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   双子 流産   
   流産 7週   
   17週5日 死産   
   8週  稽留流産   
   27週4日 死産  2 ....   
   34週 二卵性双生児 ....   
   19週0日 致死性四 ....   
   死産   
   19週5日 死産   
   37週 22週 2度 ....   

Name: 朱希・希空ママ    ..docomo.ne.jp
Date: 2007/08/20(月) 23:38
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Title: 双子 流産    
2006年9月25日。もうすぐ4ヶ月に入るところで、私たち夫婦の初めての双子の子供たちを流産しました。

最近親友が妊娠しました。日々大きくなっていくお腹で嬉しそうにベビちゃんのことを話し「亡くした子供を懐かしむより、早く新しい子供のことを考えたら?」と、私に言います。彼女が同じ立場だったらきっとそんなこと言えないはず。何事もなく無事に産まれてくることって、ひとつの奇跡だよ。

朱希、希空、キミたちがお空にいってからもうすぐ一年。悲しみを乗り越えてパパとママは毎日仲良く暮らしてるよ。来月はお参りに行くからね。
もう少しママが元気になったらまたふたりそろって帰ってきてね。約束だよ。





Name: ママ    ..docomo.ne.jp
Date: 2007/08/20(月) 15:07
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Title: 流産 7週    
ついに妊娠!嬉しくて大喜びしました。
初めての検診で「6週ぐらいのはずだけど、まだ胎のうしか見えてないなあ」そんな先生の言葉を少し気にかけながらも、喜びに溢れていました。

「次は1週間後に来て」と言われ、検診に行く予定にしていた前日、生理並みの出血がありました。病院に行くと「まだ胎のうはしっかり子宮内にあるけれど、7週なのに赤ちゃんがうつってないなあ。また、来週きて」と言われました。私はいつも生理痛がひどいのですが、そのときの痛みは、生理痛の何倍も痛かったし悲しかったです。

次の日、すごい血のかたまりが出てしまいました。これが赤ちゃんなのかな?というより、はっきりと赤ちゃんだとわかりました。すぐ病院に行きました。病院には妊婦さんばかりで、とてもみなさん幸せそうな顔でした。その一方、私は診察室で声をあげてしまうほど痛い処置をされました。

幸せで痛いならまだしも、悲しいうえに痛い。
家に帰って、痛みにもがきながらこのサイトを見つけました。言葉がおかしいかもしれませんが、すごく支えになりました。そしていっぱい泣きました。だから私はもう泣きません。ほんの短い間だったけれど赤ちゃんがおなかにいてくれたこと、そしてママになるということが、とても幸せという気持ちにさせてくれてほんとにありがとう。





Name: fueyacco    ..tst.ne.jp
Date: 2007/08/20(月) 01:41
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Title: 17週5日 死産    
17週5日で、念願だった男の子を死産しました。子宮頚管無力症が判っていたので、15週で子宮頚管を縛る手術を受け、術後は経過が良かったので、これで一安心と思っていた矢先の出来事でした。

退院して3日目から、1日に2〜3度、羊水がふわっと流れ出る感覚がありました。かかりつけの病院がお休みだったことから、受診できたのは、3日目の朝でした。
その時点で羊水が少なめだったので、大学病院に紹介状を書いて頂きすぐに向かったのですが、その後の診察で「感染症がみられる」と診断され、破水もおさまらず、翌朝には主人と一緒に妊娠の中断の説明をうけ、陣痛促進剤で陣痛をおこし、死産に至ってしまいました。

ちょうど分娩室では、隣りのベッドで元気な赤ちゃんを産む方と一緒になり、ほぼ同時に片方は元気な産声をあげ、そして私の赤ちゃんは静かに産まれました。待望の男の子だったと聞き、理由のはっきりしない涙がどんどんあふれでて、止まりませんでした。あまりにも急な事態の変化に、私も主人も言葉を失って、流れに身を任せるほかありませんでした。

何故さっきまで元気に心音があって元気だったのに、今はもういないの?何が原因?感染症はいつから?一体なにからばい菌が入ったの?私の行いが悪くて神様が罰を与えたの?手術のせい?先天性異常?3ヶ月たった今でも、何ひとつ解決しないままです。

妊娠自体が神秘的だから、駄目だった理由も神秘のヴェールに包まれているかのようです。いつまでも悲しんでいては亡くなった赤ちゃんも悲しがるだろうと思って気持ちを切り替えるのですが、お腹の大きな妊婦さんを見たりすると思い出し、この人は何のトラブルもないのかな?とか、性別は判ったのかな?とか、嫉妬にも似た感情がチラリと出て自己嫌悪に陥ったり、また、妊娠にむけてチャレンジはしていくのですが、出来ることなら、叶うことなら、許されることなら、又男の子を、そしてお空にいった私の赤ちゃんをお腹に宿してあげたい。そんな気持ちでいっぱいです。





Name: あきんこ    ..starcat.ne.jp
Date: 2007/08/20(月) 00:26
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Title: 8週  稽留流産    
8月7日、妊娠がわかってから2回目の産婦人科受診で、どれくらい大きくなっているか楽しみにしていました。
「成長していないなあ」先生の言葉の意味が分かりませんでした。
「流産です」といわれ、気づいたら涙があふれていました。

10日くらい前で成長が止まっていて、前回確認できた心拍も見えませんでした。
ちょうどそれくらいのときに褐色のおりものがでて、すぐおさまったので疲れがでたのかと軽く考えていました。
あのとき病院に来ていればと後悔し、泣きながら先生に尋ねました。
「もし病院に来ていたとしても、この段階では何もできないので結果は同じだったでしょう」とのこと。
少し救われた気もしましたが、ショックで泣きながら帰りました。

11日に手術が決まり、全身麻酔と聞いて不安がつのりました。
手術の流れは、先生が説明してくださったので分かってはいるものの、全身麻酔で手術しないといけないのか?痛みはどれくらいなのか?手術後の生活は?など小さな疑問がいくつもでてきて、それが不安につながりました。

ここを読んで、同じような経験をしている人がたくさんいるんだと思うことで、少し安心できて、多くの人が全身麻酔で手術していることや、体の痛みより心の痛みが大きいこと、手術後の安静の程度などを知ることで不安を軽くし、落ち着いて手術の当日を迎えることができました。

11日9時に病院へ行き、子宮口を広げる薬をいれてベッドに横になって、14時頃から手術が開始されました。もうろうとした意識の中で目が覚めたのは16時頃でした。意識がはっきりしてきたのは17時頃。ふらふらとトイレをすませ、主人に支えてもらいながら帰宅しました。

朝から飲まず食わずで、お腹は減っていたのですが、食べたバナナと飲んだお茶は吐いてしまい、結局、麻酔がきれる21時頃になって、ようやくおかゆが食べられました。

ちょうどお盆休みだったこともあって、家族に甘えて12日から14日までの3日間、ベッドでごろごろしていました。12日の夜から徐々に出血が増え始め、生理のようになりました。入浴はシャワーのみなら当日から許可がでていましたが、当日の夜は麻酔がまだきいている感じでフラフラしていたので、翌朝シャワーをしました。

ゆっくり休ませてもらったので、15日にお盆で親戚が集まりましたが、いつもどおり接することができました。
17日に経過を見てもらうために受診をし「順調に回復している」といわれました。入浴も可能になりました。出血がこの先2週間続いたり、来月生理がこなかったりしたら再受診しなければなりませんが、何もなければもう大丈夫といわれています。

「3回生理を迎えたら次の妊娠を考えていい」ともいわれています。
今はまだ出血がありますが、すっかり普通の生活にもどりました。
今度は元気な赤ちゃんが授かりますように。





Name: ナナ緒    ..hi-ho.ne.jp
Date: 2007/08/19(日) 11:44
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Title: 27週4日 死産  2度の流産 子宮外妊娠    
2度の流産。
3度目の妊娠で、初めて母子手帳をもらうことができました。
喜んだのもつかのま、明日から10週と言う日に意識不明で倒れ、総合病院に搬送されました。

原因は子宮外妊娠による卵管破裂でした。
お腹に元気な子供がいたので、卵管で育っている子供が判らなかったのです。「とても珍しいケース」といわれました。
CT検査、手術、輸血と次々と身体に負担はかかりましたが、お腹の子供が元気でいてくれることに救われました。

胎動が少ないかな?と思いましたが、定期健診のエコー検査では元気で、医師からも「心配ない」と、いわれていました。
いつも、朝、晩11時頃には「元気だよ」の合図のように、お腹をポコポコ蹴飛ばしてくれていました。

あと一週間で8ヶ月に入るという日の夜。
いつもの「元気だよ」の合図がありませんでした。
今までもたまに感じられないときもあったのですが、この日は何故か不安でたまりませんでした。

眠れないまま朝を迎えました。
その間一度も胎動が感じられず、朝一番に病院に連絡を入れて、緊急に診察をしてもらいました。
「赤ちゃんの心音を確認します」と言われましたが、聞こえてくるのは私の心音だけで、赤ちゃんの心音はきこえませんでした。
日曜日だったので当直の先生が再度確認してくださいましたが、
「赤ちゃんの心臓は止まっています」
「心音が弱まった時に帝王切開をして取り出したとしても、助からなかったでしょう」と言われました。
何も考えられない自分と、現実を冷静に受け止めている自分とがいました。

翌日に入院して子宮口を広げる処置を受けると、誘発剤を使うことなく陣痛がおこり27週4日で出産しました。
悲しい出産でした。
その後、10週のときに卵管破裂で亡くなった子供のことが無性に思い出され、寂しくてしかたがありませんでした。
27週で亡くなった子の原因は、現在検査中です。
これで5人の子供を空へおくりました。





Name: やまこ    ..vectant.ne.jp
Date: 2007/08/15(水) 00:07
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Title: 34週 二卵性双生児 一児死亡    
のんちゃんがお空に行って、1年が経とうとしています。
初めての妊娠、しかも双子とわかり、とてもとても嬉しかったです。病院の先生が「双子なんだけど、大きさに差があるね。このぐらいの時期は普通、大体同じ大きさなんだけど」と言っても、大して気になりませんでした。

週数が進むにつれて、いろいろなことがわかってきました。2人は二卵性の男の子でした。そして、ちびっこのほうに対する先生の言葉は厳しさを含むようになっていきました。「両腕がないかもしれない」「胃がまだ見当たらない」「あごの発達が遅れている」そして「生まれても長くは生きられないかも」
でも、両腕も普通の半分の長さだけど、ちゃんとあることが後でわかったし、翌週には胃ができているのがわかりました。あごが小さいぐらい個性だと思ったし、何より、小さいながらも少しずつ大きく育っていました。

その後、担当の先生が異動になって、別の先生にかわりました。その先生は「腕は短いけれど、ちゃんと大きく育ってるよ」と言いました。「なんだ、前の先生は心配性だったんじゃないの」と思いました。でっかい子のほうはとても順調に育っているし、いつしか「生まれてこないかも」なんて不安はなくなっていました。

そろそろ、いつ生まれてもいいので管理入院を考えようか、という34週目の検診で、エコー画面を見るとちびっこのほうは足を長座のように長く伸ばして座っているように見えました。私は、「体柔らかいな」と笑ってしまいました。でもそのとき、先生は笑い返しませんでした。そして「ほかの先生呼んでくるね」と足早に立ち去り、先輩の先生を連れて戻ってきました。先輩の先生は、「この子、心臓止まってるね」と言いました。信じられませんでした。

翌日に入院して、4日後に帝王切開で2人を出産しました。ちびっこのほうが先に出てきたので、お兄ちゃん。「のんちゃん」と名づけました。でっかい子は弟で「はむき」
のんちゃんは978g、はむきは2,205g、すごく、差がありました。

はむきはそのままNICUに連れていかれました。のんちゃんは、先生たちにいろいろ調べてもらったり、写真を撮ってもらったりしました。後で説明がありましたが、直接の死因は臍帯過捻転だそうです。さらに、のんちゃんはたくさん障害を抱えていたことがはっきりしました。腕が通常の半分ぐらいの長さ、あごが未発達、両手両足とも指が四本ずつ、精巣がおりてきていない、首がちゃんとくびれていなくて肩とつながっている、そして耳が聞こえない。ショックでした。
これまでの検診で大体のことはわかっていましたが、まさか耳が聞こえてないとは思いませんでした。「障害があったっていいよ。いっしょにがんばろうね」と、おなかをさすって語りかけてたの、のんちゃんには聞こえていませんでした。

はむきは、その後3週間入院しましたが、低体重で生まれたということ以外に問題はなく、至って健康です。はむきが健康に生まれてこれたのも、のんちゃんのがんばりがあったからです。のんちゃんがもっと早くお空に行っていたら、はむきも一緒に行っていたはず、と看護師さんが教えてくれました。

ポコズママの会も、看護師さんが教えてくれました。はじめのうちは、悲しみが倍増するばかりだろうと思いこんで敬遠していましたが、読ませていただいて、みんな同じように悲しいんだ、と共感できて少し心が軽くなったりし、とてもお世話になりました。読むばかりで書き込むことはしていませんでしたが、1年経ってまだ辛かったら、思い切って書こうと漠然と思っていました。

そして1年を迎えます。はむきは無事1歳を迎えることができました。毎日彼から目が離せませんが、のんちゃんのことを想わなかった日はありません。お空から帰ってきてほしいと、今でも思っています。





Name: mimi    ..bbtec.net
Date: 2007/08/11(土) 23:52
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Title: 19週0日 致死性四肢短縮症    
昨年10月に繋留流産を経験した後、今年の4月自然妊娠したことがわかりました。

12週を過ぎて「今度は9割がた大丈夫」と先生に言われたので、周囲にも妊娠したことを報告し、喜んでいましたが、その4週後、16週の検診のときに「赤ちゃんの手足が短いので、超音波専門外来を受けるように」と、言われました。まだ異常が疑われただけで、はっきりと何かがわかったわけではなかったけれど、涙が止まりませんでした。その3日後に受けた検査で「お腹のなかの赤ちゃんは“四肢短縮症”で、腎臓の機能も悪い」と言われました。ショックでした。めったにおきないような遺伝子レベルの奇形なのに、なぜそんな病気が私の赤ちゃんに起こるのかと、原因を知りたくて、疑問がいっぱいで、納得のいかない日々がずっと続きました。

最初は致死性という診断ではなかったけれど、1週間おきに検診を受けてみていくと、どんどん羊水が少なくなっていき、最終的には腎臓がまったく機能していないということがわかってきました。「赤ちゃんが大きくなる前に諦めたほうがいい」ということで、数日前に中期人工死産をしました。奇形児だったけれど、私の初めての赤ちゃん、かわいかったです。もうかなわないけど、いつまでも一緒にいたい、と思いました。今は、生まれてくれてありがとう、と思っています。あの子が私の子であることは一生変わらず、そのことが私に勇気を与えてくれています。





Name: 苺葦ママ    ..jp-t.ne.jp
Date: 2007/08/11(土) 00:55
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Title: 死産    
妊娠している事が分かり、彼氏に相談すると「俺が守る。一緒に頑張ろう」と言ってくれて、産む決意をしました。
親に話すと、最初は反対されましたが、どうにか許しが出て、結婚して子供が産まれるのを楽しみにしていました。
結婚してからは両方の親が孫を楽しみに待っていてくれ、女の子だと分かると、すぐに沢山のベビー用品を買ってきてくれたり、誕生を心待ちにしてくれていました。
毎日元気にお腹の中で動いてくれて、毎日幸せでいっぱいでした。

そんな時、今日は動かないなあと朝から思っていて、ふと不安になり、急遽病院へ行きました。痛みもなにもありませんでした。
先生に「心臓が動いてないんだよね」と言われ、緊急入院で、普通の分娩と同じように赤ちゃんを出すと告げられました。妊娠8ヶ月でした。後少しだったのに。

1,670gでした。「苺葦(めい)」と名付けました。
パパそっくりの顔で寝ているようでした。
見た目は普通の赤ちゃんと同じなのに、泣いてくれる事は一度もありませんでした。

原因は分からないままですが、もう少し早く気付いてあげてれば。
こんなに大きく育ってたのに、この子の為ならなんでも出来る。こんなにも小さいのに、人を幸せに出来るパワーに気付かされました。

今はまだ立ち直る事が出来そうにありません。でも、少しづつこの子の為にも前へ進みます。

苺葦へ
色々、教えてくれてありがとう。
ママとパパを選んでくれてありがとう。
幸せをいっぱいありがとう。
苺葦の為にも、パパと仲良く、強く前進します。本当にありがとう。ずっと苺葦のパパとママだからね。





Name: ゆんゆん    ..zaq.ne.jp
Date: 2007/08/10(金) 22:34
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Title: 19週5日 死産    
7月11日の妊婦検診。
元気かな?と前の晩から、マメマメに会えるのを楽しみにしてました。いつも検診に行く前には、ちょっとだけ心配もありました。
その日は、先生がエコーを見る様子がいつもと違いました。
とても長く、すぐに何かが変だと気づきました。
「赤ちゃんが浮腫んでるから、大学病院で見てもらってください」ずっと涙が止まりませんでした。

紹介状の準備などで、とても長い間待合室で待たされて、その間も違う妊婦さんが、次々と検診にきます。
自分だけが、まさか。

大学病院では「浮腫んでるし、頭の中が水でいっぱいです。10ヶ月持ちません。たとえもっても長く生きられません。選ぶのはお母さんと家族です。良く考えてください」

結局赤ちゃんとお別れすることを選びました。

入院する病院はまた別の所。
そこでは「全前脳胞症」といわれました。

経産婦の私は陣痛促進剤を使っても、なかなか会えない。夜中には新生児の泣き声が聞こえてきて、入院がとても辛かった。
悩んだすえ、麻酔で処置してもうことにした。
7月25日に生まれた「天(そら)君」
19週5日間、ほんとうにありがとう。
たくさんの友達を作ってね。





Name: りさ    ..ocn.ne.jp
Date: 2007/08/08(水) 15:16
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Title: 37週 22週 2度の死産    
大学に入って3度目の4月、妊娠しました。
最初は両親の反対があったけれど、認めてくれました。
あわただしく結婚式をして、赤ちゃんは順調に成長していました。

37週に入ったある日、テレビをみていたら、赤ちゃんが動いて いないことにふと気づきました。
旦那くんは「病院に電話する?」と言ってくれたけれど、私は「明日の検診で聞いてみる」と、病院にいきませんでした。

翌日の夕方、病院でエコーをしたら赤ちゃんの心臓は動いていませんでした。「なにも問題ないのになんで?」と、泣きながら母を呼び、個人病院から大きい病院へ転院しました。

翌日、泣かないわが子を出産しました。
解剖はせず、原因不明のままです。

悲しくて、みんなに「生まれた?」と聞かれても「赤ちゃん、死んじゃった」というのがつらくて、認めたくなくありません。

死産から3ヶ月、再び妊娠しました。
うれしかったけど、怖かった。
思い当たる検査は全てしてもらって、怖かったけど検診では順調だった。

でも7月に入り、夜中から赤ちゃんが動いていないことに気づき、怖くて怖くて旦那くんと母に連絡し、病院へ行きました。
心音を聞くときに音が聞こえたから、なんだ、大丈夫なんだと思ったけれど、どこをあてても音が聞こえてきた。
聞こえてきたのは、私の心臓の音でした。
緊張しすぎて、脈もびっくりするくらい高かった。
エコーをみると、7ヶ月前にみた悪夢のエコーと同じでした。
どこも異常はなくて、心臓さえ動いてたら普通の赤ちゃんなのに。

産声の聞こえない2度目のお産をしました。
今回も赤ちゃんに問題はなくて原因不明。
「若いから次があるよ」という言葉がいやだった。
21歳という1年間に2人も子どもを亡くすなんて、全然大丈夫じゃない。
妊娠するのが怖いけど、また子どもを授かりたいと思っています。



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