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稽留流産 11週目
7週目 不全流産
9週 流産
9週 流産
8週目 稽留流産
死産 40週
6週 流産
稽留流産
8週 繋留流産
7週 不全流産
Name:
お母さん
..mesh.ad.jp
Date: 2006/03/14(火) 19:59
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Title: 稽留流産 11週目
流産の手術を受けたのは2005年5月でした。5月11日に産婦人科で流産だと診断され、2日後に手術を受けました。
当時は仕事が忙しく、妊娠を喜ぶ自分と戸惑う自分の間に私はいて、素直に赤ちゃんのことを受け入れることが出来ていませんでした。それが、赤ちゃんに伝わってしまったのでしょうか。
検査薬で陽性反応が出たのは4月の初めでしたが、4月の終わりに病院へ行って、妊娠していると診断されました。両親へは、心音が確認されてから話をしようと考えていましたが、ちょうどその頃、つわりがひどくなり、食事を作ることが出来なくなったので報告したところ、すごく喜んでくれました。しかし、心音が確認されることはなく、流産だと診断されました。
自分自身の生き方を反省しました。なんて自分勝手だったんだろう。仕事をすることで、主人にもすごく負担をかけていて、夫婦喧嘩の種はいつも私の帰宅時間が遅いことでした。私は身勝手で、未熟でした。ごめんね、ごめんね赤ちゃん。
その後職場を退職し、家族のために自分自身が出来ることを探しながらゆったりとした時間を過ごしていますが、なかなか次の子を授かることが出来ません。流産した当初、このホームページを見ていっぱい泣きました。でも、希望があると思っていました。なのに、なぜ、次の子を授かることが出来ないのでしょう。友人、知人の多くが結婚し、出産していきます。本当なら私も今頃は・・・という気持ちがぬぐえません。誰か流産すればいいのに、と思ってしまう嫌な自分がいます。私の流産を知っている友人が、私に他の友人の妊娠、出産の話をしてきます。どうしてそんなことができるのかと、信じられません。私の赤ちゃんの予定日だった日に、友人が女の子を出産しました。なんて皮肉な偶然。
この気持ちは次に妊娠して、そして、私の赤ちゃんをこの手に抱くまでは消えないのでしょう。時間が経って、悲しみが怒りに変わって、また悲しみに変わってそしてだんだんと薄れてきましたが、消えることはありません。このホームページを見ることで、私以上につらい思いをされている方がおられるということだけが、わたしの救いです。早くこんな嫌な自分にさよならしたい。
でも、流産が分かってから、今までずっとずっと私を支えてくれている大切な主人のありがたさをあらためて実感しました。主人の大切さを本当に実感することが出来ました。この人と結婚してよかったと心底思いました。だからこそ、一日でも早く、その主人にかわいい赤ちゃんを抱っこさせてあげたい。それができるのは私しかいないのだから。
Name:
ミユキ
..docomo.ne.jp
Date: 2006/03/14(火) 11:12
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Title: 7週目 不全流産
3月9日、流産しました。待ちに待った妊娠で、パパと2人で喜んでいました。
流産する前日、少量の出血が続いてたので、診察してもらうと、心音が見えて、薬をもらいました。次の日の朝、トイレに行ったら大量の出血と塊が出ました。すぐに病院へ行って見てもらったのですが、流れていました。その日に手術をして、次の日に退院しました。今はつらいけれど、次に赤ちゃんがきてくれたら、その子の分まで大事にしたいです。
Name:
はな
..point.ne.jp
Date: 2006/03/13(月) 21:33
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Title: 9週 流産
29歳の秋。排卵検査薬、基礎体温を駆使して、待ちに待った赤ちゃんがきました。予定生理日よりも前から妊娠検査薬を使って、それがだんだん濃くなってくることが本当にうれしかったです。
でも、はじめからつわりがあまりなく、不安がありました。
スポーツをしているので、つわりが軽いのかと思いました。
そんな心配はいらないかのように、赤ちゃんは順調に育っていきました。予定日も告げられ、職場にも産休の手続きをとりました。毎回の検診が楽しみで、検診のあとの写真を旦那や家族に送っていました。初めての孫なので、両親も本当に喜んでくれて、早いうちからベビー服を見たりしていました。
12月19日に検診を受け、次の検診の1月7日までの間に何があったのでしょうか。
19日の赤ちゃんは順調でしたが、1月2日に旦那の実家で微量の出血がありました。3日に病院へ電話をかけたら「大量の出血でないなら、様子を見てください」といわれ、ちょっと安心しましたが、義母に強く言われ、義妹の通う産婦人科を念のため受診しました。まさか「心臓が動いていません」と言われるなんて思っていませんでした。
「今日か、明日に入院してください」
実母のそばがよかったので、その日のうちに8時間かけて帰宅しました。そのときは、何の痛みもなく、赤ちゃんが生きていることを信じていました。だって、元気な私の子どもが死んでしまうなんて、想像もつかなかったからです。
朝になって病院へ行き、検診をうけても、結果は変わりませんでした。
「心臓が動いていません」頭が真っ白になり、なぜか、隣の部屋から聞こえる心拍の音だけが聞こえました。そのまま入院になりました。
その直後、ものすごい腹痛がおこりました。
初めての入院で、どの位でナースコールを使っていいのか分からず、だいぶ我慢しましたが、耐えられずに痛み止めをもらいました。トイレに行ったとき、貧血で運ばれてしまいました。夕方の検診までの3時間がとても長く感じました。診察で「赤ちゃんがもういません。すぐに手術をします」といわれ、あっという間に麻酔をうたれました。途中で「痛い、痛い」と言ったことだけを覚えています。
気がついたらベッドの上で、近くに母がいました。泣いていました。
おなかにもう赤ちゃんがいないかと思うと、私も涙が止まりませんでした。赤ちゃんができてから、毎日お腹に話しかけ、文字をかいて教えていた旦那も、ずっとそばにいてくれました。どうして、私たちの元を去ってしまったの?なんで?
1週間後の検診で、お腹の大きな妊婦さんに囲まれて待っている間、本当につらくなってしまって、周りを見ることができませんでした。受付では「母子手帳はお持ちですか?」ときかれました。旦那がそばにいて、ずっと手を握ってくれていてくれました。診察を受けると、とくに異常はなく「心音が確認されて、この位にまで育った後に流産する確率は100人で一人です」と言われました。そんなに少ない確立なのに。
妊娠前はタバコも少し吸っていたし、お酒ものんでいたし、スポーツもかなり激しくしていたので、そのせいなのか、と自分を責めてばかりです。
ニュースで幼児虐待を聞くと「どうして、そんな人が無事に産めて私は駄目なの?」とどうしても思ってしまいます。まだ周りの出産を心から喜べない状態です。
また、妊娠のことは周りにすぐに伝わるのに流産は伝わらないらしく、「どう?体調は?」とよく聞かれそのたびに「駄目だったの」と答えないといけません。流産したことを知らない、同じ予定月だった人から「男の子が生まれる予定です」というメールをもらい、私もそろそろ性別が分ったのかな、と、流産の悲しみは消えることはありません。
まだ、周りの赤ちゃんは見れません。涙が出てきてしまうからです。
赤ちゃんがいなくなって2ヶ月。きれいごとは言えません。
何が悪かったかと後悔するばかりです。
赤ちゃんは空の上から「私はあそこがいいな」と話し合っているそうです。また私たちの元へやってきてくれるでしょうか。
Name:
パナマ
..ocn.ne.jp
Date: 2006/03/13(月) 18:03
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Title: 9週 流産
おととしの8月、9週目で心拍が確認できず、流産しました。
6月末に、婚約者の子どもを妊娠していることが判明しました。彼はとても喜んでくれ「ちょっと早めにできちゃった結婚」に向け、両親に会ったり、会社に報告したり、引越し先の社宅も決まり、式場も決まり、ちょっと落ち着いてきたころでした。
老夫婦でやっている町医者にいっていたのですが、ちょっと出血していたので、一応みてもらおうかな、という軽い気持ちで病院にいったところ、みるなりすぐに「あ、だめだね。動いてないね。」とだけ言われ、
詳しい説明のないまま、子宮のためにも今日にでも手術をするように言われました。意味がわからず、どうしても納得できず、この爺さんがぼけてるだけなんでは?という気持ちにもなり、手術を断ったところ、「待っても明日まで。そうじゃないと大量出血しますよ」と言われ、「これを飲んでおきなさい」と薬をだされました。その薬は「流産止め」だと爺さんが言っていました。実際は「止血剤」だったらしいのですが、なんでそんな名前でよんでいるんだか、理解できませんでした。
もう流産してるっていったじゃないか、飲めば流産しないのかよと思いました。
すぐに彼は、会社をぬけてきてくれました。泣き叫ぶ私をずっと励ましてくれました。まだ、お腹の中には部分的にかもしれないけど、存在している赤ちゃんを、明日、かきださなくてはいけないのかと思うと、つらくてつらくて、お腹を手で押さえて「絶対に嫌だ」と、言い張っていました。こんなに小さな命を、1人で天国に旅立たせるなんて、かわいそう過ぎると考え、一緒にいてあげないとかわいそうだと思い、死ぬことも考えました。
次の日、総合病院に行くと、やはり流産していて、お腹に赤ちゃんはすでにいないことを説明されました。おそらく6週目くらいで亡くなっていたそうです。「次の妊娠のための準備だから」と彼がずっと手を握っていてくれてました。いっぱいいっぱい励ましてもらいました。はじめての妊娠が終わり、泣きながら手術用ベッドに移動したのを覚えています。
それからは、会社にも、友達にも、流産をしたことを自分から言って回りました。スポーツをしていたので、復帰するためにも流産したことを言わざるを得なかったので、誰かに会うたびに自ら言わなくてはいけないし、相手の気の毒そうにする対応もつらく、心がはりさけそうでした。
あのころはよく泣いていたと思います。旦那がいつも泣いている私を本当によく支えてくれたと思います。
妊娠を期に結婚を選んだ私が、なぜこんな思いをしなくてはいけないのか、と、人間平等でないとさえ思っていました。
医者に言われたとおり、生理が3回くるのをまって旦那と入籍し、すぐに現在の長男を妊娠しました。
このサイトをみて、こんなにも苦しい思いをしているママがいっぱいいることを知りました。あのころの私にこのサイトをみせてあげたいです。自分だけがなぜこんな思いをという気持ちでいっぱいだったから。
いっぱい泣いたほうがいいと思います。
きっと天国にいる赤ちゃんもパパ、ママが幸せのほうが、
同じように幸せに暮らしていけるはずです。
Name:
かすみ
..ezweb.ne.jp
Date: 2006/03/11(土) 12:03
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Title: 8週目 稽留流産
手術をしてから1ヶ月が経ちました。
私たち夫婦は仕事上、この時期の妊娠は自然淘汰される確率が高いことを承知していました。染色体異常で、流産してしまうのは自然の摂理だとも理解していました。
8週目に「心拍が止まっている」と言われたときは、涙は出ませんでした。人前では泣きたくありませんでした。でも、独りになったり、夫の声を聞くだけで、涙が出て、悲しくて、寂しくて、泣きました。子供を楽しみにしていた夫は、落ち込んでいる私を一生懸命励ましてくれました。手術の前夜、夫は「親子3人での最後の夜だね」と言い、2人で泣きました。
義母には沢山お世話なりました。ツワリで動けない私を心配して飛んできて、何日も泊まって、励まし、手伝ってくれました。実父母姉は仕事の休みを取って、手術当日に、遠い道のりを車で飛ばして来てくれました。
そして夫は、仕事が大変なのに、ずっと私を励まし、一緒に居てくれました。周りのみんなに感謝しています。8週間だけでも、パパとママでいさせてくれてありがとう。また来てくれると信じています。
今は妊婦さんを見るのも、赤ちゃんを見るのも嬉しいです。生後2ヶ月の赤ちゃんを抱っこしました。重くて柔らかくてあったかい。自分もいつかは…って思っています。
Name:
ひさえ
..ezweb.ne.jp
Date: 2006/03/10(金) 16:19
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Title: 死産 40週
半年前に死産を経験しました。40週で2670gの女の子でした。
経過もよく、自然分娩だったのですが、赤ちゃんの頭がでてきたときに、私の頭が叫ぶほど痛くなり、いきめなくなったので、吸引補助具で助けることになりました。ところが、吸引補助具がつぶれて動かなかったんです。
段取りが悪く、10分くらい頭がはさまったまま仮死状態になり、天使ちゃんになってしまいました。立ち会っていた夫は先生たちを怒鳴りつけ、私たち二人は泣きくずれました。
胸のところで抱いた時、今にも声を出しそうなくらいきれいな姿でした。その時の感触は一生忘れることはないでしょう。半年たった今でも先生への不信感が消えることはありません。
Name:
きらり
..docomo.ne.jp
Date: 2006/03/10(金) 03:49
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Title: 6週 流産
初めての妊娠が初めての流産。たくさんのコトを学びました。本当にいろんなコトを・・・。
私も相手も学生です。産みたい気持ちと現実の間で葛藤していました。
出血して病院へ行ったら、麻酔ナシでそのまま処置をされました。その間、看護士さんに手を握られながら泣いていました。その後、安静室で休ませてもらっていましたが、ずっと声をあげて泣いていました。
守ってあげられなかった。
3ヶ月経ち、今やっと前に進み始めました。流産した時に彼氏とした約束。「ごめんね」ももちろん必要だけど、「ありがとう」って。
いつか元気な赤ちゃんを産みます。
Name:
kana&yoshi
..hakata06.bbiq.jp
Date: 2006/03/08(水) 01:59
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Title: 稽留流産
毎月、毎月「あぁ、今月もだめだった」とトイレでつぶやいていました。排卵検査薬を使ったり、基礎体温をとったりしていましたが、なかなか授かれずにいました。諦めかけたり、焦ったりしていました。義母は「早く孫を」と、折あらば言っていましたし、夫は40歳、私は23歳です。
不妊治療へ通おうか、と考えていた矢先、生理がいつも以上に遅れたので「どうせまた空振りだ」と思いながらも、どこか希望を捨てきれず、薬局で妊娠検査薬を購入しました。判定枠のラインをみて、喜びと、信じられない思いで検査薬を持つ手が震えてとまりませんでした。この幸福を信じ切れないわたしは「子宮外妊娠だったりして。私にちゃんと赤ちゃんができるなんて、ありっこない。」と思いながら病院へ向かいました。
エコーの画面に現れた、あのかわいい影。
翌週にはその影が大きくなっていました。2週間後の検診が待ちきれず、毎日「会うのが楽しみだね」とか「野菜ジュースはいかが?」とか、まだ胎芽に過ぎない赤ん坊にしょっちゅう話しかけていました。
それなのに次の検診で「心臓動いてないね。小さいし、結構前に成長が止まってしまっている」と言われました。
翌週も同じ結果でした。「稽留流産」と診断され、手術で出さなくてはなりませんでした。診断の下った日、家に帰った私はパニック状態に陥りました。赤ん坊が死んでいる?でも私つわりで気持ち悪いよ?出かける前にも吐いたのに?おっぱいも張ってるよ?信じられませんでした。夫は出張で帰ってきませんでした。
それまで「号泣」って、わんわん泣くものだと思っていました。でも、私は生まれて初めて号泣したんだと思います。今までのは「大泣き」に過ぎなかったのです。叫ぶとも、呻くとも言えない声を漏らしながら泣きました。私のかわいいかわいい赤ん坊がお腹の中で死んでしまった。
それなのに私の体はお母さんであり続けたがっている。
実家に帰って手術をすることになりました。
2006年2月23日。あの子は、私の大事な赤ん坊はお空へ還っていきました。その夜、病院のベッドで「あぁ、本当にひとりぼっちだ」と、思いました。こんなに愛しているのに。
同じ病院の同じ階に、友人が入院していました。友人は二人目の子どもを産んでいました。1900グラムの友人にそっくりな男の子でした。
うれしくてうれしくて、友人の手を握って「おめでとう」と言いました。友人の幸せは無条件にうれしかったけれど、自分の悲しみは悲しみ。夜は長くて、自分にはもう朝が来ないんじゃないかしら、とも考えました。
望まない妊娠をする人がたくさんいるのにな。欲しいひとが授からないなんて間違ってる!どうして私はあの子を手元に置くことを許されなかったのだろうと、危うく世の中を呪いそうになりました。今は母乳も出なくなりましたが、いなくなったあの子の為におっぱいが出ている間は表現できない苦しさでした。
今あのこはお空ではしゃぎまわっているのでしょうか。
Name:
えびちゃん
..mesh.ad.jp
Date: 2006/03/07(火) 13:31
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Title: 8週 繋留流産
年末に検査薬で妊娠していることが分かり、年明けに病院へ行くと胎のうを確認できました。順調に見えましたが、その頃から赤ちゃんの大木さは小さかったです。
そして、心音を確認できないまま、さよならしました。
ほんとに辛くて、主人の顔をみたらすぐに泣き出してしまいました。
私はとても恵まれていたんだと思います。計画妊娠ですぐに妊娠できましたが、初めての妊娠、流産で、私はかなりのダメージを受けました。でも、何度も流産を繰り返された方など、想像できないほどの悲しみだと思います。私も強くなって次へ進んでいきたいと思います。
私は忘れ物を取りにいってしまったわが子に、大きな幸せと勇気と強さをもらいました。この気持ちは今も変わりません。いなくなってしまったけれど、少しでも早く会えるように頑張ります。
みなさんのスレをみて、そう思うことができました。このレスを紹介してくださったあっちさんにほんとに感謝です。
Name:
mama
..mesh.ad.jp
Date: 2006/03/06(月) 16:33
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Title: 7週 不全流産
結婚4年目。今年2月初めに妊娠が判明しました。なかなか妊娠できないことを悩んで、不妊治療専門病院に行こうと決心した矢先でした。
つわりらしきものも始まってきました。2度目の検診で「赤ちゃんが小さい」と言われたものの、育ってはいたので安心していました。
次の日、おりものの様な出血がはじまったので入院、次の日には多量の出血と腹痛が治まらなくなり「赤ちゃんが降りてきてしまっている。今回はあきらめましょう」と。涙が止まりませんでした。手術を受け、休養期間を経て、3月から仕事に復帰しましたが、流産したことがまだ信じられません。でもあきらめずに我が子に会える事を信じています。
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