪くて、そして眠れません。
「きっと妊娠するタイミングを私が間違えてしまったためにあの子は流れてしまったんだ」という悲観と、
「手術になってママを傷付けないように自然に出て来てくれた親孝行な子だ。」と言う安堵、
「自宅で産み落としてしまった」と言うショックが混同して情緒不安定になっています。
特に夜になるとぐるぐる考えてしまって、「もしかしたら、次もこうなるのでは」「こんな思いするならもう子供なんていらない、妊娠なんてしたくない」と言う不安と次の妊娠への拒絶に涙が止まりません。

我が子は現在病理に出され結果待ちです。
結果を知りたいような知りたくないような複雑な気持ちです。
今度、夫と時間を合わせて水子供養に行きます。
そのお寺さんを調べたり供養の予約を取る手続きをしているだけでも私を現実へ現実へと向かわせます。
早く水子供養をして我が子をお空へ返してあげたいです。
心のケアはまだまだできていませんが、ここの書き込みを読んで少し気持ちが救われたのも事実。
これからどうすれば良いか答えが出るのかわかりませんが、今いる家族で支えあって、いつかまた新たな命を受け入れられる日がくると良いです。





Name: めちゃん    ..ap.nuro.jp
Date: 2017/09/23(土) 11:21
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Title: 14週子宮内胎児死亡    
14週に入った検診で心拍停止を告げられ、その1週間後に入院、出産しました。
心拍停止を宣告されてから死産までの1週間、毎日毎日泣いて、たくさん自分を責めてきました。
その1週間の間にいろんな覚悟もできました。

入院当日は怖さで震えました。
朝からすぐ、ラミナリアという子宮口を広げる棒を入れました。
これが、読んだ体験談には相当痛いと書いてあったので怖かったのですが、力を抜いてフーフー言っていれば痛みはあまりなかったです。
朝に6本、夕方には12本入れました。

そして、出産当日。
促進剤を1つ、また1つ、そしてまた1つ。
3つ入れても弱い陣痛しかつかずに産まれそうにないので、諦めていたその時、いきなり破水して、そのまま産まれました。
小さな小さな赤ちゃんは、手も足も体も顔も頭も全部綺麗にしっかりあって産まれてきました。
その後の胎盤を出す処置が痛すぎて、うーうーと唸ってしまいました。

赤ちゃんは痛みに弱いあたしを思って痛みも少なくスルッと産まれてきてくれたのかな?と。
その2日後、火葬して水子供養にいきました。
お空から見守っていてね。

死産は一番残酷でとても虚しい。





Name: chie    ..plala.or.jp
Date: 2017/09/22(金) 11:35
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Title: 7週 稽留流産    
2人目が欲しいと思ってから、すぐできました。
病院に行った時、すでに6週目くらいになっていたので、心拍が確認出来るかなと思っていたのに、胎嚢しか見えず。
少し嫌な予感もしましたが、1人目も同じ週数くらいで胎嚢確認だけだったので、あまり気にしないようにしました。
でも先生が、1人目の子供は元気なの?と聞いてきたので、今思うと、この時点で先生は流産を見抜いていたんです。

次の検診までの間、あまりに悪阻が軽くて(1人目が壮絶な悪阻だったので)またまた嫌な予感はしていました。

2週間たって検診に行くと、卵黄嚢が大きくなっていて胎芽がかけらのような小さい感じでしかみえませんでした。
変わったことはなかったかと聞かれ、悪阻が軽いことを言うと、悪阻の軽重は関係ないからねと言われました。
お腹の中で赤ちゃんが亡くなって留まっている、稽留流産ですと言われ、頭の中は真っ白。
泣きそうになったけどグッと堪えて採血や手術の説明などを受けました。

元気の空回りとはこんな感じなのかなと。
夫にも、辛いとか悲しいとかの感情をぶつけずに元気に振る舞いました。
感情を出すのが苦手なので。仕方がないと。
初期流産は誰にでも起こるもの、自然淘汰。
自分に言い聞かせました。
自分1人の時だけこっそり声を殺して泣きました。

流産手術から約1年たった今でも心が痛みます。
なぜ家族みんなで泣いてあげなかったのか、私のお腹に少しの間だけでも来てくれた大切な家族だったのに。
今は少しだけ、また妊娠するのが怖いです。
また流産になってしまったらと考えると。
でもお空に忘れ物を取りに行った赤ちゃんに会いたいです。
こんな弱いお母さんでも来てくれると嬉しいな。





Name: 優衣菜    ..spmode.ne.jp
Date: 2017/09/14(木) 08:27
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Title: 17週 子宮頸管無力症と子宮破裂    
6年前、22歳で結婚を6月に控えていた時、東日本大震災で婚約者を亡くしました。
お腹には赤ちゃんがいたのですが、ストレスもあったのか、
子宮頸管無力症になり、何とか赤ちゃんは守りたかったのですが、駄目でした。

突如お腹に激痛を感じ、病院に行くと子宮頸管が2cm位まで短くなっていると言われ、そのまま入院となりました。
この時、既に子宮が傷ついていたのかもしれません。
何とか張り止めと子宮の収縮を抑える点滴をしながら絶対安静だったのですが、4日目に大出血。
完全子宮破裂を起こしていた様です。
私は出血性ショックを起こしていたらしく、意識がありませんでした。

非常に母体が危険な状態で、私を見舞いに来ていた母が同意するしかなく、私は赤ちゃんと一緒に子宮を喪いました。





Name: まーこ    ..mesh.ad.jp
Date: 2017/09/13(水) 16:30
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Title: 10週 稽留流産    
10週3日になるはずの検診日、心拍停止を確認することになってしまった。

6週目で心拍確認ができて、旦那もお互いの両親も大喜び。
先生からも「心拍確認できれば流産の可能性はぐっと低くなる」と言われて、ちょっと安心してました。
夫婦で母子手帳を貰いに行き、これからの事に色々不安はありながらも、妊婦になれて幸せな毎日だった。
旦那も体を気遣ってくれて、子供に会える日を楽しみにしてた。

だけど、9週目の検診で診てもらうと、胎児心拍が遅くて、流産の可能性があると指摘され、頭が真っ白になった。
1週間後の再診まで、不安で不安で仕方なかった。

そして10週目の検診日、胎児心拍が確認出来なくなってた。
8週程度の大きさしかなく、成長が止まってた。
やっぱり…って思って、覚悟できてるつもりだったけど、先生が説明してくれてる途中から涙が止まらなかった。

今後の妊娠を考えて、染色体異常の検査をすすめられた。
そこで異常がなければ、母体の体質を細かく検査してみましょうと。
あまり考える余裕はなく、頷くので精一杯。

流産の症状はなく、明日手術を受ける。
早すぎる。辛すぎる。なんでこんな辛い目に合うんだろ

産婦人科外来の待ち合いが、今は切ない場所。
お腹の大きい妊婦さんが羨ましい。
その人たちにも悩みや心配事はあるだろうに。

私もいつか赤ちゃんを抱っこできる日が来るかな。
もし今度、いつか、また妊娠できる事できたら、今度は無事でありますように。

不謹慎だけど、この掲示板で同じ辛さを経験した方々の体験記を読ませていただいて、少し気持ちが楽になりました。





Name: よっしぃ    ..bbtec.net
Date: 2017/09/12(火) 14:00
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Title: 17週 子宮内胎児死亡    
妊娠が分かって、楽しみと不安の毎日を過ごしていました。
13週目の検診で、首の浮腫を指摘され、胎児ドックを受けました。
そこでNTが6.4mmと言われ、染色体異常の可能性が大きいだろうと言われました。
羊水検査、絨毛検査をして調べることも出来るといわれましたが、検査するにもリスクがあり、
たとえどんな子でも産むと、旦那と話合った結果、検査を受けないことにしました。

かかりつけの病院から、詳しく診てもらえる総合病院へ転院することにしました。
不安はありましたが、なにより赤ちゃんがいることの喜びのほうが大きかったです。

紹介状を持って病院へ行き、転院の理由も伝えて、診察を受けました。
しかしそこで、先生の様子がおかしく、何度もエコーで赤ちゃんの様子を見ていました。
婦人科の偉い先生に変わって診てもらっても同じ。
「心拍が確認できません。おそらく心臓は止まっているでしょう。頭の大きさも小さく、14週ほどの大きさしかありません。」と言われました。
15週の検査の時は動いていたのになぜ?
すぐに旦那を呼び、再度エコーをして、説明がありました。
腹痛もないし、出血もない。なのにどうして?

その日の夕方から入院し、出産をする準備になりました。
ラミナリアを入れ、次の日には、膣剤を3時間おきに入れると、夜には陣痛も始まり、出産しました。
産声も上げず、亡くなっている赤ちゃん。
陣痛はとてもきつかったけど、赤ちゃんも頑張っているんだと思うと「がんばれ」と声をかけていました。
破水してすぐに赤ちゃんは出てきました。
それからは記憶がなく、気が付くと処置も終わり、車いすで病室に運ばれていました。
もうお腹の中に赤ちゃんがいないんだと思うとすごく悲しくて、泣きました。

旦那の両親、私の両親に伝え、日曜日に火葬しました。
心にぽっかりと穴が開いています。どんなしてもふさがらない穴。

またいつか私たちのところに戻ってきてくれるかな
お空に旅立ったけど、あなたはいつまでも家族だからね。

最後まで読んでくれてありがとうございました。
少しづつ前に進みます。
ありがとう。またね。





Name: ゆり    ..openmobile.ne.jp
Date: 2017/09/11(月) 16:08
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Title: ターナー症候群 人工死産    
私の誕生日の2日前に羊水検査の結果が分かりました。
ターナー症候群でした。

羊水過少のため、先生から遠回しにこれ以上育たないことを告げられました。
誕生日の2日後、人工死産のため入院です。

ママと同じ月に誕生日だね。
でもこんな出会い方はしたくなかたったよ。





Name: あんず    ..panda-world.ne.jp
Date: 2017/09/08(金) 10:14
  返信  引用  編集 
Title: 19週 子宮内胎児死亡    
赤ちゃんを出産して1週間が経とうとしています。
火葬も終わり、お家に帰ってきました。
後陣痛でお腹が痛く、何回も目覚めます。
ゆっくり家事もしています。
何もしていないと考えるので、何かしていないと落ち着きません。
主人にも子供たちにも悲しい顔は見せちゃいけないと、帰ってきたら普通に接しています。

元気に産んであげれなかった、どこかにいってしまった赤ちゃん、もう帰ってこないことは分かっています。
今はまだ側に居てほしいと、もう少しママの側に居てねって話しかけて居ます。

19週で産んだ貴方は小さくてとっても可愛い女の子だった。
小さいのに、鼻がパパ似でどんなお顔だったのかなぁってママは少し微笑みました。
お姉ちゃんもパパもおばあちゃんも可愛いねって言ってくれて、よかったね、最後にお姉ちゃんにお手手繋いでもらえてよかったね。家族写真撮れてよかったね。

何にもしてあげれなかった。可愛いお洋服買いたかったなぁ。
原因も分からず、少ししか胎動も感じなくて、貴方が死んじゃったなんて考えてもなくて、何も知らずに過ごしててゴメンね。
ねぇ、赤ちゃん。
どこで会えるのかなぁ。寂しくないかなぁ。
骨になってしまった。
もう何もないよ。





Name: 仁八ママ    ..au-net.ne.jp
Date: 2017/08/27(日) 07:53
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Title: 40週死産    
2017年8月3日に、可愛い可愛い男の子を出産しました。
第一子でした。

8月1日の定期検診で、心拍がないことを伝えられました。
妊娠生活はつわりもなく、やりたいことができて、お腹にいる時から親孝行な子どもだと幸せでいっぱいでした。
検診も毎回、異常なし。
先生のことばを信じ、過信していました。

死産を告げられる3日前が出産予定日。
お腹になんとなく張りがあり、1時間くらい横になっていた。
ネット検索してみたり、病院でもらった本を見て、病院に連絡するか迷ったが、痛みや出血がないし、予定日だし、こんなものかとやり過ごした。
胎動も普段から毎日はチェックしておらず、動きがあった時にはこちらも反応してはいたが、ない時は今日は動きたくないんだな、そんな日もあるなと呑気だった。

取り返しのつかないことをしてしまいました。
あの時、病院に相談の電話をしていたら、すぐに取り出して今頃元気だったはずだ・・・と、後悔しても、もう息子が還ってこないことはわかっているのですが、悔やんでも悔やみきれません。

命には宿命がある、確かにそうも思います。
なにも身に覚えがなければ、それを受け入れられますが、あの時、気付いていたのに気づかないふりをしていた自分がいるので、なかなか腑に落ちません。

一生、この気持ちを背負っていくのは仕方がないとは思っていますが、どう処理していたのかわからず、思わずこちらで気持ちを吐かせていただきました。





Name: よしこ    ..ztv.ne.jp
Date: 2017/07/28(金) 23:18
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Title: 骨形成不全U型 19週で心停止    
14週で頸部浮腫が2ミリ。
正常値だけど、一応経過観察と言われる。
羊水検査はしないと意思表示。
産まれてきた子をそのまま愛したいと思っていた。

16週で、頸部浮腫はなくなったけど、頭が・・と言葉を濁される。
紹介状を書いてもらっても、羊水検査はしませんと言うと、じゃあまた2週後にと言われる。
私は、このお医者さんは何を言ってるんだと、少し怒ってた。
我が子は元気に産まれてくると疑ってなかった。

18週。
水頭症で、ここでは産めないから大きい病院へ行ってと言われた。脳を圧迫しているので、障害もあるだろう。
ネットでどれだけ調べても、この週数ならまず障害がないことはあり得ない。

その晩、夫婦で話し合い、先に天国で待っててもらうことにした。
どんな子でも愛するって、私、思ってたのに。
自分でも驚いた。
でも、家でご飯が食べられない、医療がないと生きられないのは、生きてるって言うのかなって思ってしまった。
介護や仕事や他の家族のことも、色々考えてしまった。
でも、正直、泣き過ぎてよく分からなかった。

次の日は友人の結婚式。涙をこらえて出席。
友達の妊娠報告あり。
私と同じ思いをしたらいいのにと思った。
上手に息ができなかった。

次の日に大学病院受診。
その時には四肢短縮症と診断。
重症なので、産まれても息ができないから生きられない。
治療はないと言われた。
今後、羊水過多になるため中絶を勧められる。
悩まなくていいことにホッとした自分が情けなかった。

中絶は22週直前にしたいと決めた。
2日後に病院受診。
すぐに回答を求められたが、先にエコーをしてほしいと頼んだ。
エコーはいつも可愛かった。
でも可愛い心臓は動いてなかった。

静かなお産も辛かった。
生きているうちに産み落とすのも辛かっただろうなと思った。
浸軟した我が子は浮腫もひどくて、お腹の中が見えちゃってた。
でも、どの子より可愛くて、手を握りながら寝た。
絵本も読んであげた。キスもした。

主治医には、赤ちゃんは寿命を全うしたと言われた。
温かい言葉にも、突き刺さる言葉にも、どちらにも感じた。
私は、あの子はお空ではなく、地面に帰ってる気がする。
地表の温かいところ。
どうぞ安らかに眠れますように。

5万人に1人の珍しい病気。
でも、あの子に会えたのは、何億人に1人の確率。
母と息子として出会えた運命を、ずっと大切にしたい。
感謝したい。






 
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