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   稽留流産   
   10週・8週 2回の ....   
   子宮外妊娠   
   13週で死産   
   6週 流産    
   8週 流産   
   死産   
   6週 繋留流産   
   28週 臍帯倦絡によ ....   
   流産と死産   

Name: ゆうこ    ..bbtec.net
Date: 2005/06/09(木) 17:46
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Title: 稽留流産    
結婚して3年目、初めて赤ちゃんを授かりました。
ちょうど丸8年勤めた会社の退職も決まっていて、新たな生活に向けて思いをめぐらせていた時でした。そんな時に分かった妊娠なだけに、嬉しさも倍増して、主人も両家の親も喜んでくれていました。妊娠が判明したのが退職日前日で、一生懸命に働いてきたご褒美だと思いました。

1回目の診察では妊娠4週目という事もあり、影も形も分かりませんでした。2週間後の診察では胎のうが確認でき、また2週間後に診察へ行きましたが、胎のうのみしか見れませんでした。
その1週間後も診察してもらいましたが、胎のうしか見えません。
その胎のうも、最初の大きさからほとんど大きくなっていませんでした。

その時に先生から「赤ちゃんはもう居ないかも。」と言われ、稽留流産の説明を受けました。頭が真っ白になり、診察室を出てからは涙が止まりませんでした。「なぜ私の子が流産なの?そんなはずはない。」と。

その後、もう2週間だけ過ごしてみて、それでも見えなかったら諦めるという事になり、望みと諦めが頭をグルグルと回る日々を過ごしてから、最後の診察を受けました。

待合室には、妊娠が判明した人、初めて赤ちゃんを超音波で確認出来た人、お腹の大きくなった人、もう臨月の人、色々な人がいました。
こんなにも赤ちゃんを授かれている人はいるのに、なんで私は…と不公平だと思いました。でも、私のように流産を経験した人もいるんだろうな、とも思うことで、自分をなぐさめたりもしました。診察の結果は、いつもと同じでした。

そして先日、手術を受けました。
稽留流産だと説明を受けてから、手術の日までの数週間、色々なことを考えました。最初の頃はマイナス志向で涙・涙の日々でしたが、段々と落ち着いて物事を考えられるようになってからは流産という事実への覚悟を持てるようになり、影も形も私には見えず、ほんの短い期間しかこの世に居られなかったけど、私達夫婦に授かってくれたこと、親になる事への希望の日々を過ごさせてくれたこと、親になる大変さ、色々な事を教えてくれた我が子に感謝の気持ちを持てるようになり、手術も「またこの子に会う為に今は乗り切らないといけないこと」だと、前向きに臨むことが出来ました。

この先、流産などへの不安はあります。
が、なぜかまたすぐにこの子に会える気がしてならないのです。
それも元気に生まれて、私の腕に抱けるような気が。。。
今は我が子に会えるように、前を向いて進むのみだと思っています。






Name: rei    ..dion.ne.jp
Date: 2005/06/09(木) 12:33
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Title: 10週・8週 2回の稽留流産    
去年の10月1日、10週で稽留流産のために手術を受けました。手術後はただただ泣くばかりで、今までの人生経験のなかでこのような悲しいことはないだろうと感じていました。

ようやく今年に入り友人の妊娠や出産にも心から喜べるようになりました。そして、私たち夫婦が赤ちゃんに逢えるはずだった予定日の4月29日を前にして、2回目の妊娠がわかり、落ち込む気持ちを吹き飛ばしてくれました。前回のことがあるので病院へ行くのが恐かったのですが5月2日に妊娠の診断があり「まだ胎嚢しかみえません」の言葉もきっとまだ小さくて見えないんだ・・・くらいにしか受け止めていませんでした。

しかし、次の週に少量の出血があったので受診すると「育ちが悪いので100%流産になります」と医師から宣告されました。2回も続けてこんなことって・・・その日から仕事を休み、自暴自棄になり、手術予定日まで引きこもり毎日泣いて暮らしました。手術予定日、診察台にあがると「心拍が見えます」と手術中止!!
「でも大きくなれない児です。大きくなれる確立は1000分の1」

私たち夫婦は子宝で有名な神社に行き何度もお参りしました。再受診の日まで大きくなって、がんばって!といっぱいいいっぱい話かけました。診察の日「胎嚢が大きくなっていない上に赤ちゃんが見えません」と医師。私たち夫婦はこの一週間、不安な気持ちを拭い去りながら胎児の成長を望んでいました。同じ結果ならなぜ一週間前に・・・と一瞬でも思ってしまった私は愚か者です。私たちは一週間長く親でいることができたのですから。5月30日に手術をしました。

身体の回復は早いですが心の回復は・・・。6月5日にお参りに行きました。「2回続けての流産は反復流産といい、不育症を疑ったほうがよい」といわれました。再び我が子を失った悲しみとこれからも我が子を抱けないかもしれない不安でいっぱいの毎日です。





Name: ゆかりん    ..docomo.ne.jp
Date: 2005/06/08(水) 15:51
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Title: 子宮外妊娠    
10年前の7月5日、子宮外妊娠で卵管破裂の為、右卵管と卵巣を摘出して赤ちゃんとさよならしました。子宮外妊娠である事はほぼ間違いないと先生に言われた時とてもショックでした。赤ちゃんを助ける事も出来ないと知った時涙が止まりませんでした。あれから11年目の7月が来ますが、今でもその日近づくと辛いです。




Name: 葵ちゃんママ    ..bbtec.net
Date: 2005/06/08(水) 12:47
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Title: 13週で死産    
今年の1月、順調だった生理が遅れたので検査をしてみたら妊娠していました。私やだんな、お互いの両親はとても喜びました。私の職場までがとても遠く、車で片道1時間以上かかるところでした。つわりが酷くなってからは運転ができなくなり欠勤することが多くなりそのまま退職しました。それから暫くしたらつわりが嘘の様になくなり、いよいよ楽しい妊婦生活の始まりでした。名前を考えたり、主人とお腹の赤ちゃんに話しかけてみたりそれは楽しい毎日でした。
 明日で5ヶ月に入るという時ちょうど検診でした。今思うと不思議なのですが、その時、エコーで赤ちゃんに会える楽しみと半分、何だか嫌な予感がしてました。予感は的中しました。「明日から5ヶ月の割には大きさが3ヶ月の終わり位で、心臓が動いてない。明日もう一度調べてみるので、ご主人さんと来てください。」と言われました。顔面が蒼白になるのが分かりました。痛みも出血もなかったのになぜ?となかなか現実を受け入れられなかったです。今まで冷静を装っていましたが、病院の駐車場に止めた車の中で大泣きしました。

家に帰って、夜主人に話したら主人も言葉を失って、私の前では泣かないように我慢しているのが分かりました。翌日主人と病院に行って再度診察してもらいましたが、結果は同じでした。手術の日取りや入院の日、手術の内容の説明を受け、帰宅しました。主人が無言のままお腹をさすってました。言葉は何もないけど言いたいことが伝わってきて、私はずっと泣いてました。

入院の日から前処置が始まりました。入院して3日後に促進剤を入れてもらい、麻酔をして取り出してもらいました。手術の途中から無意識に泣いていて、終わってからも泣き続けてました。主人も一緒に泣いていました。死産届を書くときは本当に辛かったです。

退院後、火葬をしてもらうために火葬場に行きました。係員の方からは「もしかしたら何も残らないかもしれない」と言われていましたが、小さな骨が沢山残っていました。エコーの写真に写ってた手や足の骨をこんな形で見るとは思いもしませんでした。何度か泣きそうになったけどずっと我慢してお骨を拾いました。

あれからもうすぐ2ヶ月がたとうとしています。初めは毎日毎日泣いていたけれど、人間とは不思議なもので、あんなに辛いことがあっても日々前向きに考えられるようになるものです。最近は周りの人のおかげで随分立ち直る事が出来ました。また繰り返すかもしれないという不安は消えないけれど、もう一度赤ちゃんが欲しいとも思えるようになりました。今回のことで、沢山の方々に支えてもらい、命の尊さも学びました。夫婦の絆も前より強くなった気がします。また、このサイトを見て、同じ思いをしている人がこんなに沢山いるんだと驚いた反面、心強く思いました。きっと、私たちが一生懸命立ち直る姿を赤ちゃんはお空から見ていると思います。だから、皆さんも一緒に頑張りましょう!

葵ちゃんママさん
 続きの投稿ありがとうございました。本当に申し訳ありませんでした。(by ポコズママの会) 





Name: みほ    ..bbtec.net
Date: 2005/06/07(火) 23:40
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Title: 6週 流産     
今日、多量の出血によって流産の宣告をうけ、手術を終えました。
あっという間のできごとでした。

先生から全てをいきなり話されて、何が何だか分かりませんでした。先生が話す傍らで、母は隣で息を殺すように泣いていました。
私は涙があふれ出して止まりませんでした。

赤ちゃんのことと、結婚のこと。家族も友達もみんなみんな、とても楽しみにしていました。だけど、なぜか赤ちゃんは行き先を変えてしまいました。

全身麻酔から目が覚めて、目を開けると、婚約者と母と話をする私がいました。不思議なことに、気分はとてもすっきりしています。私を気遣いながらも、彼はとても気丈に振舞っていました。

帰宅してから、彼と亡くなってしまった赤ちゃんの話をしました。彼は、悲しみを隠すような、ちょっとした私の表情に突然気づいたようで、大きな瞳から涙を流しました。ついに堪えられなくなってしまいました。私は今日二度目のもらい泣きをしました。私以上にみんなが辛かったんです。

私は、赤ちゃんの「死」を悲しみとしたくなかった。ありがとうと、いっぱいの愛に包んだ、「生」としてすぐに、生まれ変わらせてあげたくて、バカなくらいに、前向きだった。

そんな私をみて愛する彼は、「みほが強くて良かった。」って、いってくれました。

私は、天国へ舞い戻って行った赤ちゃんにお礼があります。大好きな彼と私を結婚まで導き、私たちと両親を2倍喜ばせてくれたこと。それと、私を強く、逞しくしてくれてありがとう。そしてきっとまた、今度は、準備のできた私のお腹に、舞い戻ってきてくれること、祈っています。あなたはひとりじゃないよ!ありがとう!!





Name: nami    ..ocn.ne.jp
Date: 2005/06/07(火) 23:13
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Title: 8週 流産    
一人目の子を流産しました。妊娠発覚後から、少量ずつですが、おりものに薄茶色の血液が混ざることがあり、医師に問うと「初期には多いことだ」といわれました。つわりもひどくて、つらい毎日でした。

7週の健診で赤ちゃんの心拍が確認され、一安心していたのですが、次の健診で突然心拍が確認できなくなっていました。健診の何日か前からつわりが急に楽になっていたので不思議だな…とは思っていたのですが、思いがけない「流産」という事実に目の前が真っ白になってしまいました。

2日後の再検査で決定的になり、その2日後に手術を受けました。手術までの間がとても辛かったです。悲しくて泣いてばかりいました。隣にいる旦那に気持ちをぶつけようとしたら、めったに泣かない旦那が背中を震わせて泣いていました。

手術後は、何か空っぽになってしまった感じがありました。妊娠してもいないのに妊娠に関する本を買ってしまったり、生理不順が原因かもしれないと思って漢方薬をのんだり、早く妊娠したくて毎日基礎体温を測りました。神頼みもしました。とにかく、あの頃の私は、早く妊娠したくてしょうがなかったんだと思います。

その後妊娠しましたが、同じように初期に薄茶色のおりものが続き、とても不安な毎日が続きました。看護師の仕事をしていたのですが、職場の方たちの理解もあり、落ち着くまでの間お休みしました。つわりはひどかったのですが、赤ちゃんが元気にしてる証拠だと思って乗り切りました。

最後の最後まで不安でしたが無事に女の子を出産しました。その後、男の子も出産して今では二児の母です。でも、あの子の事は決して忘れません。あの時のつらさも忘れません。
忘れずにいてあげることが最大の供養だと思うから…。





Name: すみ    ..ezweb.ne.jp
Date: 2005/06/07(火) 08:16
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Title: 死産    
去年の10月30日に赤ちゃんが亡くなり、11月1日に出産しました。

栄養が上手く行き渡らなくて、育っていかなかった為に亡くなりました。つわりが酷くて食べるのが大変なうえに吐いてばかりいて、つわりが終わっても、ほとんど、食べられない状態で栄養が取れませんでした。胸はあまり張らなくて、なかなか大きくならなくて大変でした。

旦那には怒鳴られたり、気を使ってくれなかったのも良くなかったです。次は、しっかり食べて安産で産みたいです。
頑張ります。寂しい気持ちでいます。





Name: ひよこママ    ..docomo.ne.jp
Date: 2005/06/06(月) 15:26
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Title: 6週 繋留流産    
5月の子供の日に妊娠がわかったことは、結婚1周年を目前にした私たちにとってとてもうれしい出来事でした。早く子供がほしかったので、生理が4日ほど遅れていただけでしたが、すぐに検査をしました。結果は陽性でした。

次の日には病院へ行って「前回の生理の日から計算して4週目だね」と言われました。まだ早すぎたせいもあって、胎のうは見えず、一週間後に来るようにいわれました。これから始まる妊婦生活にウキウキしていました。そして次の週には胎のうもみえ「次は2週間後に心拍の確認をしましょう」といわれて全てが順調に思えました。出血も一度もなく、つわりもさほどでもなく、毎日が楽しくて仕方がありませんでした。

しかし、次の検診で見えるはずの心拍がみえるどころか、あまり大きくもなっていませんでした。日数的には9週に入っていたんですが、胎のうの大きさは6週にもならないほどしかなく、結局、繋留流産と診断されました。

3日後に手術をうけ、1ヵ月の妊婦生活が終わりました。手術の次の日は結婚記念日でした。本当なら主人と二人でお腹の子に話かけながら一年を振り返っていたんでしょうが、ほとんど会話もなく、心ここにあらずといった、なんともいえない虚しいようなさみしいようなかなしいような、そんな記念日を過ごしました。

でも数日がすぎ、子供が私に残したものを考えてみました。私が妊娠してから手術するまで、主人がどんなにやさしくしてくれたか、私自身どんなに幸せだったか。失った子供は何にもかえられない、世界にたった一人の私たちの赤ちゃんではあったけれども、流産という経験をしなければ得られなかったこともたくさんあったように思います。手術からまだ3日しかたっていませんが、私だからこそ乗り越えられる試練だと思い、また私だからこそこの試練をうける理由があるはず、と思いがんばるしかないと前向きに行こうと思っています。

赤ちゃんが残したもう一つの贈り物、3sの脂肪と戦う準備をしています。つらいけど、泣いていても赤ちゃんは戻りません。反対に赤ちゃんの決断を否定するような気がします。お腹の子供だって生きたいはず。産まれたかったはず。悩んで悩んで、まだ産まれてはいけないと決断した我が子の判断を私は親として受けとめてやりたいです。





Name: まめすず    ..accsnet.ne.jp
Date: 2005/06/05(日) 02:07
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Title: 28週 臍帯倦絡による死産    
2005年3月、第1子を死産しました。

7ヶ月の検診に行く前の日の夕方頃「胎動が今日は感じられないなあ」
と思いましたが、外出していたから感じなかったのかなと思っていました。

主人が一緒に病院についてきてくれたので、「エコーで赤ちゃんと会えるね」と楽しみにしていました。一応、昨日から胎動が感じられない事を告げて心音を確認してもらったのです。けれど、先生がお腹のいろいろな所に機械を当てても心音がしません。先生の顔もこわばってきて、何度もエコーで確認しましたが、赤ちゃんの心臓は動いていませんでした。何が起こっているのかわかりませんでした、と同時に涙がとまりませんでした。

すぐには入院せず、6日後に入院してお腹から出してあげる事になりました。遠方に住んでいる実母が駆けつけてくれました。実母は「すぐに入院しなくて母体に影響は無いのか」と心配していましたが、私はお腹から赤ちゃんを出したくない気持ちが強かったです。

入院して、子宮口を開くためのラミナリアの処置をしました。あまりの痛さでしたが、赤ちゃんをお腹から出してあげないと苦しでいるだろうから頑張らなくては、と必死でこらえました。

翌朝、少し子宮口が開いたので、膣剤を入れて陣痛を起こす処置をしました。昨日とは違う痛みが襲ってきましたが、思うように子宮口が開かなくて、看護師さんには「夕方頃までかかるかも」と言われました。
けれど赤ちゃんは親思いだったのでしょう。
14時29分、お腹から出てきてくれました。

臍の緒が、右足にきつく3重くらいに絡まっていました。これが原因で血流障害を起こして心拍が止まってしまったようでした。赤ちゃんを病室に連れてきてもらって抱かせてもらいました。小さかったですが手足もしっかりしていました。主人似のかわいい女の子でした。苦しい顔をしていたらどうしようと思っていましたが、ただ寝ているだけのようなかわいいお顔でした。

次の日には退院させてもらい、火葬を見送る事ができました。
火葬する扉が閉まる時、私も飛び込んでしまいたかったです。
ああ一人で逝かせてしまったと思いました。
待っている間、赤ちゃんの泣き声が聞こえたように思いました。
気のせいだったのか。赤ちゃんがお別れを言ってくれたのだと
私は信じています。

あれから2回目の月命日を迎えました。
死産の直後は狂ったようにパソコンでいろいろ調べてポコズママ
のHPに辿り着き、なんとか救われました。
今回の死産は事故のようなものと励まされてもどうして自分が
気づいて助けてあげられなっかったのかという思いは消えません。

けれど、また赤ちゃんと会えるように前を見て進んでいきたいです。





Name: ももてん    ..usen.ad.jp
Date: 2005/06/03(金) 21:37
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Title: 流産と死産    
一人目は不妊治療の末、出産しました。二人目は普通に妊娠できたので、とても喜んでいました。検診に行った際「心臓ができていない」と言われ、流産の手術を受けました。一人目を人工受精で妊娠し、妊娠中も妊娠継続の為の薬をたくさん使って授かった為、普通には産めない体なのかと落ち込みました。でも、やっぱり子供がほしい、と思っていました。

流産から3ヶ月後、再び妊娠がわかりました。一人目を産んだ不妊治療の病院に行くか悩みましたが、二人目の時の普通の病院へ行きました。不安と戦いながらようやく4ヶ月に入り少しほっとしたのもつかの間、出血して入院しました。赤ちゃんは元気でした。びらんからの出血が原因だったので、びらんを焼く処置をすれば出血が止まるはずでした。しかし、出血が止まりそうになったけど止まらず、病院では「赤ちゃんは元気だから出血してても大丈夫」と言われました。不安でしたが、1か月以上そんな状態が続き、自分でも大丈夫だと思ってました。

18週に入ったとき、夜おなかが張って眠れない日が2日続き、病院に行くと「検査する」と言われました。水曜に結果が出るまで、張り止めの薬をもらって帰宅しました。夜は眠れましたが「やっぱり何か調子がおかしい」水曜に病院で先生に言うと「血液の値が高いから抗生剤を出すので様子をみて」と言われ帰宅しました。しかし、おなかの張りがまた出てきて、痛みもあったので金曜に再受診しました。点滴を受けて、「翌日に大学病院に行くように」言われて帰宅しました。その日の夜、腹痛がひどくなったので再び受診しました。その時には子宮口が開き始めていて、それ以上開かないように薬を2回入れてもらいましたが、日曜のお昼、膜に包まれたまま出産しました。

我が子なのに、見るまでは少し怖い気持ちでしたが、会ってみるととてもかわいらしく、入院の間一緒に過ごさせてもらいました。ドライアイスでかちこちになっている子供はかわいそうで涙が止まらなかったけど、一緒に過ごせてよかった。206g21cmでとても小さかったのでベビードレスを作って着せてあげました。火葬場で火に入っていくのを見るのがつらかった。

結局、原因はばい菌が子宮にまで入ってしまったとのことでした。抗生剤も効かなかったらしいです。退院してからしばらく治療に通い、先生に「もう妊娠しても良い」と言われましたが複雑です。何が悪くて、次に気をつける事は何かを聞きましたが「気をつけることは特にない」と言われすごく不安です。このサイトを見て同じような経験をしてる人がたくさんいて驚き、また勇気づけられました。どんなことがあっても、今私は生きているし、怖くても前に進まなければならない。



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