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   2度目の流産   
   8週 胞状奇胎による流 ....   
   顕微授精27週での死 ....   
   繋留流産 9週   
   36週5日 心拍停止   
   不妊治療後、妊娠8カ月 ....   
   2度の流産   
   2回目の流産 10週  ....   
   稽留流産   
   妊娠6ヶ月 羊膜索症候 ....   

Name: クリス    ..ocn.ne.jp
Date: 2018/03/16(金) 14:33
  返信  引用  編集 
Title: 2度目の流産    
初めの流産は、稽留流産。
手術で休みを取る為、社長にだけ話した。

2度目の妊娠は、ある程度安定してからと思い、職場の誰にも言っていなかった。
その中での出張。
不安に思いながらも、東京へ行った。
途中、出血があり、お腹が張り始めた。
それでも仕事を終え、帰りの新幹線に乗り、これで一安心と思った瞬間、ドバッと水と血の混ざった物が大量に床に落ちた。
急いで新幹線のトイレに入ると、ゴポゴポと大量の出血。
直ぐに病院に電話するも、「残念ですが、もうどうする事も出来ないので、明日病院に来てください」と。
正直、今、この状況が酷すぎて、助けを求めたいのに、酷い対応だった。
夫に連絡したら「今すぐ緊急ボタン押して、助けを求めて、新幹線から降りて病院いけ!」と。
ゴポゴポ、ゴポゴポ。
もう流れているのは明らかで、この状況から動く事も出来なくて。けど、このままではいけないと思って、緊急ボタンを初めて押した。
駅員さんに、医務室的な所に連れて行ってもらって、トイレとベットを往復した。
赤ちゃんどこ?と探しても分からない。
大切な命なのにトイレに流れいく。捨てているみたいで、辛い。
こんな形でなく、赤ちゃんを探して取り上げて欲しかった。
自分の中が空っぽになっていく。

最寄り駅に到着して、車椅子で移動した。
母と妹が駅まで迎えに来てくれた。
母の顔を見てホッとしたのか、涙が止まらなかった。
車の中で母は、「子供が出来ない事でなく、あなたが辛い思いをするのが一番辛い」と涙を流し、
自分の所には赤ちゃんが来てくれないのかもと泣く私に、妹は、「姉の為に私が産むから。養子にもらって」と。
妹の思いに、涙が止まらなかった。
お腹の中に宿った命を失うという事は、本当に辛い。
家族を悲しませる事も、本当に辛い。
私のせいで、みんなごめんなさい、何度も心の中で謝った。

家に着いて、旦那が泣く事は無かったけど、寂しそうな表情だった。
元々感情的にならない人だから、特に何か言ってくれたとか、そうという事は無かったけど、私が不安と悲しみで、そばにいたり、甘えたい時はふんわり受け入れてくれる感じだった。

次の日は病院へ行った。赤ちゃんは、やっぱりいなかった。
ただ、流れきれていない赤ちゃんを守るものが少し残っていると。来週、それが流れきっていなければ、手術をして取り出すとのこと。
仕事も明日からでも大丈夫と。
赤ちゃんが流れてしまっているので、流産の原因はわからないけど、不育症の可能性があるから、検査をした方がよいとの事だった。

けれど、私は自分が出張へ行ったせいだと思った。
もし妊娠した事を報告をしていれば出張へ行かなくてよかった。
流産する事も無かったかもしれない。
まわりへの配慮と思っていたけど、何より大切なのは、赤ちゃんだったのに。後悔してもしきれない。

その後、出張の仕事の続きを始めた。
何事も無かったように2店舗の店長と連絡をとりながら、自店を含め、3店舗分の仕事をした。
涙を流しながら家で仕事をした。

次の日も、出血はずっと続いていて、腹痛が酷く、仕事が出来る状態ではなかった。
腰を90度曲げていないと、立つことすらできないくらい痛い。
職場には、風邪をひいて、腹痛が酷くて仕事に出られない。という理由で、2日間の休みをとった。

流産して4日目、仕事に復帰した。
職場には何も言わず、何事も無かった事のように。
だけど、出血は1週間続いた。

2度の生理がきたら、また妊活してもいいらしい。
そして、不育症の検査の為、病院の紹介状をもらった。
不育症だったらどうしよう。この先、どうなるのだろか。

夫と二人で、義父と義母に会う約束をした。

私の嫁ぎ先は、寺。
義父が住職、夫は長男で次期住職で、現在は公務員と寺の仕事のかけもち。
姉二人も寺に嫁いでる。
私は、ずっと自分は寺の嫁として、ふさわしくないと思っていた。だからこそ、自分の仕事をがんばって、上の役職へ昇進する事で認めてもらいたいと思っていた部分もあった。
御門徒さんが沢山いる以上、公務員のような堅い仕事なら誰からも認められるからだ。

それでも、義父と義母は、温かく私を迎え入れてくれた。
義父はいつも笑顔で優しく温かい。
義母は、いつも私を気づかってくれて本当に優しい。
ただ、寺の嫁として嫁いだ以上、私は子供を産まなくてはならない。それも、出来れば男の子。
誰から何を言われたわけではないけど、わかっている。
だけど、こんな事になってしまって、合わせる顔が無かった。
私は寺の嫁として、ふさわしくないかもしれない。
申し訳なくて、会うのが怖かった。

義父と義母は、いつもと変わらず、温かく迎えててくれた。
そして、なかなか言い出せない私を気づかって、夫が話し始めた。

しかし、義父と義母が話してくれた内容は意外だった。
まず、義姉のこと。
義姉は2人出産しているが、結婚してなかなか子供が出来ず、流産も4度経験したこと。
その中には、安定期もすぎてだいぶ経った後に流産して、産むときも大変だったこと。
義母自身も、出産が難しいと言われながらも、色々な病院をまわり、子宮を半分とる手術を受けて出産した経験があること。
大変な思いをしている人は、私だけではない。諦めなければ、希望があるということ。

ここに来て、辛い思いをすると思っていたけど、逆だった。
私の為に辛いことを話してくれて、温かい言葉を沢山頂いた。
私は寺の嫁にふさわしくないとか、御門さんの期待に応えれないかもなど、寺の事ばかり気にしていたのに、義父と義母が心配しているのは、私の体の事だけだった。

私はバカだ。本当に自分は恵まれている。
義父と義母のもとに嫁ぐ事が出来て、本当に幸せものだ。
いつか、必ず恩返ししたい。
今度こそ元気な子供を産んで、喜んでもらいたい。そう心から願った。





Name: -    ..sannet.ne.jp
Date: 2018/03/09(金) 02:04
  返信  引用  編集 
Title: 8週 胞状奇胎による流産    
待望の2人目妊娠が妊娠検査薬で判明。

不妊治療でタイミング法を指導され、がんばって3周期目での妊娠。
驚きと感動を覚え毎日がわくわくでした。
5週目で胎嚢が見えたので、次は心拍確認だね、名前どうしよう?気が早いね、などと夫と話していたところでした。

ある土曜日の朝、粘りのある茶色い出血がありました。
病院へ電話すると、すぐ来て、と、緊急で受診。
胎嚢がいびつで、育たないかもしれない。
そう言われたときは本当にショックと不安でした。

初期の流産は仕方のないこと、という知識はありましたが、とにかく安静を心がけました。
安静にしているうちも、不安ばかりでした。

次に受診すると、心拍がなく、胎嚢がますますいびつに。
異常妊娠かもしれないと言われました。
胞状奇胎の可能性があると。
まだ信じられず、つわりもないので(胞状奇胎はつわりが重いとネットで見ていた)夫も信じられない様子でした。

胞状奇胎の疑いということでクリニックから大きな病院へ紹介されました。
私はショックで意識を失いかけました。

やはり心拍なく、ホルモン値が高いため、2度の手術。
本当に本当につらかった。
経過観察の採血。
1年間は妊娠禁止。

命があること、当たり前のことじゃないんだ。奇跡的なことなんだ。
生きよう、と思えました。

ただ、周りで複数の子連れや赤ちゃんを見ると涙が出ます。
見たくない、消えろ!とも思います。
いつまでこの荒れた気持ちが続くのか。
また次の妊娠が怖くて。

タイミング法をがんばってましたが、
無理な妊娠はしないほうがいいのかなと思えてきました。





Name: はるママ    ..ocn.ne.jp
Date: 2018/02/21(水) 13:35
  返信  引用  編集 
Title: 顕微授精27週での死産    
40歳で結婚し、不妊治療を始めました。
6回の人工授精でも効果なく、体外受精へ移行を考えていた矢先、41歳の時に自然妊娠。
しかし、6週で心拍を確認することなく流産。

そして体外受精を開始し、42歳、顕微授精で妊娠しましたが、胎嚢のまま赤ちゃんにならず2度目の流産。
43歳となり、凍結受精卵の最後の一つにかけて胚盤胞を戻し、妊娠。
今回は安定期まで来たと安心していた7か月に入ったある日、
いつもの胎動が少なく弱い。
数日前にエコーしたときは問題なかったけど、ゆすっても起きなかったので また寝てるのかな、と思っていました。
でも、やっぱりいつもと違う。
休み明け受診すると、すでに赤ちゃんは亡くなって少し時間がたっていたのです。

早く受診しなかった自分に後悔と赤ちゃんへの申し訳なさで涙が止まりませんでした。
少し具合が悪いのかもしれないと思っていたけど、まさか亡くなっているなんて。
これまでの治療で採卵が難しかったので、赤ちゃんに兄弟は産んであげられないだろうと思っていました。
きっと最初で最後の赤ちゃんだから、大事に大事にって思っていたのに。
悲しくて悲しくて、今はどうしていいのかがわからないくらいです。

ひとまわり近く若い夫は優しく支えてくれますが、子どもが大好きで、亡くなった赤ちゃんを抱いてかわいいかわいいと何度もつぶやいていました。
かわいそうで解剖など詳しい検査はしませんでした。
染色体検査もしませんでした。
臍帯が長めで首にかかっていたけれど、締まってはいなかった。
臍帯が捻じれて細くなっていた部分があったがけど、血流が途切れるまではいなかった。それだけがわかりました。

まだ、赤ちゃんがなくなって1週間しかたっていないので ただただ泣くばかりの毎日です。
これから夫のためにも前をむかなくてはとは思っていますが、まだ時間がかかりそうです。





Name: ヤマト    ..au-net.ne.jp
Date: 2018/02/11(日) 16:54
  返信  引用  編集 
Title: 繋留流産 9週    
昨年、両側卵巣腫瘍で片方摘出し、もう子供は望めないのかなぁと諦めていた矢先に第二子を授かりました。

第一子から4年。待望の第二子でした。
一度は諦めていたママになれる喜びでいっぱいでした。

9週目の診察で、心拍がないことが分かりました。
8週目まで成長はしていた。愛しい愛しい子。

頑張ったね。ママのとこに来てくれてありがとう。
お姉ちゃんに会わせられなくて、ごめんね。
忘れないからね。お空で見守ってね。





Name: はな0730    ..ocn.ne.jp
Date: 2018/02/07(水) 15:49
  返信  引用  編集 
Title: 36週5日 心拍停止    
初めての妊娠でした。妊娠中は産休に入るまで仕事をしていたので、体調が悪くても、自分とお腹の赤ちゃんに頑張れと言い聞かせていました。
今思うと、だいぶ無理をしていたかもしれません。
ちょうど、友達も出産する子が多く、次は自分の番だと当たり前のように思っていました。
お腹の赤ちゃんを労わることもなく、妊娠した奇跡に感謝することもありませんでした。

検診日の5日前、胎動を感じないことに気がつきました。
臨月に入ると胎動が減ると聞いたので判断が難しく、不安なまま1日様子をみていました。
次の日の朝一番に病院に電話をして、受診しました。
エコーで確認をするまで、私も電話対応した助産師さんも先生も胎動を感じないのは気のせいだくらいの雰囲気でした。
エコーを見た先生の表情を見て、気がつくと、私の目から涙がこぼれていました。
他の先生や助産師さんがバタバタと出入りした後、心拍が確認できないと先生から説明されました。
そのまま大きい病院に移動して、すぐに入院になりました。
信じられない事態に気持ちがついていけず、すぐに旦那や両親に連絡することができませんでいた。
しばらくしてかけつけてくれた旦那の顔を見たら、ああ現実なんだと実感し、ただただ「ごめんね」と泣きました。
旦那も黙って泣いていました。

それから陣痛促進剤で3日間。
初めての我が子に会う瞬間まで、どこかで赤ちゃんは生きているという期待が捨てられませんでした。
確かに赤ちゃんは私のお腹の中で元気に動いていました。





Name: さくらくんママ    ..rev.vmobile.jp
Date: 2018/02/07(水) 12:55
  返信  引用  編集 
Title: 不妊治療後、妊娠8カ月、30週、臍帯ヘルニア    
晩婚のせいもあり、不妊傾向で、1年間に採卵4回しても妊娠できず、
仕事を辞めて転院して、不妊治療2年でやっと授かったさくらくんを子宮内胎児死亡で亡くしました。

妊娠25週から切迫早産で入院していたが、羊水少し多め、胎児少し小さめも原因がわからず、お腹のなかで亡くなる前日に初めて臍帯ヘルニアが判明した。
朝、看護師さんの心音確認でいつも元気に聞かせてくれたさくらくんの心音がなくなった日のことを思い出すのは怖く、今でも泣いてしまいます。

病気があるのをわからなかったから、毎日さくらくんに大きくなあれと話してごめんね。
不妊治療で、高齢で、やっと授かった赤ちゃんに病気があり、生きて生まれてこれないなんてと、本当にこれからどう生きていったらいいかわからなくなりました。

さくらくんは、いつもママ思いで、仕事中は出血がなかったし、出血があったときはパパがいるとき、お腹の病気もママが心配するからずっと隠して、ただ、さよならの前日にはママに覚悟を促し、亡くなった日はパパがお休みで、出かける前でしたね。
ママにしてくれてありがとう。
ママを守ってくれてありがとう。

まだ死産から2ヶ月弱、生理がまだなくて、楽しみがもてない、
さくらくんのもとにいきたいと思ったことも何度かあるけど
このポコズママの会とパパにだいぶ救われてます。

死産からしばらくは情緒不安定になり、楽しみがなく、
やる気がなく、いきてるのをやめたくなったり、
毎日泣いたりするのは当たり前の変化感情だとわかったからです。
それだけで何度も救われてます。

まだまだ1日1回は泣きますし、泣くとすっきりします。
さくらくんのママは私しかいないと思うと、
さくらくんにずっと好きでいてもらえるようにしたいです。
さくらくんとたまごちゃんを迎えにいけるように頑張りたいです。

経験した人しかわからない、本当に辛い経験をしたポコズママの皆様の願いが叶い、穏やかに幸せになりますように。

目には見えないが、ポコズママが全国各地で毎日耐えて頑張ってるのは励みになります。
死産に負けずにもっと幸せになりましょう。
私達は天使くん、ちゃんに見守られてるから最強なのです。





Name: mie    ..mesh.ad.jp
Date: 2018/02/05(月) 03:59
  返信  引用  編集 
Title: 2度の流産    
2013年3月の朝、大量の出血。
初めは生理?と思ったら、血が止まらないので、病院へ。
医師より流産だと診断されました。

その日を境に、鬱が発生しました。

旦那を始め、周囲からは、私が悪いと責められました。
兆候はあったかもしれないが、旦那の入院の付き添い等で片道2時間掛けて1ヶ月間毎日通っていて、ホッとした矢先の出来事だったので、ショックが大きかった。
それから、月日が経ち、去年の秋頃、妹の妊娠が判明。
笑顔で祝福できない自分がいました。

そして先月、2度目の流産が判明しました。
今回に関しては、職場の上司以外話していません。

先輩からは、子どもがいない家庭はダメな人間だって遠回しに言われてしまいました。
この5年間、誰にも話せずにいる自分が悪い、自分の不注意などマイナス思考に考えてしまいます。





Name: となり    ..bbtec.net
Date: 2018/02/03(土) 18:00
  返信  引用  編集 
Title: 2回目の流産 10週 稽留流産    
前回は7週で稽留流産。悲しかったけど、偶発的とのことでサプリを飲んだり 体を暖めるなど生活改善をして次の妊娠に臨んだ。

妊娠5週で胎嚢確認。妊娠7週で心拍確認。
前回の事があるから流産しないか不安で不安でたまらなかった。
6週目から出血が見られ 絨毛膜下血腫の診断でさらに不安が強くなった。それでも旦那に家事や子供のお世話をお願いしてひたすら安静。

個人病院から産科のある大病院へ紹介され初診時もとても緊張しましたが 赤ちゃんは元気だと言われホッとした。
出血は続いたけど、赤ちゃんは元気に育ってると思うと不安も和らいだ。
そして10週目の検診時、エコーを当てている先生が無言。
「ほかの先生連れてきて」と、声が聞こえる。
その瞬間、心臓動いてないんだなぁと流産を確信。
直後は呆然として泣くこともなく、淡々と医師の話を聞くことが出来た。
自然排出でも手術でも良いと言われ帰宅。

今、稽留流産が確定して1週間が過ぎた。
自然排出か手術か決めかねている。
ただ、ふとした時に涙が出る。
旦那にもキツイ言い方になるし 娘の世話も気後れする。
流産確定後も悪阻が続いてて、何もかも嫌になっている。
そんな自分が申し訳ない。





Name: にゃ    ..ocn.ne.jp
Date: 2018/01/21(日) 14:45
  返信  引用  編集 
Title: 稽留流産    
2回の稽留流産を経験し、自然排出を選択しました。
自然排出を待つまでの期間は精神的にをは地獄です。
ただ、自然排出を終えた後は、体に優しい方法で終えられたということで心地よく過ごせました。

稽留流産の前に2人の子どもを妊娠・出産しています
皆さんの参考になるよう、要点だけまとめます。

■手術か自然排出
・日本では手術が多いが、欧米では自然排出が一般的
・私の場合、二人目を帝王切開しているので、手術してさらに子宮内膜が薄くなることは避けたいし、問い合わせた病院によっては「ハイリスク」と言われた。
・そのことから、1回めの稽留流産、2回めの稽留流産共に自然排出を待つことにしました。

■仕事をしていたか
・1回めの稽留流産は育休中で仕事してませんでした。
・2回めの稽留流産は仕事していました。

■自然排出を促す方法
・海外では使われているが、日本では一般的ではない薬があるとのこと
→神戸にその薬を使っているところが1院だけあったが、自分は東京在住であり、また1回通院すれば良いというものではないらしいので、諦める。
・漢方(自然排出を促したい旨を相談すると、子宮内膜からいらないものを剥がすような漢方を処方してもらった)、鍼灸、鍼灸整骨治療院での下腹部マッサージ(かなり強め)、ジョギング、ゼラニウムオイル、仙骨カイロ、ヨガを日々実践。

■結果(日単位)
・1回めの稽留流産
流産確定  2016/1/12 10W0D
(その前の診察で「流産かも」と言われ、その次の診察が1/12でその時に確定)
漢方飲み始め 2016/1/13
ジョギング  2016/1/18頃から本格的に開始
治療院下腹部マッサージ 2016/1/24頃から2回程度実施
少しずつ出血が始まる  2016/1/28頃から
自然排出   2016/1/31(流産確定後、2週と5日後)

・2回めの稽留流産
流産確定 2017/10/23 10W0D
(その前の診察で「流産かも」と言われ、その次の診察が10/23でその時に確定)
漢方飲み始め 2017/10/25
ジョギング  2017/11/13頃から本格的に開始
治療院下腹部マッサージ 2017/11/6頃から週1回程度実施
少しずつ出血が始まる 2017/11/20
自然排出 2017/11/23(流産確定後、4週と2日後)

■自然排出の日の流れ
・1回めの稽留流産
夜中の2時頃痛みで目がさめ、その後生理痛の10倍くらい(私は生理痛が軽い方です)
の痛みで痛みが激しくなっていき、どちらかというと陣痛に近いような痛み。
痛みがひどく、病院からもしもの時用に処方されていた痛み止めを服用。
痛みに波があるが、4時間ほど続き、朝6時頃血の塊(2センチ)が出たため自然排出したかと思い病院へ。
そうするとまだ出てきていなくて、結局病院でもまだ痛みが続き、朝7時頃「スルっ」と塊が出てきた。これで完全に排出。
病院でその後見てもらい綺麗に排出されているため手術不要とのこと。

・2回めの稽留流産
家族でサイクリングした後、夕方5時頃に家に帰り、生理痛の5倍くらいの痛み。
この時は痛み止め飲まずがまんできた。
波があるが4時間ほど痛み続き、夜9時頃便意がありトイレでいきむと、「スルっ」と塊が出てきた。これが完全排出かなと思った。
実際この後、痛みは引いていってひどい痛みは無くなった。
その晩は様子見とし、翌朝いちばんで病院にいき、綺麗に排出されているため手術不要とのこと。

■排出後について
・2回めの稽留流産の時は仕事していたので、2週間の休暇をとった(制度があった)
・出血は2週間から3週間続いた(最後の1週間は薄い茶オリのみ)
・2週間後に病院で、内診、エコー、血液検査(HCG値)を見てもらい、子宮内に妊娠組織が残っていないことを確認してもらった

■アドバイス
日本の社会では自然排出は難しいかもしれません。
いつまでかかるかわからないため職場への迷惑、外で排出となった時に恥ずかしいなど。
私の場合は外で排出となることはなかったです。
どちらも家でリラックスしている時に自然排出となりました。
待っている間は「いつ出てくるのか」「結局でてきてくれなくて手術になったらどうしよう」「今日も排出のためにジョギングをしないと」などプレッシャーや不安から精神的には地獄に陥ります。
しかし自然排出を終えた後は、自然排出の方が体には優しいと病院の先生もおっしゃっていたため、自然排出を選んで、良かったと思います





Name: 麻仁くんママ    ..au-net.ne.jp
Date: 2018/01/10(水) 22:22
  返信  引用  編集 
Title: 妊娠6ヶ月 羊膜索症候群(羊膜索による臍帯血循環不全)    
地方から夫の元に嫁ぎ、無事に挙式を終え
そろそろ仕事を始めようかなと思っていたころ、
微熱や体調不良が続いていたため、
もしかしてと思い検査してみると、妊娠していました。

酷い悪阻をこえて、ようやくご飯が美味しくなったころ、
お腹の胎動の異変を感じて病院へ行きました。

その時は「子宮頸管も長さがあり、赤ちゃんも育ってて元気ですよ」と言われ、心音も聞くことができて、
3週間前の検診時より、心音が大きくなっているように感じたので、
不安を抱えながらも、少し安堵して帰りました。

その2週間後、定期検診の前日の夜。
行かないで、やだ、こわい、とずっと言葉が出て
涙も止まらずパニックになり、これがいわゆる第六感だったのかなと思います。
明け方5時に感じた胎動が最後でした。
今日で性別分かるかな?なんて夫とワクワクしながら起きたのに、
病院で「心音が聞こえない」と言われ、成長も止まって胎児浮腫もあると伝えられました。
成長はちょうど病院へ行った2週間前で止まっていたので、
前の時にもっと見てもらえばよかったと後悔しました。
あの日聞いた心音が最後になりました。

即入院となり、その時点では何が原因か分からぬまま、
1日半かけてラミナリアで子宮口を広げて錠剤で陣痛を起こし
2時間で破水、その30分後に出産しました。
25cm221gの男の子でした。

産んだ直後、年配の助産師さんが「これは、しんどかったな…」と言い、
新人の助産師さんを早く拭いてあげなさい!と叱っていたので、何事かと思えば「だって…足が…」と話しており、
なんとなく察しました。
胎動がおかしいと思った日から、同じところしかトントンしなくなったので。

診断は「羊膜索症候群」という、お腹の中での事故でした。
羊膜が何らかの理由でひも状になり、それが赤ちゃんの両脚、へその緒に絡んで血流不全になり、栄養分と酸素が供給できず循環不全になってました。
脚は壊疽していました。
つまり胎動で同じ所をトントンしていたのは動けなかった、ということで、考えるだけでゾッとしました。
年配の助産師さんでも初めてみたぐらい珍しい症例だそうです。

体重が同時期の胎児の半分で、生きようと頑張っていたせいで体重が減ってしまったことが伝わり
なんでもっと早く気付いてあげられなかったのか!と自分を責めました。

苦しかっただろうに。お腹空いただろうに。と言いながら
抱っこしたり、ヨシヨシしたり、可愛い息子との初対面をしました。
ちっちゃい指ひとつひとつにしっかり爪もあり、可愛い顔には眉もまつ毛もしっかりあり私に似ていました。

出産して2日後、火葬の日、よく晴れた残暑の日でした。
火葬場に向かう車の中でラジオからスピッツの「空も飛べるはず」が流れました。

君と出会った奇跡がこの胸であふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
夢を濡らした涙が海原へ流れたら
きっと傍で笑っていて欲しい

赤ちゃんからのメッセージのように思えて、夫婦で大号泣。
その日の空は忘れられません。

お互いの両親にもきてもらい、葬儀・火葬して頂き、まだ若いから骨が残らないかもしれないと心配されてた骨もしっかり拾うことができました。

自分の子どもを失うことがどんなに辛いか痛感し、
両親には絶対に同じ気持ちを味わって欲しくない
親より長生きすると心に決めました。

生命の儚さ、今生きてることが奇跡だと赤ちゃんに教わりました。
長々とありがとうございました。






 
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