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Name: かよママ ..bbtec.net
Date: 2005/04/13(水) 00:23
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Title: 妊娠9週・稽留流産
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結婚して3年。1年間の不妊治療の末、やっと我が家にも天使が舞い降りてくれました(2004年12月13日妊娠発覚)検査薬でうっすらと陽性反応が出て、そのまま病院へ。胎嚢はまだ見えなかったけど検査薬で反応を示していた為、「ご妊娠おめでとうございます!」と先生に言われた。初めて言われた言葉。涙が出る程嬉しかった。帰宅後主人にも報告。普段涙を見せた事が無かった主人は私に抱きつきながら声を震わせ泣きながら喜んでくれた。(この時、最終月経から計算して妊娠4週目)
だけど、そんな幸せな日々は長くは続かなかった。病院から2日後、茶色い出血が少量あった。病院へ問い合わせた所、「出血が止まってるようなら安静にしていて下さい。明日、診せに来て下さいね」との事。次の日検診へ行ったら特に異常は無かった。まだ4週3日目なので胎嚢も見えず。又1週間後に検診との事。その間、茶色い出血は3日に1度くらいのペースであった。流産防止(出血を止める)注射をして貰った。
3回目の検診(5週3日)でまだ胎嚢見えず。子宮外妊娠の可能性を言い渡された。一瞬頭の中は真っ白でただ涙が後から後から出て来た。どうやって家へ帰ったのかも解からない程。 こうゆう時って普段優しい先生が悪魔に見えてしまう。何故そんな事を言うの?と。帰宅後主人にも話した。主人も戸惑いを隠せない状態だったが来週の検診まで希望を持とうとお互いを励ましあった。
6週目、やっと胎嚢が確認出来た!でもその間、茶色い出血が時々あった為、胎嚢は見えたものの今思えば先生だけは手放しで喜べる感じではなかった。とりあえず子宮外妊娠の可能性は無くなったので安心した。年末に入ってしまう為、次の検診は来年に。新年早々、7週3日目で胎芽と心拍が確認出来た!この日は主人も付き添ってくれた。でも先生曰く、「週数や胎嚢に対して赤ちゃんが少し小さい気がするから念の為、又来週診せに来てね」と言われた。でも私達は心拍が確認出来た事が嬉しくてニコニコ顔で帰宅。茶色い出血も1週間前から止まっていた。
1週間後の検針日(8週3日目)、先週から比べると赤ちゃんの大きさが変わってない。しかも心拍が確認出来なくなっていた。たまに赤ちゃんの向きによって見えなくなってる事があると聞かされ、又明日診てみましょうと言われた。この日心配で一睡も出来なかった。次の日の午前中、不安と期待を抱きながら検診へ。やっぱり昨日と同じだった。大きくなってないし、心拍も確認出来なかった。涙は出なかった。信じられなかったから。先生は来週(5日後)に検診してみて赤ちゃんが今日と同じ状態だったら残念だけど流産の処置をしましょうと説明してくれた。まだ来週まで希望はあると言い聞かせた。その間、他の病院へも行った。やはり同じ診断だった。でもまだ希望はあると言い聞かせた。
9週目。主人に付き添って貰い、午前中に検診へ。希望はあると言いながら心のどこかで覚悟もしていた。超音波画像を皆で一緒に見た。先生が私の頭を撫でながら 「残念だけど・・・赤ちゃんの大きさ変わってないよね?・・・」 私は小さくうなずき、そして号泣した。暫く立つ事が出来なかった。主人も顔が真っ青だった。
その後、記憶はおぼろげだけど、入院の手続き等看護婦さんから事務的に説明を受け、あれよあれよと言う間に入院。一日目、子宮口を開げる処置をした。激痛が走った(重〜い生理痛が押し寄せてくる感じ)二日目、午前中にソウハ手術。麻酔がなかなか効かずに焦った。気が付いたらベットで横になっていた。看護婦さんに時間を聞いたら、処置開始してからまだ45分しか経っていなかった。もう私の身体の中には赤ちゃんが居ないんだと思った瞬間、涙がドッと溢れて来て止まらなかった。暫く泣いていたら気分が落ち着いたのか、お腹が空いて来た。 こうゆう時でもきっちりお腹が空く自分が恥ずかしい・・・主人が予定より早く病院へ来た。思っていたよりも私が元気だったので主人も安心していた。その晩のお腹の痛みは辛かった。。。
たった1ヶ月だけだったけどママになれた事を誇りに思ってます。嬉しい気持ち、悲しい気持ち、沢山涙したけど、必ずまた元気な姿になって戻って来てくれる事を信じています。だからママも元気になって待ってるからね。
(掲載日:2005/2/15)
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Name: さよ ..bbtec.net
Date: 2005/04/13(水) 00:22
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Title: 妊娠32週・死産
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私が死産したのは5ヶ月前です。妊娠8ヶ月半。ベビー用品を本格的に揃えようかな。そんな矢先でした。
1週間前まで元気に動いていた赤ちゃんは、私のお腹の中で心臓が止まっていました。嘘みたいな現実。あと2ヶ月で出産なのに。神様は残酷です。死産・流産、遠い所にあった存在が一気に近くなりました。なぜ自分がこんな目に会わなければならないのか。周りの人はみんな普通に出産してる。それは当たり前の事だった。ニュースにでてる、自分の子供を虐待してる母親でさえ、出産できてる。私にはなんで?
月日がたち、毎日泣くこともなくなりました。最初は、元気に振舞うのがとても辛かった。若いから大丈夫なんて言葉に何度怒りを堪えた事か。今だ解消されない事は、妊婦さんを見るのが大嫌いになった事。こんな醜い気持ち誰にも言えませんが・・ここでは書かせてもらってもいいですか・・
いなくなって5ヶ月、今子供を望んでいます。また繰り返すんじゃないかって不安もあるけれど、今度こそ無事にこの手に抱っこしたい。赤ちゃんが与えてくれた今の時間を大切にして、またお腹の中に戻ってきてくれる環境を作っていきたいと思います。この場をかりて、自分の気持ちや愚痴を書かせて頂きました。ありがとうございました。
(掲載日:2005/02/11)
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Name: びいる ..bbtec.net
Date: 2005/04/13(水) 00:21
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Title: 妊娠6週・不全流産
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8年間の交際を経て5月に結婚。もう30を過ぎたので、早く赤ちゃんがほしいなあ〜と思っていましたが、なかなか授からないもので、11月に近所の子宝の神様にお願いに行った週に妊娠が発覚。大喜びで、ほんとこんなに幸せでいいのかな・・・と怖いくらいでした。
いつ仕事をやめようか?と、思っていた矢先に旦那が仕事中に怪我をして2週間の入院。突然のことで不安でいっぱいでしたが、おなかの赤ちゃんが一緒にいるんだ!とさみしさも紛れました。病院から自宅まで、毎日通いました。仕事の日は、朝、昼、夜と3回通って旦那と一緒にいました。健診の時のエコーを見せると、旦那も早く退院しなきゃ!と思えて、二人が赤ちゃんに支えられて過ごせました。 旦那が退院した翌日、職場で出血。ほんの少しだったのですが、気になったので付き添ってもらって病院へ行きました。「最終生理から考えたら小さいねえ・・・・心拍もまだ確認できないから、もしかしたら赤ちゃんは育ってないかも・・・」とのこと。とにかく安静と言われ流産止めの注射を打ってお薬をもらい、退院直後の旦那と安静の私との生活。4日後の診察まで、泣いてばかり過ごしました。旦那は普段、家事など一切しない人ですが、この時期はものすごく協力してくれて、感謝感謝でした;;
4日後。ドキドキで診察を受けました。前回からは出血はなく先生も「1分間に95回心拍が確認できましたよー」とうれしい結果。でも安静は解けませんでした。この結果を聞いて「絶対大丈夫、この子は生命力がすごいんだ!」と、大丈夫だと思い込んでいました。それから3日後。朝から茶色いおりものがありました。気になったのですが、翌日が診察の日だったので様子を見ました。夕方になって出血量が増えました。旦那と大急ぎで病院へ行くと、「残念ですが、心拍が確認できません。処置はいつでもできるから、急いで答えなくてもいいので納得行くまで考えてください」とのこと。この日も注射と薬をもらって帰りました。
もう・・・だめなんだろうなと、思いました。夜中、下腹部の激痛で目が覚めトイレへ。血の固まりがどんどん出てきます。なにかで、赤ちゃんかもしれない・・・と聞いたことがあったので、下着に付いた固まりは、病院に持っていけるように採っておきました。腹痛はどんどんひどくなり、のたうちまわりました。朝一番で病院に電話し、診察。「昨日はあった胎嚢が、もう出てしまっていますね・・・」と。診察台の上で大泣きしました。
このままでは次の妊娠に影響があるとのことで、午後から手術となりました。このHPやいろんなネットの情報で、手術の際は朝ごはんは食べれないと聞いていたので(それ以前に痛くて食べられなかったけど)朝食は抜き、入院の準備をして行っていました。今思えば、覚悟はかなりできていたんでしょうね・・・・この日はちょうど旦那の友人の結婚式でした。旦那は行かない!と言いましたが、せっかくの結婚式。行くのをやめても赤ちゃんは帰ってきません。式だけ出て、手術が終わる頃には帰ってきてくれました。
手術は眠っていて、まったく覚えていません。ただ、隣りが分娩室でした。これからちょうど出産!という女性が分娩台で1人で座ってました。かなり衝撃でした・・・仕方がないけど、私はあそこで産めなかった・・・持っていった血の固まりの中には赤ちゃんはなかったそうです。夜中、トイレでたくさん血が出た中に、きっといたのでしょうね。それがかわいそうでなりません。
目が覚め、病室へ帰ると旦那のお母さんと旦那が待っててくれました。麻酔がまだ効いていて、よく覚えてませんが酔っ払いのようだったと聞きました。最初の排尿が困難で、酔っ払いはトイレで20分くらい「オシッコしたいのにでない〜〜〜」と叫んでいたそうです。その間、一度吐きました。だんだん自分がしっかりしてきて、改めて赤ちゃんがいないことを痛感。「流産の後はできやすいのよ!」って看護婦さんが励ましてくださいました。「うまれてこれなかったら、また同じママのとこに来るんだって」って。これはすごくうれしい言葉でした。
翌日診察の後退院。その翌日からお風呂以外普通の生活をしてもいいとのことで、仕事に復帰しました。流産後は排便痛がしばらくありましたが、出血も10日で止まり順調に回復。手術からちょうど1ヶ月後の先日、初めての生理がきました。が、これはかなり出血が多かったです。このHPで色々な人の体験を読み、涙しました。時間が解決するものではありませんよね。でも、前向きに、次の妊娠に向けての体つくりをがんばってます。また、あのときの赤ちゃんが帰ってきてくれますように・・・・
(掲載日:2005/02/11)
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Name: エンジェル ..bbtec.net
Date: 2005/04/13(水) 00:20
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Title: 2度の流産
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今日、掻爬手術を終えて退院してきました。私は今回で二度目の流産でした。今回の妊娠は不安で一杯で、今度こそはちゃんと胎嚢がみえるかな〜など不安な日々を送っていました。今回の妊娠は運命を感じていて、主人と同じ誕生日の予定でした。
6週に入って「今度こそ」と思い、期待と不安を抱えながら診察台に乗った瞬間でした。やはり今度も私のところには天使はやってきてはくれませんでした。すぐに先生から処置の話が出て、気持ちの整理がつかないままの出来事でした。自分でもなんで私ばかり!と言う思いがありました。一度ならまだよくある話と言えるけど二度目となると、なんで!?としか思えませんでした。
入院中の同室の方二人は、双子ちゃんで子宮口を縛る手術をしたというママと、もう一人の方は切迫流産のため入院中とのことでした。二人には命がまだお腹の中で育っているんだと、羨ましく思いました。けど今はくよくよしていてもはじまらないことなので、これからのことを前向きに考えていこうと思います。主人には私と結婚しなければこんなつらい思いをさせずに済んだのにと思うこともありますが、主人がいるから、また1から始めようという気持ちにもなれるのではないかなと思います。
(掲載日;2005/02/11)
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Name: のんた ..bbtec.net
Date: 2005/04/13(水) 00:19
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Title: 妊娠9週・稽留流産
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一人目を出産後、アレルギー症状がひどくなり、喘息一歩手前までいき、二人目は諦めていました。その後運がよく治療がうまくいき二人目を望んだ直後の妊娠でした!
でも・・一人目の時とは違い成長がすごくすごく遅くて不安の毎日でした。検診に行っても成長のスピードが遅く妊娠周期・予定日は教えてもらえず、希望と絶望のなかでの心拍確認。小さい体に小さい心臓・・心臓の波動を見せてもらって初めて心拍確認を実感。心拍確認が出来たら高い確率で妊娠継続だねと言われてすごくほっとしたのを覚えています。
その時に母子手帳をもらってきていいわよと言われたのですが、次回の検診でもう一度心拍を確認できてからと思い、もらいに行きませんでした。その時はなんとなく気分が乗らなかっただけなのに・・。
2週間後の検診で、先生に心拍が止まっている、今回は赤ちゃん残念だったね。。と言われました。きっときっと一生忘れられない瞬間です。2年が経とうとする今でもはっきり覚えています。流産した時はちょうど周りで二人目の出産ラッシュ。本当に辛かったです。妊婦さんを見るのが辛かった私たちのところに駆け足のようにやってきて天国に帰ってしまったわが子、一度でいいから抱っこしてあげたかったです。
赤ちゃんの成長からして、心拍確認後数日で亡くなったということでした。それを聞くと、きっと赤ちゃんが私に生きていた証を残してくれたのかなと今は思っています。小さな体で残り少ない命のなかで懸命に私は生きていたんだよ!と・・。今は私たちのところに来てくれて本当に有難うと言いたいです。
(掲載日:2005/02/11)
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Name: ntb ..bbtec.net
Date: 2005/04/13(水) 00:16
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Title: 妊娠9週・稽留流産/16週・胎児浮腫
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4年前、初めての妊娠。すぐにつわりが始まりました。引越しが決まっていたので、初めての診察は引越しが済んで1週間たった頃でした。「妊娠してますね。見えますか?」エコーで初めて赤ちゃんの姿を見た時嬉しくて涙がでました。でも次の瞬間先生が「ん?」と言ったきり何も言わなくなりました。しばらくして先生の口から出た言葉は「残念ですが 赤ちゃんの心拍を確認することができません。」「??」全然意味がわかりません。「赤ちゃんの成長が止まってます」「それは・・赤ちゃんが死んじゃったってことですか?」泣きながら聞きました。9週でした。引越しの日につわりが無くなりました。まだ妊娠・出産の知識が無かった私はそんなものだと思ってたのですが、きっとあの時には亡くなっていたのでしょう。。。翌日にもう1度診察して心拍が確認できなかったら、処置することになりました。必死で涙をこらえ先生の話を聞き車に乗り込んだ時、涙が止まらなくなりました。翌日、期待も虚しく赤ちゃんの心拍は確認できませんでした。そのまま処置になりましたが、麻酔をしたので寝ている間に終わりました。2日間熱が出ました。しばらくは泣いて暮らしました。他のことはあんまり覚えてません。妊娠したら赤ちゃんは当たり前に産まれてくるもんだと思っていたので、まさか自分が流産するなんて考えもしませんでした。母子手帳もない赤ちゃん。性別もわかりませんでした。残ったのはたった1枚のエコー写真です。
流産から1年8ヶ月して次の妊娠。嬉しい反面、不安におそわれました。また流産するかもしれない。前とは違う病院でしたが、流産経験を知って、流産を防ぐ薬を処方してくれ、毎週診察をしてくれました。つわりが酷く吐いてばかり。でも調子が良くて吐かない時は、もしかして赤ちゃんが死んじゃった?って不安になりました。その度に体温を計り、高温だと胸をなでおろす。日に何度も体温を計る毎日でした。心拍が確認できて、母子手帳をもらい、検診のたびに赤ちゃんの成長がわかり、段々と不安も消え戌の日を楽しみにしていた13週の検診。先生がエコーで頭部ばかりを何度も見ています。何も言いません。嫌な予感がしました。「頭と首のあたりに影が見えます。明後日また院長に診てもらいましょう」真っ暗になりました。嫌な予感が当たりました。主人には明後日まで何も考えるなと言われましたが、頭の中は嫌な想像でいっぱいです。そして院長に診てもらうと、その影は浮腫であることがわかりました。「普通なら今の時点で処置だけど、納得がいかないでしょうから検査を羊水検査を受けますか?」と聞かれ「はい」と答えました。大きな病院の紹介状を書いてもらい、そのままその病院へ。診察の結果、やはり浮腫で重症だと言われました。羊水検査を受けるにはまだ週数が足りないのでその間診察を受けるよう、処置をするならすぐに連絡をくださいと言われ帰りました。次の診察で 絶対助からないのか?治ることはないのか?前に説明があったのに、また聞きました。100%無理とは言わないけどそれに近い確率だと言われました。もう1度エコーで確認をしてくれましたが すでに心不全を起こしてました。動いた赤ちゃんの手が頭を抱えて苦しそうに見えました。それを見て人工死産を決めました。ベッドが空いてないので、空き次第入院するという事で家に帰りました。それから10日間、普通に生活をしていました。お腹は日に日に大きくなり赤ちゃんが成長しているのがわかると、迷いもでた、 あれは夢だったんじゃないかと思いました。
入院の日、赤ちゃんの心拍はかなり弱ってました。ラミナリアで子宮口を広げ、膣座薬と促進剤を使い陣痛を起こしました。翌日の昼頃に陣痛が始まり、午後3時19分破水と共に赤ちゃんが出てきました。その後、胎盤が出てこないため麻酔をして後処置をしました。どれ位たったかわからないけど、気付いた時すぐに赤ちゃんに会わせて欲しいとお願いしました。主人にはショックを受けるから会わない方がいいと言われたけど、誰にも会って貰えなかったら可哀想だと思いました。小さい小さい赤ちゃん。両手の平にちょうど乗るくらいの大きさでした。18cm・167g。浮腫があり左目はその浮腫に埋まるようになっていました。でも可愛い顔をしてました。看護婦さんに「男の子だったね」と言われ涙が出ました。男の子が欲しかったんです。入院してる間、昼はほとんど離れた喫煙室で過ごしてました。病室にいると廊下で幸せそうに赤ちゃんを抱く産婦さん、分娩室前で出産を待ってる家族に会い辛かったからです。夜になると涙が止まらず、眠れませんでした。その後数ヶ月、家にこもり泣いて暮らしました。人には会いたくありませんでした。眠れないので睡眠薬を処方してもらいました。時がたつにつれ、泣くことも減りましたが、思い出すと涙が出ます。赤ちゃんの重さ、感触、まだ手に残ってます。いまだに中絶を選んだこと後悔してます。もしかしたらちゃんと産まれたかもしれない。。赤ちゃんは最後まで頑張ってたのに、私は何で一緒に頑張れなかったんだろう。。とっても可愛い子でした。
(掲載日:2005/02/11)
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Name: まくまく ..bbtec.net
Date: 2005/04/13(水) 00:14
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Title: 妊娠24週・死産
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結婚して10ヶ月後の2004年8月末、初めての妊娠が発覚しました。超音波検査でぴくぴく動く姿を見たときは、「うわぁ」って声をだしてしまいました。ママになるんだ〜って嬉しくて、それでいてほんとにママになるの?って信じられないような不思議な気持ちでした。私と主人の双方の両親にとっても初孫となるこの赤ちゃんの誕生をみんなで心待ちにしていました。
16週目、当時通っていた産婦人科で、前置胎盤の疑いがあるから今後のことを考え、今のうちに総合病院への転院をすすめられました。そこの産婦人科の先生は男の先生でしたがとても優しく、出産までお世話になりたいと思っていただけに転院は残念でしたが、赤ちゃんのためにベストな状態にしておくためにも総合病院へ転院することになりました。転院先の先生も前の産婦人科の先生とはタイプは違えど信頼できたので、ここで出産まで頑張ろうと思いました。転院先では前置胎盤については今後週数が進むにつれて改善していくことも大いに考えられるので、今はまだ心配しなくてもいいと言われました。次の健診では、胎盤の位置がさらによくなったといわホッとしました。赤ちゃんが少し小さめだといわれ不安になりましたが、「胎盤の位置が上にずれていったとはいえ、やはり低い位置には変わりないからね、赤ちゃんが小さいのは胎盤の位置の影響もあるかもしれない」と言われました。そんなに今すぐ心配するようなことではなさそうだったので、あまり気にしていませんでした。
22週目の12月12日、夕飯の支度をと立ち上がったときにいやな感覚がありトイレに行くと出血!真っ青になりました。すぐ病院に電話をすると、「今すぐ来てください。念のため、入院の準備をしてきてくださいね」と言われました。病院へ向かう車の中で、赤ちゃん助からないのかなぁ…と不安で涙が出ましたが、検査の結果、赤ちゃんは無事だといわれました。でも、私のおなかがかなり張っていてあぶないので、このまま入院して薬を飲んで安静、それでよくならないときは点滴にするとの話になりました。
仕事は病気休暇、突然の入院でかなり気になりましたが、上司からは「仕事よりも、赤ちゃんを第一に考えてね」とありがたいお言葉をいただき、ゆっくり休むことになりました。(職場は小学校なのですが、職員も出産・子育てを経験されている方が多く、妊娠がわかってからはかなり私の体を気遣ってくださってありがたかったです。)そのおかげで出血もおさまり、点滴をしなくてもおなかの張りもなくなってきたので、そろそろ退院という話も出てきた23週目、今度は赤ちゃんがおなかの中でうまく育っていないということがわかりました。それで退院はとりあえず先延ばしになり、小さな赤ちゃんを専門に診てくれる先生が医大病院にいるので、近いうちに外来受診をするよう言われました。
12月24日、紹介状をいただき、医大病院を受診しました。その結果、赤ちゃんは23週目で350グラム、かなり小さいといわれました。23週の平均体重は700グラム程度とのことで、350グラムは19週目くらいの平均体重、だから4週くらい成長が遅れていると言われました。原因としては、まず染色体異常があげられるが、それを思わせるような奇形などはまったくみられないので、恐らく染色体の問題である可能性は低いだろうとのことでした。じゃあ、どうしてかというと、まず、胎盤の状態が悪く、表面に血の塊が見え、とても出血しやすい状態であり、その原因は臍帯が通常は胎盤の真ん中から出るのに、私の場合は胎盤の端にぎりぎり出来てしまったので血管がその端っこに集中してしまい、胎盤の状態が悪いとのことでした。そして臍帯が端についてしまったせいで赤ちゃんに酸素や栄養が行きにくい状態になり、うまく育っていないということでした。胎盤や臍帯というのはおなかの中で自然に出来上がるものなので、今から場所を変えることはできない、そしてそれは両親のどちらかに身体的な問題があって良くない場所にできたということではない、誰のせいでもない、もちろん赤ちゃんのせいでもない、妊娠中の生活が影響したわけでもない…とのことでした。
今後については、このまま予定日までおなかにいたとしてもこの赤ちゃんは1000グラムがそれ以下までしか大きくなれないし、まず予定日までおなかで生きていることなど不可能、その前に亡くなってしまうだろうといわれました。どうしても出産する場合は、赤ちゃんがおなかの中で亡くなってしまう前のぎりぎりのタイミングで帝王切開で出産することになるが、それがいつになるかはわからない。今日、明日中ということではないが、1週間後どうなっているかわからない。もしかすると1ヶ月、2ヶ月頑張れるかもしれない、でも、特定できないとのことでした。そしてその出産の日を迎えたとしても、その間おなかの中でどのくらい成長できるかも問題になってくる、時期によっては生まれてすぐ亡くなってしまうかもしれない、生きたとしても、今の時点ですでに酸素や栄養がうまく届いていないので、様々な障害(全盲など。その他神経系統の障害も考えられるそうです。)は避けられないだろう、とのことでした。
初めて聞く話ばかりで最初は頭がまっしろになりました。なんで?どうして?だって胎動だって感じられるのに、なんで?亡くなっちゃうって何??これからどうすればいいの?赤ちゃん、どうなっちゃうの??って。入院していた病院に戻り、主治医とその検査結果について話しました。そして、「酷なはなしだけど、ここで妊娠を続けるかどうか決めてもらうしかないです。2日間、外泊許可を出してあげるから、夫婦でよく話し合ってきてください」と言われました。最後に、「どちらを選んだとしても、自分たちで出した答えが一番正しいんですよ」と言われました。
12月24日、12日ぶりに私はアパートに戻りました。クリスマスイブの夜に、私たち夫婦は今までの人生で一番つらくて悲しい選択を迫られました。夫婦でいっぱい泣きました。人前で泣くことのない主人もたくさん泣いていました。いっぱいいっぱい泣いて、悩んで、苦しんだ末、私たちは妊娠を断念するという答えを出しました。もちろん、赤ちゃんに会いたかったし、私たちが泣いている間もおなかでぴょこぴょこ動いていたので、とてもつらかったです。でも、これから頑張って妊娠を続けて出産までたどりついたとしても、その後は…自分で呼吸できなくて、体中にチューブとか機械とかつけられるかもしれない、痛い思いするだろうな…、そして避けられないであろうといわれている様々な障害のこと…。もちろんどんなことになろうとも、私たちの大事な子供には変わりない、この子のためならなんでもしてあげたい、でも、こどもが背負ってくるであろう障害を私たちは変わってはあげられない…。現実を考え、今回は断念するという決断をしました。私たち夫婦の考えに異論を唱えるかたもおられるかもしれません。でも、病院で言われたように、どんな決断を出しても、自分たちの答えが一番正しいと信じるしかなかったし、この子もきっと私たちの決断をわかってくれるだろう、と信じることにしました。
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Name: まくまく ..bbtec.net
Date: 2005/04/13(水) 00:15
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Title: 24週・死産(2)
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12月26日、病院に戻り、私たちの出した答えを話しました。翌日に処置を行うということで、大部屋から個室にうつり、その夜ひとりで病室で泣きました。そのうちおなかがいっぱい張ってきて、トイレで出血してびっくりしました。翌朝診てもらうと、主治医は、「この出血は、通常のお産でいうとおしるしのようなもの、子宮口も少しひらいてしまってるから、どっちみち今回はもうとめられないよ。次に期待しよう!次は大丈夫だよ!」と言いました。決断がつらくていつまでも泣いていた私に、親思いの赤ちゃんが、みずから別れを告げたのかもしれません。その後は子宮口をもっと開くための処置がはじまりましたが、本格的な陣痛にはいたらず一晩すぎ、翌朝陣痛促進の座薬を入れるとすぐに痛くなり、破水、その後は赤ちゃんが小さいのですぐに出てきました。
12月28日の午前10時30分、25センチ、380グラムの小さな小さな男の子が静かに産まれました。生きて会うことはできなかったけど、24週頑張ってくれた赤ちゃんに感謝の気持ちでいっぱいでした。一緒にすごした時間は宝物でした。主治医は思いをひきずってしまうから母親には対面させないという考えでした。私は主治医を信頼していたので、それに従い、主人だけが赤ちゃんと対面しました。会えなかったけど、24週おなかの中にいたので、私は赤ちゃんのことはよくわかっているつもりです。生まれてくる前から、男の子だろうなっていう勘も当たったし。赤ちゃんは、翌日、主人の実家のお墓のすぐとなりに埋葬されることになりました。ふたりで赤ちゃんに手紙をかきました。赤ちゃんには服を着せて、手紙、お花、くまのぬいぐるみを一緒に埋めました。私は入院中だったので、ベッドの上でずっと赤ちゃんのことを考えていました。今回は会えなかったけど、きっとまた別のかたちで私たちのもとにきてくれると信じています。
あれから3週間たちました。自分の実家に帰っていたときは情緒不安定になり、両親にやつあたりしたり泣いてしまったりしました。両親は私がどんなにイライラしても、やつあたりしても黙ってみていてくれました。それまでずっと我慢していたのが、実家に帰って一気に出てしまったのだと思います。その後は少しずつ心が落ち着いてきて、昨日アパートに帰ってきました。また主人とふたりで頑張っていこうと思います。今すぐは無理ですが、時間がたってもっと元気になったら次の妊娠のことも考えたいと思います。その日がくるまで今は心と体をゆっくり休ませたいと思います。
(掲載日:2005/0202)
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Name: らるふ ..bbtec.net
Date: 2005/04/13(水) 00:13
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Title: 妊娠10週・稽留流産
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2005.1.8。私のお腹から赤ちゃんがいなくなりました。ちょうど、10w0dでした。結婚7年目、子供を望んでから3年目初めての妊娠。基礎体温もつけていたし、妊娠にはすぐ気づきました。眠気が強くなる位でたいしてつらい思いもしないので、夫婦で親思いのいい子だって話してて、本当に幸せがお腹につまってる感じ。
右の卵巣が腫れて子宮の裏側にまわりこんでいる状態(妊娠初期にまれにあるらしいんですが。。)の為、年明け早めに受診。7週目まであんなにピコピコ元気に動いていた心臓が見つからない。先生も、こっちが痛い位いろんな角度から診てくれたけど、赤ちゃんの形も気になるって。再度、週明けに確認しようと言う事で帰宅。帰り道やっと頭が動き出す。どうしよう!気づけば歩きながらぼろぼろ泣いてるし。足元がふわふわしてる。主人にどう話そう。。っていうか、お腹痛くないし全然わかんない!夫婦で商売しているので、そのまま店に行ったものの、主人の顔を見るなり号泣。説明したものの、仕事なんて出来るはずもなく一人帰宅。家でただただあふれる涙を流しっぱなしでした。
二日後、夜に生理が始まったような感覚があり、手足が冷たくなったので、トイレに行き、やはり出血。病院に電話をし、すぐ診察。もう赤ちゃんの影が薄くなってるし、心臓の動きも確認出来ない。今回は残念だけど・・・と言われました。そのまま手術になり、言われるまま着替えて手術台に乗り、点滴から麻酔を流し、ぼんやり新生児の泣き声を聞きながら目をつぶりました。
起こされて目を明けると、主人が横で困ったような顔で立っていました。ああ、いなくなっちゃったんだと漠然と思ったけど、涙はでない。ベッドまでは歩いて帰る。麻酔が効かなかったらしく、辛そうだから追加したと看護師さんに聞いた。翌日、朝の診察で今回のデータを検討して次の妊娠につなげていこうねと先生に言われ、少し前向きになる。
出血も痛みも自覚しないまま退院。病院にいる間、一度も泣かなかった。最初の心音がないと言われた日から私はずっと赤ちゃんに話しかけてきた。お別れになるかもしれない私たちの子に、伝えたいことがありすぎて泣きながら話した。本当に自分を責めるのはたやすいことだ。でも、そうじゃなく、短い間でも私をママにしてくれたこの子に、生まれてくる事の奇跡的なことを教えてくれた子に答えるには、命を大切に前向きに生きる事なんだろうなと思う。大泣きしながら、歩いたっていいよね。ただ、抱きしめてあげたかったよ。忘れるなんて、意味がない。あの時間が私には有難かった。ショックだったけど。自分とも話が出来た時間だった。
(掲載日:2005/02/02)
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Name: さくら ..bbtec.net
Date: 2005/04/13(水) 00:12
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Title: 妊娠12週・稽留流産
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12週に入ってすぐの検診日の前夜に出血があったた。次の日慌てて検診に行くと、前の検診の時から育ってなく、心拍も確認出来ないとの事。もう、絶対だめなのかと聞くと残念ながら・・と言われた。エコーの写真に全然育ってなく、影の様に写っているのを見て絶望した。
先生は「6人に一人は流産している。毎日1人は流産の患者さんがいるよ」と言った。すぐに手術の話になり、次の日に入院することになった。
いったん家に帰り、悲しみのどん底にいると、どんどん痛みと出血が増してきた。夜は一睡も出来ず、翌朝、病院に行くと、「もうそこまで赤ちゃんが出ているから」と、その場で麻酔もなしで引っ張って出された。この痛みは亡くなった赤ちゃんの痛みだと思い、いっしょに体験出来てよかった。
また次に期待して前向きになりつつある今日このごろです。
(掲載日:2005/02/02)
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Name: ayano ..bbtec.net
Date: 2005/04/13(水) 00:12
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Title: 妊娠16週・死産
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2005年1月2日、突然、水のようなものが大量に出てきて急いで病院に行きました。病院について検診台に上がった時には大量の血に変わっていました。先生が破水して羊水がすべて出てしまった、と。
でも赤ちゃんの心臓は動いていました。でも助けてあげられない。涙がとまらなかった。1週間前に検診で元気に動いてる姿みたのに。。。
その日は病院に泊まりました。赤ちゃんが自然に出てくると思う、と言われ頭の中が真っ白で先生の説明も全然聞こえなかった。朝になっても赤ちゃんは出てこなかった。先生に薬で陣痛を起こすか、自然に出てくるのを待つか、と言われ私は自然に出てくるのを待ちました。2日たってもでてこなかった。その間も赤ちゃんは生きてました。それなのにどうして助けてあげられないの、なんでなんで。
次の日これ以上待つのは母体によくないと言われ薬を使いました。隣の病室からは生まれたばかりの赤ちゃんの声がしました。陣痛が始まり分娩室に入り、とても痛くて痛くてでも生まれてくる赤ちゃんには命が与えられない。
生まれた瞬間もうどうしようもなく泣けて泣けて。たった5ヶ月だけどママになれたことすごくうれしかった。こんなにツライけど旦那が側にいてくれてとても支えられました。いつか必ずこの手で抱きたい。
(掲載日:2005/02/02)
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