++山根一男の徒然日記++
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12月 11日(水) おかげさまで、再検査はパス
12月 04日(水) 誰かがこれをやらねばならぬ…
12月 03日(火) 9泊10日の入院ライフが意味するもの
11月 24日(日) 今日も2万歩「人生の省察ノート」
11月 23日(土) 入院7日目、論語と算盤を読んでいる。
11月 22日(金) 入院して自分の健康を知る
11月 21日(木) 入院ライフ
11月 20日(水) 頭に2か所穴をあける手術を受けました
10月 30日(水) ジニア昨年のこぼれ種でお花畑に(広陵中前)
10月 28日(月) 今井さん大勝!あきれた自民党金子俊平氏の選挙運動....
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 2024年12月11日(水)
 おかげさまで、再検査はパス
昨日、退院してから2週間ぶりに、名古屋市中川区尾頭橋の藤田医科大学ばんたね病院に行って来た。8時半までにと言われていたのに、車で病院に着いたのは9時20分頃。 
 

 採血とCT検査までは順調だったが、そこから加藤先生の診断を受けるまで4時間以上待った。良く大病院では待たされると聞くが、初めて体験した。 
 
 診察自体は3分くらい。CTの画像を見て、大丈夫ですよと言われた。あとは3月と6月頃にまた、来るくらいで薬も治療もない。睡眠時間を中心に健全な生活をすることくらい。 
 
 さすがに今度ばかりは、生活習慣全体を見直さざるを得ない。特に寝る時間が、ここ十数年、午前2時3時が当たり前という生活をしていた。 
 
 これをせめて、午前0時までに寝るようにしたい。夜更かしになる理由のひとつが、まさにこのブログなのだが、なるんべく簡潔にしていきたい。 
 
 加藤先生は、毎晩10時には寝て、朝4時半から起きて行動するという。これだから毎朝、7時前ころに各病床を回ってあいさつしてくれていた。 
 
 朝型に変えようという試みは、これまでに何度もしてきたが、なかなかできない。しかし、いつまでも無理がきく身体ではないことが今回のことで分かったので生活全般を見直そうと思う。 
 

 話は変わるが、病院名についてふれておきたい。「ばんたね病院?」何でそんな名前になったかというと、大正年間にこの病院の前身を創設した「坂 た祢」(ばん たね)さんから来ている。 
 
 坂 た祢さんは、亡夫の遺志を汲み、全財産を提供して窮民救済のために、名古屋市内に3つの診療所を開設し、その後昭和5年に今の場所で開設、さらに下って昭和46年に学校法人藤田学園が、医科大学を開校するときに、附属病院として地域医療や医療人材の育成に貢献してきている。
 

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 2024年12月4日(水)
 誰かがこれをやらねばならぬ…

 タイトルの件、どこかで聞いたことがあるだろうか…宇宙戦艦ヤマトのテーマソングの2番に出て来る『誰かがこれをやらねばならぬ 期待の人が俺たちならば…』と続く 
 

 宇宙戦艦ヤマトはそれほど観たわけではないが、そのテーマ曲は勇ましくて大好きだ。カラオケで私のレパートリーになっている。私の声は演劇で鍛えたせいか(?)結構音域が広く、低い声も出せる。 
 
 あと私は異常なのかもしれないが、道路端や街中に生えている雑草が気になる。特にセイタカアワダチソウかブタクサか分からないが、丈の高い雑草が街中にあると、抜きたくなる。。 
 
 雑草に罪はないが、雑草に覆われているとやはりまちの景観は悪くなるし、荒れたイメージがつく。 
 
 私の住む若葉台とか、住宅地では基本空き家の前とかは除いて、丈の高い雑草は生えていない。住民が、最低限家の前くらいは雑草は抜くからだ。 
 
 それが、街中になるとコンビニやホームセンターの前とかでも雑草だらけの一角がある。可児市の中心街でもそうだ。 
 
 それも気にはなるが、やはり住んでいる可児市帷子(かたびら)地区については、しょっちゅう通るし、地元が草だらけだとそこに住む住民の質まで問われているように感じてしまう。その感覚が私の場合,異常に強いのだ。 
 
 路上に生えるひゅるひゅるした雑草は、だれかが抜いて土を除去すれば、そんなに生えなくなる。 
 
 たいがいは市道だから、普通は市が除草すべきと思っている人が大半だと思う。ただ、雑草の繁茂のスピードに行政はとても追いつかない。 
 
 今日は、いつも通る国道41号線の帷子インター(高速ではない)に接続する道の草が以前からずっと気になっていたので、思いきって抜くことにした。 
 

 他にも何か所も草を抜いたり、花を植えたりするところがあるので、1ヶ所25分と決めている。なので、完璧にきれいのするまでは至らないが、たった一人の人が25分時間をかけただけで、少なくとも通行上の視野を妨げるほどの草は一掃できる。 
 
 この場所は、多治見方面に行く通過車両も多いところだが、少しでも可児市そして帷子の印象が良くなれば嬉しい。 
 
 こんな調子で、帷子が庭園のように美しいまちになればと願い、行動している。そんな『誰か』が増えてくると嬉しい。 
 
 
 

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 2024年12月3日(火)
 9泊10日の入院ライフが意味するもの
 早いもので、もう退院してから1週間になる。今日は泊りで、障がい者のグループホームの世話人の仕事についている。 
 
 急な入院・手術でご心配をおかけした方には心から感謝したい。おかげさまで無事退院できたし、特に後遺症らしきこともない。主治医の加藤庸子先生からも睡眠や食生活に気をつけて普通に生活して良いと言われている。 
 

 加藤先生は、本当にすごい方で、日本で最初の脳外科で教授になり、女性脳外科医としては世界一と言われる手術数3,000例以上を誇る方だ。 
 
 常に患者ファーストで、それだけの権威なのに、毎朝7時前頃には病床に朝のあいさつに来てくれる。携帯番号を教えてくれていて、いつでも電話してくれていいと言ってくれる。 
 
このような誠意ある医師に、ほとんど偶然に巡り合えた私は本当に運がいいと思う。 
 
 1週間経つと、あの入院生活は何だったのかと思う。それくらい、私の人生の中で特異な時間だった。手術以外に、治療というものはなく、リハビリということで据え置きの自転車に10分間、2回くらい乗ったが、毎日1万歩以上歩いているのでどうということはなかった。(8日間で101,872歩=約75q) 
 
 たぶん、今度のことは天が与えてくれた休日、人生の句点のようなもの。健康管理に関しての警鐘とも言える。 
 
 もう少し体のことを大切にしながら、頑張りなさい!と言われているような気がする。 
 
 医者にかかる前の数日間は、足元がふらつき、急に老化が来た感じ、階段を下りるときも足の遠近感がなく、すごく怖かった。このまま、足腰が不自由になってしまうのかという恐怖感もあった。 
 
 それが、今は全くない。両側慢性硬膜下血腫という、脳の膜左右になんらかの原因(頭をぶつけたとか…)で血のかたまり(血腫)ができていた。それが、脳の働きを邪魔していたようだ。 
 
 手術では、両側ということで、頭の左右にドリルで穴を開け、そこから7〜8時間かけて血腫を取り出した。 
 
 局部麻酔なので、医師や看護師のやり取りは聞こえるし、ドリルで頭に穴を開けられる音も聞こえる。脳の手術なので血管の一本でも傷つけたら大変なことになる。 
 

 これほど高度な手術を、こともなげにできてしまうこの病院(藤田医科大学ばんたね病院)の技術(日本の医療技術そのものか)には感心してしまった。 
 
 あと12月10日に再検査があるが、それが終わればさらに安心できる。ひとつ驚いたのは、これだけの医療行為や入院・薬代も含めてかかった費用が6万9,800円。 
 
 昨年の私の年収が極端に少なかったことによるが、以前の収入なら+10万円ほど。日本の健康保険制度はありがたい。 
 
 すべてのことに感謝したい。そして、この恩返しは私にできる最大限の社会貢献をこれからも続けてゆくこと!まさに、人生の第3ステージの幕開けとしたい。 
 
  
 
 

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 2024年11月24日(日)
 今日も2万歩「人生の省察ノート」
 今日で緊急手術・入院から丸一週間となった。おかげで順調に回復し、今日も2万歩歩いた。歩きの合間に、あるいは歩きながら考え事したり、Youtubeで勉強したり、読書したり、電話やメール、SNSの対応したり、今日はスマホの録音データや写真データの整理したり、結構忙しい。 
 
 あとは、明日抜糸して、あさってには退院の予定だ。人生にこれほどの白紙の時間をもらったのは初めてだが、今になってみると大したことはできていない。 
 

 「人生の省察ノート」というのまで、作ったがまだ半分も埋まっていない。ただ、これは過去を振り返るのが目的じゃない。未来のためのものだ。 
 
 10月3日に春里地区センターであった「岐阜コミュニティ創造大学」で『人生七転び八起き』というテーマで講演する機会があったが、それがきっかけでつくった「私の年表」(66年分)のこれから版をつくりたいと思う。 
 
 これは10月に受けたランドマーク社のブレークスルーテクノロジー講座アドバンス編で得た最大の成果「人生は言葉でつくられている…過去も未来も」に通じる。 
 
 体感したことなので、短い言葉で言い表すのはとても難しいが、私たち人間は言語を持ち、それがあるからあらゆる感性も、見たこともないことでも何でも頭で言語化して理解できる。 
 
 動物にはそれがない。動物にも感情はあるのかもしれないが、彼らはそれを言語化できないので何もない。ただ事実だけがある。例えば、ライオンがガゼル(牛の仲間)を倒して食うとする。 
 
 人間はそれを見て、かわいそうとか残酷だとか痛いだとか…いろいろ想像することはできるが、当の動物たちは行動も感情も言語化できないので、ただ事実があるだけだ。 
 
 人間の脳は、1日10万回もいろいろな判断をしているとのことだが、それは言語化できているからだ。過去の歴史もすべて言語化されているから残っている。 
 
 未来というのは、本来何もない。だが、人間はそれを言語に置き換えて表現できるので、さも未来はこうなるという想像はできる。 
 
 人の人生も、すべて自分が選んで来たとするならば、言葉で未来を書き換えることも可能なはずだ。 
 
この辺りのことは「思考は現実化する」とか「引き寄せの法則」「ザ・シークレット」[量子力学」の世界かもしれない。 
 
 もっぱらYouTubeで聞いているのは近藤 純さんという方のサイトだ。自分のこれまでの人生でも、強く思ったことが実現したことがいくつもある。 
 
 ある意味、今回のことも一歩間違えば、死か後遺症障害で動けなくなるところを未然に生かされた、それも加藤庸子先生という脳外科の世界では超有名な先生の下に引き寄せられた。 
 
 いずれにしても、今後の人生の設計図をより鮮明に描き、それをすでに実現したかのようなレベルまで脳に描けば、きっとそうなる。 
 

 少なくとも、何も考えずに過ごすよりは可能性が高くなるだろう。何も考えずに気楽に生きることが悪いと言っているのではない。 
 
 むしろ、それができるならその方が幸せだろう。ただ、私には使命があると思っている「あなたが動く 社会が変わる」という、自分という個体を使ってこの世界で何ができるか問い続けていきたい。 
 
  
 
 

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 2024年11月23日(土)
 入院7日目、論語と算盤を読んでいる。
早いもので11月17日(日)に緊急入院・緊急手術してから今日で7日目だ。当初の二日間くらいはきつかったが、その後は順調に回復し、むしろ今は入院前よりも元気になっている。 
 
 今、思い起こすと11月7日、つまり手術の10日くらい前から、歩き方がおかしいと指摘されていた。いわゆるよぼよぼ歩きで、一気に老化した感じだった。 
 
 手術直前の11月16日くらいになると誰の目にも不自然に見えていたようだ。 
 

それが、今はごく普通に歩ける。入院3日目からは、時間に任せてとにかく歩くことにした。今日は15,000歩、この5日間の平均歩数は12,000歩になる。 
 
 普段から、毎日最低5000歩は歩くようにしていたが、今はその2倍以上のペースだ。こういう入院患者も少ないと思うが、他にやることもないし、時間と体力が有り余っているのだ。 
 
他にやることもなしと書いたが、それは体を動かして行動することがないということで、頭の方は使うことに忙しい。 
 
 読書や、Youtubeを使っての学習、SNSの投稿や応対、12月から始まるランドマークの説明会リーダープログラム(ICLP)の受講願書つくり、そして人生の棚卸しなど… 
 

 今日は、以前から読みかけていた渋沢栄一の『論語と算盤』を30ページほど読み進めた。あの大谷翔平選手の愛読書らしい。 
 
 実業(事業)と道徳やモラル、精神的な充実(利他の心)の両立を説いている。今に通じるところが多々ある。 
 

 今日は、遠く群馬から、たまたま名古屋に用があって来た義理の姪っ子家族が見舞いに寄ってくれた。15歳以下は病棟に上がれないとのことで、ロビーでの対面となった。長旅で疲れてほとんど寝ていたが嬉しかった。 
 
 あと入院生活も、実質2日間となった。有効に使いたい(^^)
 

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 2024年11月22日(金)
 入院して自分の健康を知る
 3連投となる。急にブログを書きだしたのは、ご覧のように病室にパソコンを持ち込んで書いているからだ。 
 

 院内のWi-Fiもしっかりあるし、快適だ。 
 
 今日も院内を1万歩 歩いた。病院側が用意してくれたプログラムは、朝6時と12時と18時の三度の食事と、10分間の自転車(固定)走行のリハビリと、頭を洗う(自分で)こと。 
 

 昨日の夜から、病室が6階から7階に変わった。一応、この病院は急患の人が多いので、脳外科中心の6階に入る人が出たのだろう。4人部屋にいたが、私以外の3人はかなり重篤な方だった。 
 
 隣のひとりはかなり高齢に見えたが、一度も目を開いている姿を見ない。もう一人ははっきり姿を見ていないが、一晩中痰が絡むのか咳が止まらない。もう一人は、私よりは一回りは若いが、足が不自由で目が見えない。 
 
 今度移って来た部屋も、似たような状況だ。この病院は370床で、1フロア50人くらいの患者がいるが、当たり前だが元気な人はあまりいない。生きてるのがやっとという感じの方もいる。 
 
 そんな中で、看護師たちの献身的な動きには感動する。私は、病棟に移ってからは一度もナースコールを鳴らしたことはないが、中には数十回も鳴らす人がいる。何の用事かと思えば、今日は何曜日でしたっけ…ということも。 
 
 それでも、看護師さんたちは丁寧に対応する。この病院は、藤田医科大学の付属病院で若い医師・看護師・理学療法師・作業療法師が多い。夜中でもしょっちゅうナースコールは鳴っている。 
 
 本当に、現場の医療従事者はすごい。忍耐力もすごい。そして、このような博愛精神に恵まれ、技術も高い医療施設にいることができていることに感謝の気持ちでいっぱいだ。 
 
 世界にはウクライナとか、ガザは言うに及ばず、過酷な医療体制で苦しんでいる方がたくさんいる。 
 
 私はここにいていいのかと思ってしまうが、25日の抜糸まではいなくてはならないのだろう(^^) 
 
 

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 2024年11月21日(木)
 入院ライフ
 11月17日(日)にこの病院(藤田医科大学ばんたね病院)の休日外来を受け、そのまま入院、手術となってから早くも5日目となった。 
 
 おかげさまで、経過は順調で体調はすこぶるいい。というか、手術で脳の硬膜下に溜まった血腫を取り出した時点で治療は終わっていると理解している。 
 
 術前は、足元がふらつき、人から見てもよぼよぼのおじいさんのような歩き方になっていた。階段を下りるのが大変で、特に左足の遠近感が無くなっていた。 
 
 脳に溜まった血腫が、脳の働きをじゃましていたようだ。術後は以前のように普通に歩ける。 
 
 今日の加藤庸子先生の問診で、昨日は一万歩 歩きましたと伝えると、そう、じゃあ今日は2万歩ね…と言われたので、半分意地になって今日は2万歩 歩いた。距離にすると15qだ。 
 
 朝6時から、達成したのは22時頃。他にやることがないので出来たが、さすがに少し疲れた。明日からは1万歩くらいにしておこう。 
 
 退院は26日に決まったので、あと4日はある。  
 
実を言うと、ひそかに入院ライフにあこがれていた。なにしろ67年間,入院したことはなかったので、想像しかなかった。 
 
 これまでの人生で、これだけまとまった時間、何もしなくていい時間はなかった。もちろん何もしてないわけではない。考え事をしている。本を読んだり、SNSの応対も忙しい。 
 
 あと4日となると…少し計画的に過ごすことにした。今後の生き方・動き方について検討する。これでは、仕事モードかもしれないが、あとは25日に頭の手術したところの傷口の抜糸が終われば元通りになると思う。
 

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